2017年3月29日水曜日

納豆のように、粘り腰で営業継続ができなかったのが残念 - 千畑スキー場(秋田県)

平成4年12月31日滑走

秋田は、納豆発祥の地 ともいわれ、 横手市金沢公園には石碑があります。
今からおよそ千年前、 源義家が後三年の役の戦いでこの地に遠征しました。

その際、地元金沢地区の農民に豆を煮させ、兵糧用に供出させたといいます。
そして、ほったらかしにした煮豆が、数日後にはこうばしい香りを漂わせました。

糸を引いていたのですが、義家はこれに驚き、食べてみたところ意外においしい。
このため、その後も食用にしたようで、これを聞いた農民達も作りはじめました。

これがきっかけで、後世に伝えたのが納豆になり、全国に広がったといわれます。
そんな縁なのでしょうか、業界大手のヤマダフーズの工場も近所にありました。

この会社は、業界四位の大手で、おはよう納豆のブランドで知られております。
回転寿司やお弁当の添え物用として使われる業務用納豆では、シェア70%。

グーグルマップから拝借

昔からマスコットキャラクターとして、かすり着物姿の「なっちゃん」が有名でした。
国道13号線そばにある本社工場には、このなっっちゃんの看板が目立ちます。

ここはもう美郷町で、スキー場も同じエリアにあるのですが、昔は千畑町でした。
平成の大合併で、郡南東部の六郷町、仙南村と合せて三町村合併です。

県内の平成大合併の第一号だそうですが、人口も二万人を超えています。
しかも、周辺には横手市や大仙市の都市圏もあり、スキーヤーが見込めます。

このため、規模の大きなゲレンデが開発されることになったのだと思うのです。
しかも、ゴンドラがメインで 距離が2.4キロと長く、林間コースが主体でした。

さすが、コクドの投資ですが、スキーブームの頃は、似たようなゲレンデが多い。
全国スキー場ガイドでも、ローカルスキー場のベタ記事みたない扱いなのです。

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ただ、ゴンドラ頂上で標高が810メートルと低く、積雪が少ない印象でした。
加えて、オープンもやや遅く、クローズまでの営業シーズンも短かったと思います。

ゴンドラ一本の縦線形の長いコースですから、バリエーションも乏しくなります。
そうなると、それをカバーするのは雪質なのですが、標高も今一低いのです。

しかも、道順には道しるべも少なくて、探し出すのに苦労したゲレンデでした。
帯に短し、たすきに流しといった感もしますが、飽きやすいのかもしれません。

そして、当日は、お客さんもほとんどいなくて、貸切状態だったのを覚えています。
というわけで、これで、本当に経営が成り立つのかと不安を覚えてしまいました。

実際、その予感は的中して、後年の平成19年、所有者のプリンスホテルが売却先を見つけられず、営業の継続を断念して廃業を決めたのですが、今はバックカントリーで登行するだけの静かなゲレンデに戻ってしまっていて、納豆発祥の地のような粘り腰には行かなかったのだなと、残念に思うのでした。


おまけ:
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2017年3月26日日曜日

今シーズンのスキー納めは、首都圏エリアから気軽に出かけられるゲレンデにして、リゾート気分を満喫したぜ - 長野県中央エリアのゲレンデ(小海リエックスほか)

