2017年11月29日水曜日

ゲレ食だと下痢食のように聞こえて、何でも省略すりゃ、良いってもんじゃないよ~ん - 豊橋カレーうどん(勢川本店・豊橋市・愛知県)

豊橋カレーうどん(勢川本店)

豊橋のホテルに投宿したら、その他は中国人旅行客で貸切状態なのでした。
近くの駐車場に止まっていた大型バス二台がそのようで、大きな団体さんらしい。

ここから、紅葉で有名な香嵐渓はさほど遠距離でもなく、お目当てはそこかな。
まあ、自分たちも香嵐渓を楽しんでからチェックインしたので、そんなところでしょう。

それで、どうして分かったのかというと、チェックインカウンターの壁の張り紙でした。
段ボール箱の販売らしく、”250日元”と値段が書いてあり、どうも中国語っぽい。

爆買いで有名になった中国人旅行客ですから、帰りに梱包する印象もあります。
だから、間違いなく団体客がくるだろうと思って、フロントで問いかけたら大正解。

少し騒がしいとか、朝の特定の時間にロビーが混雑するとか、説明を受けました。
そこらへんは、じゃらんで格安に予約してあるので、分けありは致し方ありません。

ところで、ホテルにあった観光パンフレットを見ますと、ご当地グルメがカレーうどん。
その頃、寒波が入って寒かったせいもあり、温かい食事についつい引かれました。

そして、薀蓄ついでに言うなら、デビューしてからかれこれ八年が経過しています。
以来、飽くなきPRを続けて、ご当地ヌードルとして全国区でも有名になりました。

でも、正直言って、ここに来てから初めて知ったこともあり、逆に新鮮さを感じます。
うーん、これはここ豊橋の旅の思い出に、カレーうどんを食べずして何としましょう。

しかも、代表的なお店「勢川本店」に歩いていけるとあれば、そこに決まりですわ。
創業は大正三年だという老舗中の老舗で、百周年を迎えたのが三年前のこと。

ちなみに、豊橋カレーうどんには、レシピに五つのルールがあって、次の通りです。
それだけ、こだわりを持って開発したのだから、八年も続いてきたのは当り前かな。


うどん麺は、自家製麺
   
器の底から、ご飯、とろろ、カレーうどんの順に盛る三層
    
日本一位の生産量を誇る「豊橋産のうずら卵」を具に使用
    
福神漬または壺漬け・紅しょうがを添える
     
愛情を持って作る(ここはご愛嬌!)
   


というわけで、どこかのスキー場ゲレンデメニューに、コラボで加えてくれないかなあ。
カレーのスパイシーな香りはもちろんですが、かつお節の香る合わせダシがナイス。

このにおいに食欲がそそられて、麺とごはんに絡んでくれるカレールーも最高です。
ご飯、とろろ、カレーうどんの順に盛られた、味の三層天守閣は、国宝級なんだ。

しかも、たっぷりとルーを吸った油揚げがアクセントになっておりまして、これがクセになること間違いなしで、ゲレンデを一滑りして体力を消耗したら、このカレーうどんを食べて新たに馬力をつけて、もう一滑りに挑戦できる分けでして、そんなスキー場のゲレ食が登場して欲しいと、強く思ったのでした。


おまけ:
けんちんうどんもお薦めメニューです



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2017年11月26日日曜日

ナャーゴヤの人が南信のゲレンデでデビューするというのも、この中吊り広告で分かったのだ - 南信州の各ゲレンデ(長野県)

