2014年8月30日土曜日

広々とした緩斜面は、ウシのようにモ~ッとのんびり滑ること - 武尊牧場スキー場(その一)(群馬県)

平成2年1月13日滑走

夏は牧場をやっていますというスキー場は、全国各地にあります。
このゲレンデを滑る前の月には、南志賀の山田牧場を滑ってみました。

飛騨のモンデウス位山では乳牛が放牧されますが、夏場の体力づくりでしょう。
白樺高原国際はふれあい牧場なのですが、どちらかと言うと観光の趣きです。

さて、この武尊牧場は実際に肉牛が七十頭ほど放牧されて、期間は十月までです。
付帯施設のキャンプ場もオープンしますが、これはレジャー、レクリエーションの格好。

何せ、日本百名山の武尊山のふもとにありますから、登山基地のにもなります。
一方、雪が降り積もればスキー場へと颯爽と変身ですから、通年で賑わうみたいです。

このスキー場のパンフレットなのですが、片品村へ通ううちに三種類が集まりました。
ですので、今回はいちばん最初に滑った時のものを紹介しながら記憶をたどりましょう。

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ぱっと見ますと、女性のスキーウエアに思わず懐かしさを感じてしまいますね。
当時は、スノーボーダーを見かけるのも珍しくて、ゲレンデはスキー客が主流でした。

華やいだイメージをパンフレットに盛り込んだにせよ、本当は人里離れているのです。
ペンションのある集落からそれて、車は舗装の山道を上がりますが人家はありません。

少しは走ったかなと思うと、目の前に大きな駐車場とゲレンデが広がって現れました。
ただ、どんづまりの尾瀬戸倉スキー場よりは近くて、アクセスは良い方もしれません。

ゲレンデは、上級コースと称していても、斜度が三十度程度になるような感じです。
なので、コース全体を滑りとおしてみると、本当に上級なのかと思うときもありました。

ゲレンデも広くて見通しが利くせいか開放感があり、斜度にこわさを感じないようです。
思いっきりチャレンジしてみるのもいいでしょうが、ここはお気楽に楽しむべきでしょう。

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コースマップはパンフで紹介していますが、リフト四本で縦に乗り継ぐシンプルなもの。
後は、管理センターまで色々とコースを選びながら、滑り降りるという格好になります。

スキーブームの頃でも意外に空いていて、一日券を午前中で滑り切ってしまいました。
このため、午後は近場の別ゲレンデに移動しましたが、そこが武尊オリンピアでした。

と言うわけで、四半世紀前のコースに比べて、リフトの架け替えが行われていました。
乗り継ぎがかなり便利になりましたが、昔とあまり変わらないコースレイアウトです。

ここは、群馬県という立地もあって、首都圏からの近さをウリにできるゲレンデです。
ですから、今後もスキー場の運営は、それなりに安泰であろうなとも思ったのでした


おまけ:
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2014年8月28日木曜日

片品ゲレンデ国道で唯一生き残れなかったスロープなのだ - 武尊オリンピアスキー場 (群馬県)

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この国道120・401号線周辺には、群馬県内でもスキー場の集まる地域です。
特に片品村は、関東地方唯一の特別豪雪地帯に指定されています。