スキー場パンフの戦利品だぜ Part 1

二月に広島県へスキー行脚の旅に出かけてから、ゲレンデはご無沙汰しました。
三月末でシーズンもそろそろ終わりますし、どうしても出かけたくなってきます。

なので、渋る上さんを説得して、二泊三日のスキー旅行を決行いたしました。
突然、決めたことですし、レンタカーもスタッドレス装着車を借りねばならない。

未だ勤め人の境遇ですから、帰宅したら、せっせとネットで情報を集めました。
それで、分かってきたのは、首都圏からでかけるなら、近いゲレンデは山梨県。

特に、神奈川県ですと圏央道も開通しているので、アクセスが抜群によくなった。
例えば、富士天神山(ふじてん)は、二時間もあれば、ドアツードアで着いてしまう。

カムイ三坂も所要時間は似たようなものですが、これなら日帰りで十分でしょう。
もう少し、足を伸ばして一泊するとしたら、やっぱり小淵沢から清里・野辺山かな。

ここから、JR小海線沿いにゲレンデが四箇所点在しており、より取り見取りです。
後は宿探しですが、”小海リエックス・リゾート”を手頃な料金でゲットできました。

二人の宿泊で二万円以下ですから、コスパ最高だと思うのですし、二泊目も安い。
白樺高原の白樺湖にある”パイプの煙”も、二人で一万六千円と、庶民の味方。

ただ、リエックスからだと、佐久方面から回り込んで車を走らせねばなりません。
まあ、午前午後とゲレンデのはしごをしながら、走り回れば何とかなるでしょう。

こうして、出かけましたが、ゲレンデは最高のコンデションで、滑走を堪能しました。
このエリアは、降雪量が少ないので、スノーマシンでゲレンデを造成しています。

これに、天然雪が降ってくれて、圧雪車でゲレンデを整備をしてくれれば、最高。
硬いバーンに、適度なクッションを保った天然雪がカバーしてくれて滑りやすい。

三月の中旬、関東では雨が一日中降った日があり、これが甲信越は雪でした。
その雪のおかげもあって、ゲレンデの状態が、三月にしてはすこぶる上出来です。

気温もあまり上がらず、雪質もサラッとして、これが三月下旬なのかと思うくらい。
こうして、野辺山のザイラーバレーを午前中に、午後はリエックスまで移動しました。

メリットは、どちらもお菓子で知られたシャトレーゼの経営なので、リフト券が共通。
しかも、リエックスに宿泊するのなら、一人二千円で一日券の購入もできるのです。

冒頭の写真でも、パンフは両方のスキー場を紹介したデザインになっていました。
ザイラーバレーからリエックスへ移動しても、所要は30分ちょっとで、楽チンです。

しかも、リエックスから隣の八千穂高原までは、県道480号線で15分のアクセス。
多少、雪道は覚悟せねばなりませんが、道路も二車線でカーブもきつくありません。

スキー場パンフの戦利品だぜ Part 2
そんなかんだで、このエリアのスキー場は、滑り回ってみても面白いと思います。
ところで、二泊目に投宿した”パイプの煙”では、スキー場のパンフが豊富です。

宿泊客へ、近隣のスキー場を紹介する目的で、たくさん置いてあるのでしょう。
でも、今時のスキーヤーなら、最初からネットで情報を仕入れてあるはずです。

ゲレンデガイドやスキー場のホームページなど、情報をググって探すのは簡単。
ユーザーが主体で情報を取りに行けますが、スキー場だって自分達でPRしたい。

このため、パンフレットをゲレンデそばの宿泊施設等でバラ撒いているのかなあ。
もし、パンフを見て気が変わってしまって、目的地のゲレンデを変更したとします。

そうなると、パンフレットって、未だにその価値は大きいものだと思わざるを得ない。
まあ、マーケティング戦略では、プッシュ型とプル型で手法が異なるのだそうです。

従来からのパンフレットは、売り手がお客さんへ情報提供をするので、プッシュ型。
一方、お客さんが自分の意思で必要な情報を収集する行動は、プル型なんだとか。

要するに、エリアの観光情報を仕入れてもらって、土壇場にパンフでプッシュする。
結果、お客さんはプッシュ=押しの強い情報に誘われて、目的地を変えてしまいます。

なるほど、プル型は情報紹介だけの効果で、最後の押しの一手は、プッシュでした。
というわけで、パンフレットを眺めつつ、スキー場経営もマーケティングは大切です。

他方、”パイプの煙”の本社は、八方や栂池の有名なスキー場で有名な白馬村に、所在していますので、冬季における宿泊施設とゲレンデの関係の重要性を認識しているからこそ、パンフレットを豊富に取り揃えて、宿泊客へ情報提供してるのかもしれず、たかがパンフ、されどパンフの意義は、ネット社会になろうとも、失われていないのだと十分に認識した、スキー旅行になったのでした。



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2017年3月23日木曜日

スキー場へ行くまでのアプローチだけで、ひとくさりお喋りのできるスキー場ではあるな - 谷川岳天神平スキー場(その二・群馬県・みなかみ町)

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谷川岳の玄関口・土合駅は、登山者から「もぐら駅」と呼ばれて親しまれております。
それはなぜかというと、当駅の下り線ホームが、地下82メートルにあるからなのです。