名鉄特急の社内にて

飛び石連休中は、ちょいと愛知県まで足を伸ばして、紅葉見物と洒落込みました。
でも、愛知県ってそんなに寒い地域じゃないのって、思われるかも知れませんね。

ところが、県内の最高峰、茶臼山高原はスキー場もあるほどで、思ったより寒そう。
そこは、美濃三河高原と呼ばれる地域で、紅葉で有名な香嵐渓も所在しています。

場所は、足助とかいて”あすけ”と読みますが、ここからは南信州へと続くのです。
江戸時代からの飯田街道と言いまして、現在はほぼ国道153号線に重なります。

それで、三河地域の豊橋から名鉄で東岡崎まで出向き、バスに乗り換えました。
紅葉のシーズンだけ満車になるのが常識という、名鉄のローカル路線バスです。

確かに、バス乗り場だけで五十人以上も並んでいて、乗れただけでもありがたい。
一時間以上を立ちっぱなしのまま、何とか足助の市街に到着してへとへとですわ。

それでも、香嵐渓の紅葉を見てしまうと疲れも吹き飛んで、その借景に見とれます。
後は、ブラリブラリと散策しましたが、先ずはその写真を紹介でもしてみるとします。



それで、帰りは豊橋へ戻ったのですが、あまりに帰路のバスが少なくて困りました。
二時間おきにあるぐらいで、結局、先に来た豊田市行きで帰る羽目になりました。

かなり遠回りなのですが、それでも、名鉄の電車で乗り継いて帰ることもできます。
結局、投宿先の豊橋まで帰りましたけど、そこで見たのがスキー場の中吊り広告。

駒ヶ根高原と言えば、南信州の中央アルプスにあるスキー場で、オープンPRです。
なるほど、この三河の人たちは、南信エリアが近いからそこへ出かけるのでしょう。

しかも、高速の中央道に入ってしまえば、ひとっ走りでたどり着けるので便利です。
仮に、この豊田市駅から車で出発したら、二時間ちょっとなので確かに早いと思う。

一方、南信の最南端にある平谷高原スキー場でも、下道走行で二時間たらずです。
それに、県内の茶臼山高原へ出かけると、下道だけで同じような時間になりました。

こうなると、愛知県の三河地域の人たちも意外に安・近・短でスキーが楽しめそう。
他方、名古屋方面の人は、有名な奥飛騨・美濃へ行きそうですが、三河は違うんだ。

しかも、調べたら、南信州のお手軽に楽しめる小規模なゲレンデが意外にあります。
だから、この三河でもスキーヤー・ボーダーは珍しくないはずで、中吊りも当り前か。
  
<南信州のゲレンデ>
① 中央道伊那スキーリゾート(伊那市) 標高890m~1030m
   クワッド1本+ペアリフト1本
② 駒ヶ根高原(駒ヶ根市) 標高890m~1030m リフト2本
   
③ あららぎ高原(下伊那郡阿智村) 標高1150m~1300m リフト1本
   
④ ヘブンそのはらスノーワールド(長野県下伊那郡阿智村) 標高1420m~1590m
   クワッド1本+ペアリフト3本 (登はんゴンドラ 標高800m~1410m)
   
⑤ 治部坂高原スキー場(下伊那郡阿智村) 標高1160m~1340m リフト2本
   
⑥ 茶臼山高原スキー場(北設楽郡豊根村) 標高1210m~1350m リフト2本
   
というわけで、香嵐渓の紅葉狩りを楽しんでも、スキー場の広告は必ず見逃しません。
南信州の山地は、南アルプスのような三千メーターに匹敵する山塊を持たないので、なんとなく標高が低そうなイメージもあるのですが、日本百名山の恵那山(標高2191m)も堂々と存在しますし、この地域のスキー場の標高だけを見ても、リフト山頂付近で必ず千メーターを超えますので、これにスノーマシンで人口雪でも降らせておけば、安定してシーズン中はオープンできるんじゃないかと思ったのでした。



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2017年11月23日木曜日

”それっ、早く言ってよ~”とCMでも言ってたけど、顧客管理のようなカード型デー タベースの需要は、まだまだあるぜ - The Card (アスキーサムシンググッド社・ そのほか)