スキー場も数多く開発され、運営されて来た背景がここにある分けです。
この自治体ですが、現在営業しているスキー場が七ヶ所もありました。

ブームはとっくに過ぎ去ってスキー人口も減少した昨今ですが、うれしい。
未だ活気もあるし、ここに出かければゲレンデがより取り見取りなのです。

ただし、このオリンピアスキー場だけが十年以上前に閉鎖されてしまいました。
標題の通り、唯一生き残れなかったゲレンデになってしまった理由は何なのか。

この奥には、ほたかスキー場があり、名前が変わっただけで今でも滑られます。
つまり、南側に下ったこのゲレンデだけが閉ざされた格好になってしまいました。

あの頃は、二つのゲレンデに連絡コースが設けられ、行き来ができたはずです。
一部の駐車場も共同みたいで、このために連絡コースが役立ったのかもしれない。

確かに、このオリンピアのスキーセンターにある駐車場は狭かった印象があります。
一方、ゲレンデ脇を併走する道路を登れば、増設の駐車場へ導かれるのです。

これが、ほたかスキー場への駐車場にもなってい、ゲレンデをはしごできました。
これは自分の思い出ですが、このことをネットで書いている人をようやく見つけました。

平成2年1月13日滑走

さて、このオリンピアスキー場ですが、南側斜面にあって雪が融けやすいはずです。
しかも、標高が下部で千メーターちょっとと高くなく、雪不足に悩むかもしれません。

滑った当初は一月中旬でして、豪雪地帯の割に雪が少ない印象を受けました。
ゲレンデのところどころでは、雪が融けて表面の土が顔をのぞかせていたと思います。

それでも、スキーブームの最中、お客さんで混雑していて、リフト待ちがひどいのです。
女性の初心者を含めてグループ連れやら、ファミリーなど実に華やいでおりました。

まあ、この頃は暖冬が続きまして、西日本では営業できないゲレンデも出現しました。
このためスノーマシンでせっせと雪面作りに励んだものの、ここはスノーガン二基だけ。

余りに数が少なすぎで、バーン作りを支援するのも適わなかったんじゃないでしょうか
コースレイアウトにさしたる特徴もなく、せめて雪だけでもおごればよかったと思います。

と言うわけで、バブル景気もはじけて、運営会社が倒産したために閉鎖になりました。
拡張できる要素も少ないし、ゲレンデを引き継ぐ会社がついに現れなかったのです。

原因はそこらへんにあるのでしょうが、裏山にはすでにほたかスキー場が開発されていましたし、拡張する当てもなく、とどのつまりでおしまいになったのだと思うのでありました。


おまけ:
ワンダーランド片品90(表-裏)
全ページごらんいただけます。
武尊オリンピア空撮マップ
武尊オリンピア駐車券
武尊オリンピア・リフト共通回数券(裏)
武尊オリンピアゲレンデマップ


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2014年8月26日火曜日

ゲレンデの寄り合い所​帯だから、表と裏はイ​メージが大違い - 菅平高原スキー場(そ​の一、裏・表ダボス)​(長野県)

平成3年3月16日滑走

実は、ひとつのまとまったスキー場ではなくて、集合体みたいなものです。
滑走しながら簡単に移動できるコースもあれば、独立したバーンもあります。

志賀高原のように、バラバラのゲレンデが集まったイメージだと思えばいいのです。
ただ、それよりコンパクトにコースがまとまっていますので、総称しても差し支えない。

主に三つのエリアに分かれているみたいですが、一日では滑り終えないのも事実。
ダボス、太郎山、パインピークの各々を日替わりで滑っても、良いかもしれません。

と言うことは、ここを滑りきるには二泊三日で必ず訪ねてみろと、言うことでしょうか。
もし、時間がないのなら、三回に分けて滑りに来たってかまわないのかもしれません。

実際、自分もこのエリアを攻めるのに、日を改めて三回すべりに来ました。
最初に滑ったのは、山田牧場のスキー場を滑った後、帰宅する途中のことです。

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普通、関東にお住まいの方なら、上信越自動車道を経て目的地まで北上します。
先ず最初に見えてくるスロープですが、中心地の太郎ゲレンデや天狗ゲレンデです。

次に、国道はこのスキーエリア一帯を真っ二つに割りながら、さらに北上して行きます。
そして、この道沿いもシュナイダー、裏太郎、裏ダボスのゲレンデが展開するのです。

逆に、長野方面の北から上がりますと、初めて目にするゲレンデは間逆な分けです。
だから、裏って名づけたのかもしれませんが、ゲレンデの雰囲気がちょっと違いました。

国道を挟んで両側にゲレンデと駐車場があり、宿泊施設があまり見受けられません。
リフトは駐車場からすぐ乗れるようで便利だと感じましたが、閑散としていました。

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そのせいなのでしょうか、駐車場も比較的空いていて、すぐに車を停めてしまいました。
つまり、上田方面からのスキーヤーは、空いていれば手前で停めてしまうみたいです。

こうして、初めて菅平高原のスロープを堪能したのですが、そこは裏ダボスコースです。
広くて距離のあるコースで、ここから少し左にそれて表のコースもお邪魔してみました。

こちらは宿泊施設の集まる中心地なので、雰囲気も華やかな看板ゲレンデでしたね。
と言うわけで、自分の菅平高原は、裏街道人生みたいな初滑りになってしまいました。

大体、表と裏の命名が分かりやすいのは事実でしょうが、差別にしか過ぎないのです。
本来なら、スキーヤーをゲレンデに呼び込むために、改名したってよさそうなものだと思ってしまったのでした。


おまけ:
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注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)



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2014年8月23日土曜日

アクセス違いだから志賀高原に入れてあげない - 山田牧場スキー場 (ヤマボクワイルドスノーパーク) (長野県)