このため、東京方面から着く乗客は、ここで下車すると階段を)昇らねばなりません。
そのステップは486段にもなり、約十分ほどの登りを強いられますが、まだ序の口か。

だって、香川県の金刀比羅宮は、階段だらけの神社で有名ですが、1368段です。
それと比較すれば、三分の一くらいだから、改札口までは軽い準備運動でしょうか。

ようやく、下りホームの海抜583mから地上へ上りますと、そこは標高746mでした。
一方、上りホームは地上駅になっていても、海抜665mだから、ここも一登りします。

まあ、改札口までは体力の要る駅ですが、ここからは谷川岳は近すぎて見えません。
頂上の双耳峰トマノ耳・オキノ耳が特徴的で、バットマンの頭部を思い出しますが。

一歩、天神平スキー場は、ロープウェイに乗る必要があり、駅から少し先になります。
坂道をもう一度登らねばならなくて、今時なら、車で駐車場に入ってしまうでしょう。

こうして、ロープウェイ駅に到着ですが、現在は複式単線方式のフニテルが運行中。
箱根の大涌谷を通り抜けるロープウェイでも有名ですが、同じタイプだと知りました。

フニテル搬器
ロープウェイの旧硬券

だって、自分が乗った頃は、まだ複線自動循環式で、以前の箱根もそうだったもの。
このタイプは、支索に支えられた搬器を二本の曳索で移動・引っ張るシステムです。

旧式は、ロープウェイが連続して繰り出されるような感じで、支索に搬器が乗るだけ。
このため、強い横風が吹くと、滑車が索道から外れやすく、事故になりかねません。

一方、フニテルはクワッドリフトみたいに、発車する直前にロープをがっちり握ります。
同じ方向に動く二本の支索で上昇下降していくので、風に強いメリットがありますな。

なので、現在ではフニテル方式に切り替えが進んで、箱根も谷川岳もそうなりました。
ところで、この土合は、かなり昔から無人駅でしたが、時に臨時改札も行われました。

観光シーズンの多客期などに、実際に実施されたようですが、基本は無人駅です。
一方、駅舎は立派な造りなのに、改札口や待合室は、がらんどうで殺風景です。

ところが、その待合室を、谷川岳千回登山を目指す登山家が基地にしていました。
その名も森邦弘さんといって、新聞などで読んで知ってはいましたが、驚きましたね。

なぜなら、あまり手入れされていなくて、荒れ放題で占拠している印象があったから。
まあ、壁には登山中の観測データを、学会で報告した資料も張られたりしています。
   
  
それで、活動実績も分かりましたが、なぜ移住までして登るのかがよく分かりません。
それでも、この山塊は百名山の一つでもあり、山に魅せられるっていうこともあります。

当時はそんな風にも思いましたが、その後も引き続き、登っておられるのか気になる。
それで、ネットで探してみたところ、八十歳の今も三千回の登頂を目指すとあります。

一年半前の新聞記事だけど、このフニクラでショートカットして、達成したのかどうか。
もし、成し遂げたのなら間違いなく大偉業ですが、高齢なだけに気がかりになります。

というわけで、妻の誕生日に2826回目を登頂した森さんの執念に、ただ脱帽です。
自分も、全国のスキー場を死ぬまで滑りまわりたいという目標を立ててはいますが、すべてのゲレンデを絶対に滑走するなどという目標に盲従する気はさらさらなく、自分の価値観の赴くままに、調査行脚を続けたいというのが、本音なのでした。


おまけ:
ようこそ「土合駅」へ
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割引引換証


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2017年3月20日月曜日

ゲレンデに近い、ご神体がエアだっていう”空気神社”は、エコツーリズムの霊験でしょうか - Asahi自然観スキー場(Asahi自然観スノーパーク、朝日町・山形県)