これがTheCardの実例だって

今宵は、一つ、もしパソコンの世界に縄文時代があったとして振り返ってみます。
昔々、自分は、NEC製のPC-9801シリーズのパソコンを仕事で使っていました。

もう三十年も前の話で、ウインドウズも未だ先の話で、マルチタスクもありません。
起動させるシステムが、MS-DOSと呼ばれており、フロッピイディスクを使いました。
ガシャガシャとデータを読ませていた時代ですが、フロッピーすらなくなってしまった。
フロッピーで一枚、たった1.44MBのデータ量を読みのに、一分以上掛かります。

しかも、他のプログラムを動かしたかったら、フロッピーを差し替えねばなりません。
まあ、こんな非効率なパソコンでも、OA化で事務効率が向上するというのです。

思い出すのは、ワープロは一太郎、表計算はロータス1-2-3が定番の時代。
エクセルの前身のMultiplanなるソフトもありましたが、ロータスが圧倒的でした。

とにかく、CPUが非力で、画像出力もグラフを出せるのがせいぜいなところです。
動画を見る夢のまた夢で、十年も二十年も先の話だったのを思い出しました。

つまり、パソコンは、もっぱらテキストデータの管理が主力だった時代の事務機。
ラップトップPCもないし、オフィスの隅っこに置いて、みんなで共用していましたな。

左から、8-5-3.5インチの各FDサイズ

そんな時代、”The CARD”なるカード型データベースソフトが、発売されました。
表計算ソフトでは、各行の項目に移動しながら入力しますが、これは違います。

カード上の画面に入力に必要なセルの項目が配置されており、終われば登録。
パソコン内部のメモリーにデータが蓄積されて、必要に応じて作表もできました。

登録した情報は、紙のカードをめくるように、一件一件を移動させて見られます。
まあ、台帳の管理などに便利と分かって、会社で購入してもらったのが懐かしい。

それから、販売店に頼んで、アスキーから講師を呼んで講習会まで開きました。
女性の営業部長で、苗字が”弦”と書いてあったので、珍しく未だ覚えています。

それで、社内で三回に分けて三十人くらい参加してくれましたが、盛況でした。
このソフトを何に使ったかと言うと、試験成績の登録に役立ったと思いますな。

そんなソフトも、ウインドウズ版のVer8.0を最後に消えてしまったのが実に残念。
愛用者だったし、このソフトのマニュアル・CDまで捨てずに保管しておるのです。

愛好家達の掲示板サイト

未だに使い続けている人も多くて、そういった愛用者のサイトまで見つけました。
そこでは、この十一月に、最終版のCDをメルカリに出品と掲示板にありますな。

カード型は、表のように全体を見渡す作業が必要でない時に、本当に便利。
だから、件数が溜まって肥大したデータは、件別にカード化して見たくなります。

それで、エクセルの隠れ機能として、カード閲覧は意外に知られておりません。
見出しの範囲を選択して、ショートカットキーで、Alt+A+D+Oと押します。

すると、カードが現れまして、件別に移動できたり新しいデータの登録も可能。
ただ、列を飛び飛びで選択したカード表示は出来ないので、ならばマクロです。

やぱり、エクセルを使いこなすのだったら、VBAを少しぐらいは覚えましょうか。
なので、参考までサンプルコードをこさえてみたので、お使いくださるとうれしい。

非常にシンプルな構文ですから、現在使用中の表に加えるのも楽な話です。
というわけで、懐かしいカード型データベースを思い出して、一気に書きました。

というのも、インドの合弁会社から送られてくる議事録が、エクセルの表形式で作られており、会議が連続すると、とふんどしみたいにだらだらで内容がぶら下がって来る始末で、何が書いてあるのか、さっぱり分からなくなるし、それを改善するためにユーザーフォームをぶち込んでみた分けでして、そんなことからカード型データベースの記憶が蘇ってしまい、つい投稿してしまったということなのでした。


<VBAサンプルコード」>
Alt+D+Oキー呼び出し結果
VBAによるユーザーフォーム

①ユーザーフォーム1(書式・表示の設定)

Dim i As Long
Dim j As Long
Option Explicit
'変数宣言
--------------------------------------------------
Private Sub CommandButton1_Click()