平成元年12月24日滑走

このゲレンデ、山田温泉でつとに有名な高山村の奥に潜んでいました。
北には笠ヶ岳がそびえていて、その稜線が志賀高原ととゲレンデを分け合います。

南側がこのゲレンデなのですが、雪がなければ県道で峠超えのドライブもできます。
もちろん、山スキーでツアーを組めますから、熊の湯まで出かけるのも楽しい。

直線で距離的に数キロ程度しか離れておらず、志賀高原の一部と見なせそうです。
だって、横手山から奥志賀までは、車なら運転して小一時間はかかる広大さです。

それほど広大なエリアをカバーする高原なら、山田牧場くらいオマケできるでしょう。
でも、アクセスする道路が全く違って、それが仲間入りを阻んでいるかもしれません。

先ず、冬場ですと、志賀高原のアクセスは長野県山内町からしか出入りできません。
しかも、高原自体が町域にすっぽり含まれますので、一体感があるような感じです。

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笠岳・志賀高原周辺マップ

これに比べると、こちらは南側で自治体も違うし、アクセスも須坂市からになります。
このため、別のゲレンデといった印象を受けますが、このエリアも国立公園です。

上信越高原国立公園の領域内に含まれるので、仲間に加えられそうな感じもします。
まあ、個人的にそう思ってみただけのことで、ここは山田温泉とのセットなんでしょう。

村自体は、高原にはさまれた谷あいから流れ出る川が浸食した平野部にあります。
ここから川の上流へとさかのぼれば山田温泉で、もっと上り詰めればゲレンデです。

歴史的には、戦国大名、福島正則終焉の地で、当時は高井野藩と呼ばれました。
文化的にも豊かな土地がらで、江戸時代の俳人、小林一茶も頻繁に訪れています。


そんなおらが村の自慢は、やはり温泉でして日帰り入浴施設の大湯がすばらしい。
実はここへ滑りに出かけたとき、この大湯に浸かって駐車場に停めて野宿をしました。

宿泊代をケチったせいで、ハッチバック車の後部座席にくの字になって寝たのです。
寝袋を持ち込み、ささやかな晩酌でほろ酔いになってから、ぐっすり寝込みました。

翌日、朝早く起きた時には雪がちらつきだして、途中から圧雪路の運転になりました。
標高千五百メーター以上へ上り詰めるのですが、細いつづら坂の雪道が恐怖です。

くねくね登っていくのですが、朝早いから対向車が来ないはずと思って決断しました。
結果的に来なくてホッとしましたけど、早朝でスキー場はかなり冷え込んでいました。

寒くてたまりませんでしたが、十二月中旬にしては積雪も豊富でコースはOKです。
ただ雪も降り止まず、視界の利かない中だったで、ゲレンデをよく覚えておりません。

と言うわけで、どうも山田温泉のまったりとしたお湯が、記憶に残ってしまいました。
この後、菅平高原まで戻りつつ滑り直しをしたのですが、この山田牧場へはもう一度出かけてみて、しっかとこの目でゲレンデを確かめてみたいと思ったのでした。


おまけ:
オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)
ヤマボクワールド・コースマップ

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2014年8月21日木曜日

ゆるキャラも手伝って高原ペンション村のPRだーい - 峰の原高原スキー場 (長野県)

紹介HPはこちらから

ゆるキャラのヌーキー君は、ご当地キャラで協力売出し中です。
ホームページで見たんですが、設定はたぬき君とありました。

約五十軒が集まるペンションビレッジは、菅平高原のすぐ北側です。
ホームページでは、隣接するダボスゲレンデも紹介していました。

ここは、山岳国立公園では広大な上信越高原の指定区域に当たります。
花の百名山、根子岳から緩やかな斜面を経た場所にスロープがありました。

当日、午後遅くに到着して滑ったようで、時間が無かったのでしょうか。
コレクションのロフト券も一回券で、数回程度の滑りだったと思います。

書き残したメモを見たのですが、午前中は軽井沢高原スキー場でした。
そこからこのスキー場までは、距離にして百キロ近くもありかなり遠い。

あの頃は、未だ高速道路が延伸しておらず、しこしこ下道を走りました。
たぶん、流れやすい広域農道や開放された菅平有料道路を使ったはずです。

それから、国道406号線に合流して、菅平を抜けて到着になりました。
このため、峰の原の到着までゆうに三時間近くを要したのだと思われます。

昼飯なんかも車を走らせながら、おにぎりでもほおばっていたんでしょう。
時間も金も限られていた中での若さと体力だけのスキー行脚でした

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さて、スキー場に到着したら日も傾いていて寒かったのを覚えています。
ゲレンデはすり鉢状になっていて、上部にペンションが建っていました。