平成4年12月30日滑走

朝日町は、「町民憲章」で自然や生活環境の大切さを第一にうたっています。
そのせいか、身の丈に見合った健全な財政支出で、有名になった自治体でした。

一方、エコミュージアムを実現した日本最初の町にもなっており、特色豊かです。
言葉的には、エコロジー(生態学)とミュージアム(博物館)を合成したんだとか。

それは、地域の活性化を図り、地域の魅力を再発見へと導くのが目的です。
おらが町で受け継がれた自然や文化、生活様式などを歩いて発見してもらう。

つまり、収集するための箱物を必要としない“所有しないミュージアム”なのです。
学芸員という専門家もいないし、代わりに地域住民が、利用者を受け入れる。

条件は、手つかずの自然や歴史、文化、集落が残っているのがポイントです。
朝日町は、奈良時代から朝日岳の山岳信仰の隆盛とともに歩んできました。

最上川の河岸段丘をはじめ、中小河川沿いに数々の集落が散在しております。
山間地域の原生林野も、町域の80%を占める自然に恵まれた地域でした。

それで、日本や世界のエコミュージアムで有名な場所をネット検索して見ました。
面白いのは、湘南の茅ヶ崎で、”ちがさき丸ごとふるさと発見”とうたっています。


一方、イギリスでは十六世紀のフロドン古戦場が指定されて、史跡めぐりでした。
イタリアにも、ウール織物で知られるカセンティーノがあり、これは伝統産業です。

一方、朝日町は自然と調和する田舎の良さはあっても、目立つものは少ない。
そこで、町はその目的に見合う家族旅行村の「Asahi自然観」を設けました。

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このツーリズムですが、地域が方針を立て推進しないとメリットを生み出せません。
こうして、平成元年にこの宿泊施設ができて、スキー場もオープンされたのです。

ゲレンデはリフト四基とこじんまりした中で、面白いのは管理センターの位置です。
スロープの中間に位置していて、下へ滑り降りたり、リフトで上へ登ったりします。

山麓は初心者向けのコースで、上部は中上級者むけの構成になっていました。
滑走レベルに応じて、お客さんを分けるようなレイアウトは、よく考えられています。

ただ、上下のコースを渡り歩く距離が長くて、平地滑走せざるを得ないのです。
結構、運動になったのですが、スキーもスポーツですから当たり前かもしれない。

スキー場チラシ
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というわけで、エコツーリズムは、世界でも類をみない空気神社まで建立します。
この家族旅行村に鎮座するも霊験あらたかな場所は、空気がご神体なのです。

宇宙を創る五元素の「木・火・土・金・水」のモニュメントを先ず通りぬけましょう。
すると、小高い森の頂には、五メーター四方のステンレス板が拝殿なのでした。

こうして、地球の大気=空気への感謝を、この神社によってよりいっそう強く感じさせてくれるのですが、これはエコツーリズム究極の象徴と言っても良くて、スキーシーズンは雪で埋まってしまって見ることもできないので、季節のいい時期にはぜひ再訪して礼拝したいとも思うのでした。


おまけ:
平成7年のゲレンデマップ
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☆ Asahi自然観
☆ Asahi自然観スノーパーク(今シーズンは3/20で終了だって)
☆ 空気神社エリア


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2017年3月17日金曜日

大噴火をした磐梯山の直下にあるスキー場だけど、今や完全に小康状態だから大丈夫 - 裏磐梯スキー場(北塩原村・福島県)

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このスキー場は、磐梯山を取り巻くゲレンデの中で、当時、もっとも小規模でした。
周辺は、猫魔、アルツ磐梯、猪苗代と目白押しで、比較すると少し見劣りします。

でも、日本百名山で磐梯山の麓にあるホテル直営は、趣向が全く違う感じもします。
登山基地にもなりますし、五色沼へトレッキングもできますが、景勝地なのでした。

まさに四季折々の観光の宝庫でして、秋の紅葉が来れば車の渋滞もひどいのだ。
ただ、厳しい冬は観光の要素も少なくて、追加でスキーを楽しんでもらいましょう。

スノーシューのトレッキングも紹介されていますが、要するにかんじき歩きです。
日本古来の雪国における生活用具ですが、バタ臭く言われると格好よく感じます。

自分もブログの自己紹介では、その出で立ちの昔の農夫姿を使わせてもらいました。
小さな写真なので分かりにくいですが、ウイキペィディアでも簡単に検索できます。

平成4年12月29日滑走

さて、このゲレンデは、リフト二本が連なるだけで、こじんまりとしていました。
現在は三本で、その後、第一リフトの向かい側に、もう一本掛けられたようです。

スノーボーダー用にボードパークを設けたせいか、専用としたのかもしれません。
結果、リフトも増えたわけで、近年、リフトを間引く傾向とは間逆なのが面白い。

一方、ゲレンデ最上部は磐梯山の火口跡ですが、やや平坦で山スキーもOK。
当時は”噴火口ラングラウコース”でしたが、現在はスノーシューコースでした。

黄色い氷瀑のイエローフォールもありまして、ここが観光スポットになっています。
このためか、第一・二リフトで上り乗車をして、下山も下り乗車ができるのでした。

そんなスキー場は、これといった特徴もないのですが、火山のお膝元が恐ろしい。
なぜなら、磐梯山は現在も気象庁によって、常時、観測されている火山なのです。

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もちろん、明治以降では、日本における最大規模の火山噴火を引き起こしました。
最近では、一昨年九月末に御嶽山が、突如、噴火しましたが、その記憶も生々しい。