'記録したデータ(行)を再登録させない(変数 i, j の利用)
If j > 1 And j < i Then Exit Sub

ActiveSheet.Cells(i, 1).Value = UserForm1.TextBox1.Value
ActiveSheet.Cells(i, 2).Value = UserForm1.TextBox2.Value
ActiveSheet.Cells(i, 3).Value = UserForm1.TextBox3.Value

'登録後、各ボックスをクリア
UserForm1.TextBox1.Value = ""
UserForm1.TextBox2.Value = ""
UserForm1.TextBox3.Value = ""

End Sub
---------------------------------------------------
Private Sub SpinButton1_Change()

'登録データの最下行より一つ下の行番号を取得
i = ActiveSheet.Cells(Rows.Count, 1).End(xlUp).Row + 1
      
'スピンボタンで移動させる行番号の最大・最小値の設定
    UserForm1.SpinButton1.Min = 2
    UserForm1.SpinButton1.Max = i

'スピンボタンの押し下げに対応した、行列のデータをボックスに表示
UserForm1.TextBox1.Value = ActiveSheet.Cells(SpinButton1.Value, 1)
UserForm1.TextBox2.Value = ActiveSheet.Cells(SpinButton1.Value, 2)
UserForm1.TextBox3.Value = ActiveSheet.Cells(SpinButton1.Value, 3)

'スピンボタンの値を変数で登録
j = SpinButton1.Value

End Sub
---------------------------------------------------
Private Sub UserForm_Initialize()

'テキストボックスの初期値を設定
'ブランクが良いなら、""
UserForm1.TextBox1.Value = "Item A"
UserForm1.TextBox2.Value = "Item B"
UserForm1.TextBox3.Value = "Item C"

End Sub
---------------------------------------------------

②Module1(クリックボタンでユーザーフォームの表示)

Sub Button1_Click()

Load UserForm1
UserForm1.Show vbModeless

End Sub

※日本語のエクセルでは、”ボタン1_Click”と出ますが書き換えています。
理由は、インド人へサンプルコードを渡す時に、日本語ではエラーが出るため。



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2017年11月20日月曜日

もういいかい、まーだだよって、オープンしたゲレンデにはやる気持ちを抑えつつの日々 - 舞岡公園の楓紅葉(栄区・横浜市)