日帰りのお客さんは、下部のスキーセンター駐車場に車を停めます。
他方、宿泊したスキーヤーは宿からいきなり滑り込むことが可能です。

それからリフトに乗り込んでいきますので、ちょっと変わっていました。
そんな印象なのですが、正直、もう少し滑り込みたかったのも事実です。

というわけで、ここはペンション村に宿泊して滑るのが上等でしょう。
専用ゲレンデみたいなイメージもありますので、家族連れでのんびりゆっくりと滑りを楽しむための、ゲレンデなのだと思った次第なのでした。


おまけ:現在のゲレンデはリフトが若干まとめられた感じです。
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平成元年12月23日滑走


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2014年8月19日火曜日

やっぱ新幹線駅から滑って泊まって直結ロケーション - 軽井沢プリンスホテルスキー場 (長野県)

平成元年12月23日滑走

ここがオープンしてからはや四十周年を迎えたのはめでたい。
この一月には四十円でナイターリフト券が発売され盛況だったとか

ただ、できた当初の四十年前と現在では、いろいろな違いがみられます。
当初、鉄道は在来線だけだったし、高速も新幹線もできあがっていない。

かろうじて、碓井バイパスが開通していて車でも通行が楽になっていました。
こうして、スキーブームの始終を、ゲレンデは見つめてきたことになります。

今は、極端にスキー人口が減少してしまって最盛期とは比べるべくもない
平家物語にもありましたけど、栄枯盛衰、盛者必衰聖の理はあるでしょうか。

逆に、未だにスキーに心酔しているオタク中年としては、ラッキーなのです。
スキー場がガラ空きだし、スキー渋滞みたいな道路の混雑も減りました。

今ですと、長野新幹線ができてから通勤感覚で滑られるのがうれしいです。
朝起きて、会社行きたくないから詐病で有給とってスキーでも滑っちゃおう。

首都圏周辺に住んでいる人ならば、そんなことが現実にできてしまいます。
もっとも、埼玉県あたりにすんでいるのなら車で行く方が手軽でしょう。

自分が滑ったのは、スキーブームの渦中、シーズンはじめの十二月でした。
かれこれ、四半世紀まえですが、高速の上信越道は開通が後年です。

当然、一般道を走りましたが、碓井バイパスは渋滞がひどくてノロノロ運転。
回避したくて国道254号線を下仁田で折れて、県道43号線で北上しました。

周辺に目的地となるスキー場がないので、朝が早ければスイスイと走られます。
途中、上信越道の建設現場だった高架橋を抜けたりして興味を引きました

あの頃は、自分の懐具合からして高速道路を潤沢に使えませんでした。
インターを一つでも二つでも手前に降りて倹約して、走っていたのが懐かしい。

さて、軽井沢と言えば、かつてはスキーよりスケート競技の方が有名でした。
かの地は別荘地として開発されたのですが、冬は寒くて人も寄りつかない始末。

冬の間、客を呼ぶには、スポーツレジャーのテコ入れが必要になったようです。
それで、国土計画によってリンクが造成されたし、世界選手権も開かれました。

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裏面もごらんいただけます

ただ、その後、国土計画はウインタースポーツの軸足をスキーに移しております。
だから、四十年前、軽井沢プリンスホテルの真ん前にスキー場が開かれのです。

しかし、スケートが適した土地柄ですから、内陸の寒冷地で雪がすくない分けです。
積雪量をみても、安定したゲレンデコンデションを維持することは無理筋に近い。

このため、ゲレンデ全体を人工雪でこしらえるという、積極戦術に打って出ました。
さすが、金には困らなかった国土計画だけあって、まさに人造雪のゴールドバーン。

二基のアイスクラッシャーと百九十五基のスノーマシンまで配置された、物量攻勢。
うーんとうなってしまいますが、オープンからクローズまで雪不足の心配は無用です。

こうして、滑ってみると想像以上の規模で、周辺の山は雪もなく未だに青々としている。
すごく、白いバーンがふんどしみたいで異様にシュールな印象を受けたのですよ。

そんな、おしゃれなプリンスホテル付属のスキー場も、宿泊しないから単なるスロープ。
中でも、アベックを拒絶したような一キロ近い長さのシングルリフトが、あったのです。