犠牲者が数十名に達しましたが、この磐梯山も、五百人に近い被害で大規模です。
ところが、当時は火山の研究がまだ初期の段階で、記録があまり残っておりません。

つまり、測候所や気象台で火山活動の観測は、全く実施されていなかったのです。
避難も遅れて、発生した爆風と岩屑なだれで付近の集落が全滅してしまいました。

当然にして、地元住民は誰一人として、この山が噴火するとは察知しませんでした。
一方、噴火の数日前から、周辺の生物が避難行動をとった記録は残されています。

そんな当時の状況ですが、小説家の井上靖は、短編「小磐梯」で描き出しました。
ある地方官吏の回想(聞き書き)という形式を取りますが、噴火直前が異様です。

それは、あまりに無力に災害に巻きこまれる人間の数奇な運命がモチーフでした。
というわけで、実際に山体崩壊を起こしたのは小磐梯の山塊で、最高峰は残ります。

こんな自然災害の恐ろしさを考えてしまうと、周辺はスキー場だらけで本当に安全なのかと思ってしまいますが、この噴火のおかげで桧原五胡もできあがり、半世紀を経て指定された磐梯朝日国立公園の重要な地域となっているわけですから、ここは四季を通じた観光地のスキー場ということで、楽しむしかないと腹をくくるのでありました。


おまけ:

磐梯山噴火記念館入館券
平成7年のゲレンデマップ
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2017年3月14日火曜日

スキー場の再生ビジネスで復活したゲレンデに健闘を祈りたい - 磐梯国際スキー 場(ファミリースノーパーク ばんだい×2、猪苗代町・福島県)

平成4年12月29日滑走

このゲレンデは、縦にリフトが3本連なったシンプルなレイアウトでした。
宿泊施設も磐梯国際観光ホテルしかなく、専用ゲレンデといった趣もあります。

ただ、年末のお正月直前でも、絶対的に雪が不足して条件はよくありません。
どうもスノーマシンの持ち合わせがなく、天然雪だけを神頼みにしているみたい。

ただ、バーンが整理されていて芝生らしく、雪が軽く積もっても滑られそうです。
このため、幅の広いまっすぐな中緩斜面を、リフト二本が稼動されていました。

積雪は二十センチでしょうか、スキー板の滑走面が傷つきそうで心配になります。
一方、上級の櫛ヶ峰チャンピオンコースは、さすがに雪が貼り付いておりません。

なので、二三回くらい滑って、次の裏磐梯スキー場に移動したのを覚えています。
まあ、会津は豪雪地帯なので雪は降って当たり前ですが、当時は暖冬続きでした。

ここに来る前の猪苗代スキー場も、あまり雪が多くなかったのを記憶しています。
そのため、お隣の猪苗代では、既に樫山工業のスノーマシンを導入していました。

まあ、オープン当初のゲレンデコンデショんを良くしようとするのは、当たり前です。
なのに、このゲレンデでは何もせず、何か投げやりな印象を受けてしまいました。

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両面ごらんいただけます

あの頃ですら、寂れた感じで、本当に大丈夫なのと思わずにはいられません。
実際、その予感は残念ながら的中し、運営会社の小川組は倒産してしまいます。

このため、一時的にスキー場は休止され、新たな運営者が現れるのを待ちました。
当時は閉鎖するゲレンデも増え出していて、もはや儲かる時代ではなくなりました。

数年もかかりましたが、引き継ぐ会社が名乗り出ただけで運がよかったのでしょう。
現在、ここはコアラ体育サービスが運営していますが、ホテルもそのまま営業です。

この会社が面白くて、スポーツ・アウトドアの研修事業をターゲットにしています。
中には、公共施設の管理代行、休眠施設の再生事業も手がけているとありました。

こうなると、このゲレンデを引き継ぐには、うってつけの会社だったかもしれない。
学校・教育機関へ、スキーを通じて野外教育活動を請負うというビジネスでした。

というわけで、各地のスキー場は生き残りを賭けて、様々な取り組みに挑戦中。
そういう中、新たな付加価値を付けて差別化を図ろうとするのも当然でして、この磐梯国際もそれに乗っかって復活したゲレンデには違いなく、今後もスキービジネスでがんばってもらいたいとも思うのでした。


おまけ:
※現在のゲレンデのホームページはこちらから

平成7年頃のゲレンデマップ
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2017年3月11日土曜日

福島県のどん詰まり、平家の落人伝説にまつわる村は、尾瀬観光のベースだ - 桧 枝岐温泉スキー場(桧枝岐村・福島県)

平成4年12月27日滑走

桧枝岐と書いて”ひのえまた”と読むのですが、かなり難読の地名と思います。
平家の落人伝説が残っている村落ですが、星姓、平野姓を称した方がそうらしい。

もっとも、県境を超えて南東に入った栃木県の湯西川温泉も、平家落人の里です。
さらに、尾瀬の湿原を越えて群馬県の片品村に入っても、落人が住み着きました。

つまり、今こそ県は違いますが、昔は険しい峠を越えれば往来できたと思うのです。
確かに、どちらも人里離れた山深い場所には違いなく、隠れ住むには格好です。

なので、源平合戦で平家方に与した武家や公卿、その家族が難を逃れたのでしょう。
こうして、桧枝岐村は、平安時代末期の十二世紀から、人々が暮らしてきました。

地元の方言も京言葉を連想させるものがあり、会津のなまりとは全く違うのですよ。
これは、同じ県内でも、昔から他の町村と親交を避けてきたせいなのかもしれない。

歴史的に長い村ですが、他方、地名の由来は良質の桧の木材が採れたからだとか。
山ばかりの土地柄ゆえ、林業が生業なのは当然としても、実にシンプルでした。

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人口は六百人をわずかに超えた程度で、人口密度が日本一低い自治体らしい。
例えると、一キロ四方の土地に住んでいる人が、わずか1.6人しかおりません。

一方、人口が日本一少ない村は、伊豆七島の離島、青ヶ島村が百七十人でした。
まあ、江戸時代からこの村の人口は、二三百人がやっとの小さな小島なのです。

比べるに分けには行かなくても、桧枝岐村も過疎の中の過疎には違いありません。
加えて、村役場の標高が940メーターと異様に高いのですが、あまり感じません。

東北道を降りてから、こつこつ、山間の国道を上り詰めて行くせいだと思うのです。
だから、標高があっても数百メーター程度だと思っていましたので、驚きでした。

でも、自治体の役場としては、標高が日本一でもないので、日本は広いものです。
実は、温泉で有名な草津町の町役場は、何と海抜1171メーターもありました。

なるほど、この桧枝岐村は、スキー場以外に面白いことがあり過ぎなのでした。
もちろん、この村が尾瀬国立公園の観光基点になっているのは、つとに有名です。


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そして、シーズンがくると、東武鉄道が”尾瀬夜行23:55”の列車を運行しています。
一方、冬はこの夜行が会津高原たかつえスキー場行きのスキー列車に変わります。

つまり、東武鉄道さんは、鬼怒川温泉から先の奥会津観光に力を注いできました。
とにかく、夏が来れば、どん詰まりの桧枝岐村まで首都圏の行楽客が押し寄せます。

実際、交通の不便さは想像以上でも、このアクセスのよさで到着までが数時間です。
さすが尾瀬湿原のお膝元ならではですが、村落自体は温泉も湧いたりしています。

冬になれば、尾瀬のピンチヒッターとして、この温泉とスキー場が大活躍しますね。
ゲレンデはリフト二本とこじんまりですが、後はゆっくり温泉に浸かるだけでしょう。

というわけで、スキー場にはニホンカモシカが突然現れて来て、驚かされました。
リフトの監視人も、あそこにカモシカがいると話していたので、自分も気づきました。

こうして、午前の高畑スキー場が混雑して思うように滑られなかったストレスもあり、このスキー場まで足を伸ばしたのですが、ここまでくると混雑もなく、しかも天然記念物まで登場してくれたことに感激して、思う存分にすべりを楽しんでしまったのでした。


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