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東京索道のパンフレット

東京索道さんの設置らしくパンフにもちゃんと紹介されていまして、今なら絶滅危惧種。
現在はペアに掛け替えられていますが、昔は長いシングルって珍しくありませんでした。

と言うわけで、周辺にはホテルに、3つのゴルフ場、ショッピングプラザもあります。
まさに、通年型の観光宿泊施設ですから、スキーは季節的なアトラクションでしかない。

どの季節に来たって楽しいのであろうし、まして本命は夏から秋の季節でしょう。
もし、スキーを考えるのなら安近短として割り切って楽しむのもよし、その割に規模もあるから満足できると思ったのでした。


おまけ:クリックで拡大します
軽井沢プリンス周辺地図
軽井沢プリンス・ゲレンデマップ2003
軽井沢プリンスショッピングプラザ


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2014年8月17日日曜日

スキー場に住所不定み​たいでどっちつかずの​があったとは - アサマ2000パーク​スキー場 (長野県・群馬県)

平成元年3月4日滑走

このスキー場、通常は長野県内のゲレンデとして紹介されています。
だとすると、小諸市の区粋なはずですが、ところがぎっちょんちょん。

ゲレンデは県境を越えて、群馬県側に施設が存在しているのでした。
だとすると、固定資産税は嬬恋村に払われているはずですよ。

現に、住所は群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原字横笹1053 でした。
と言っても、嬬恋村からのアクセスは狭くて砂利の林道なので不便です。

レジャー施設ならアクセスが一番大事なはずで、舗装道路が重要でしょう。
そのため、ちゃんとチェリーパークラインと言う山岳道路が通じておりました

長野県の小諸市側から登るんですが、途中が広域農道でひなびております。
しかも、有料から無料開放されて日が経つのか、道路維持が今一でした。

たぶん、冬場にスパイクタイヤでみんな上がってくるんだと思いましたね。
だって、スキー場直下のつづら折れのカーブでは路面が荒れていました。

上り坂をよっこらしょとエンジンふかして、つめ立てて引っかいて登るわけです。
今は、道路にやさしいスタッドレスタイヤですが、昔は違っていたということです。

ちなみにスタッドレスは、STUD(鋲)のないという意味で、スパイクレスじゃない。
正しい英語が、日本語の中に溶け込んでしまったということかもしれませんね。

さて、このスキー場、名前どおりに標高二千メーターに展開するゲレンデです。
内陸地の高原ですから雪はサラサラしすぎるし、晴天の日も多くて積もらない。

ゲレンデコンデションを整えるのには、スノーマシンが大事な役割を果たしています。
自分にとって、ここで装置の一つであるスノーガンと言うのを初めて見ました。

諏訪湖周辺のスキー場ですと、太鼓型のファンがついた自走式をよく目にします。
雪を降らせつつ場所を移動するので、効率的な積もらせ方ができる分けです。

ところが、このガンタイプは固定式で、脚立の上部に噴射ノズルがついていました。
他にも、小型のノズルプロペラがついたガンがあったのですが同じように固定です。

それで、ゲレンデの両脇に一定距離を置いて、このガンが設置されております。
加えて、消防ホースみたいなのが、ゲレンデ脇を縦横無尽に走り回っていました。

平成2年2月17日滑走

これは、完全な人口雪ゲレンデだと思ったのですが、実際バーンもカチンカチンです。
二月に滑ったときはそう感じたのですが、三月に入ったら春スキーのノリでした。

雪が溶け出していて少しコブもできあがっていて、こうなると雪質は関係なくなります。
まあ、最大斜度も25度と険しくないし、滑られたら上等ぐらいで楽しみました。

このスキー場のメリットは、とにかく首都圏から近いこととシーズンインが早いことです。
12月の頃は、ゲレンデコンデションが不安定なスキー場が多いのですが、ここは違う。

内陸の高い標高で冷込む寒冷地だから、人口雪を降らすとがガンガン積もります。
雪不足に悩む上越地域のスキー場を尻目に、しっかり仕上げてオープンなのでした。

と言うわけで、小諸市は小説”夜明け前”で有名な文豪、島崎藤村のゆかりの地です。
名作”千曲川のスケッチ”も生まれたし、懐古園と言う関わりのある旧跡もすばらしい。

そこでは、あの高峰高原を含めて北のほうにそびえる篭ノ登連山のすばらしい遠景を鑑賞することができますので、ぜひ訪れてもらいたいと思うのでした。


おまけ:グーグルドライブはこちらから
懐古園パンフ
ゲレンデマップ
篭ノ登連山マップ


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