舞岡公園の紅葉

昨年の十一月末、舞岡公園を訪れたら、紅葉の盛りをやや過ぎていました。
なぜかというと、横浜では五十四年ぶりに十一月の初雪になりましたから。

雪化粧の街並みも美しく、街路樹の紅葉とのコントラストが記憶に新しい。
しかし、早すぎる雪が仇となって、それ以降が暖冬になってしまいました。

スキー場オープンだって意外に遅れ、正月休みに上越国際がクローズでした。
そして、こんな時にスキー旅行を敢行したので、滑られたのは奥只見丸山。

残りは、赤倉へ遠征して滑ってみたり、関温泉のゲレンデは雨で諦めました。
だから、順当に寒くなるのが適切で、今年の寒波が来るのはの妥当ですなあ。

ただ、これまで寒くなるのものんびりとして、紅葉もゆったりな色づきです。
あと一週間も経てば、おそらくは去年と似たり寄ったりの色映えになるはず。

それで、天然雪だけによるスキー場オープンが一番早いのはどこだったのか。
北海道では中山峠と大雪山層雲峡・黒岳なら、内地は志賀高原熊の湯でした。

驚きなのは黒岳でして、積雪がもう一メーターを越えてしまって新雪なのだ。
ベースが標高千メーターを越えており、リフト山頂駅は標高千五百メーター。

だから、寒波が少しでも入れば、雪がどさっと降ってくれてオープンなのよ。
時期的に見ても、月末にオープンした年もあるので、比較的早い方でしょう。

中山峠と一緒に、オープンした日を紹介した投稿があるので、参考にしてね。
ところで、 ゲレンデ条件が不安定な頃は、滑りに行くのがギャンブルに近い。

しかも、レンタカーで出かける自分ですから、スタッドレス装備が必須なの。
この時期、このタイヤ装備の車種なんか未だないので、年末からが本番です。

というわけで、スキーネタより舞岡公園のカカシコンテストの方が、面白い。
ずらずら写真を貼ってみると、横浜にある里山のほっこりとなごむ風景です。


というわけで、今シーズンはどこを滑ろうか、思案し始める今日この頃です。
西日本のゲレンデだと、雪質にあまり期待は出来ないのですが、昨シーズンの広島ゲレンデ行脚に続けて、大山や神鍋・ハチ高原など未だ滑ったことのないゲレンデもあまたにあるので、どこを攻略しようかと言う、物好きで果敢な熟年スキーヤーの自分がいるのでした。


おまけ:
雨がどしゃ降りで滑られなかったのだ
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2017年11月17日金曜日

ハトもピカソの絵が分かるし、バウリンガルで犬の気持ちが分かるようになったのも、あくなき探究心があったればこそのお話 - イグノーベル賞(そのほか)

     
11月といえば、日本人にとっても、ノーベル賞月間としてお馴染みになりました。
ここ三年、連続で受賞者が出てきましたので、四年連続の期待もあったのです。

ところが、蓋を開けてみますと、全く受賞者がでずに残念な結果となってしまった。
文学賞だって、今年こそ村上春樹だと、ハルキストが発表前夜に集まりました。

でも、カズオ・イシグロと発表されてしまい、うーん、英国籍の日本人だとはなあ。
ご両親も日本人だし、DNA的に人種的に見て誇らしいと思えなくもありません。

まあ、それで溜飲が下がる気もしますが、他方、十一年連続受賞がありました。
それって何なのよ、と思われるかも知れませんが、イグノーベル賞という際物なの。

英語なら、"Ig Noble Prize"なんだけど、"ignoble"の形容詞から来ております。
この単語、不名誉な、恥ずべき、と言う意味ですが、ノーベルのパロディーだな。

片や、人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究に対して、与えられるのだそう。
どちらかというと、こんな研究をまじめにやっているのかと思わせる受賞ばかりです。


それで、どうして11年間も続けて、日本人が受賞できたのか、考えて見ました。
まあ、自分達は好奇心の塊だし、功利的な発想で学問を見ようとしないからね。

憲法九条では、軍産複合体の研究もできなかったし、産学協同も平和的です。
しかも、江戸時代の二百数十年間は戦乱も無くて、庶民文化が花開きました。

一例を言いますと、朝顔栽培では、メンデルの法則を経験的に知っていたらしい。
つまり、花弁が変化した朝顔を、系統的な遺伝を察して作り出していたようです。

その他、趣味の算術計算も流行しており、幾何学の難題も編み出されました。
そして、これを解いた人がその内容を算額に自慢して、神社に奉納していました。


これって、幾何の計算を土木工事に活用する意図もなく、ただの趣味なのです。
世の中が平和すぎて、経済的にギスギス発展しなかったのが、良かったのかなあ。

まあ、そんな日本の風土だから、現在の研究にまで引き継がれたものがあります。
受賞一覧を見ていただいても、ただただ、興味の赴くままに極めようとしたみたい。

でも、誰かがやらないと、なぜなのと言う疑問が解決されなかったようにも思えます。
他にも、江戸時代の下肥(人糞)肥料の流通を学術研究したのも、ナイスですなあ。

下肥問屋という糞尿売買の商人が、船頭から下肥を買い付けていた経路です。
環境にやさしいとか、リサイクルの活用とか、経済的な効用を考えれば大切だよ。

というわけで、故郷の北海道大学では、ダブル受賞の名誉に輝いていたのでした。
ノーベル賞では、鈴木クロスカップリング反応により鈴木名誉教授が、そして、イグノーベル賞では、単細胞生物の粘菌が迷路を解いたり、その菌が作るネットワークに実際の鉄道網との共通点を見い出した中垣教授が、そして今年度は、「生殖器逆転」の昆虫を発見した吉沢准教授が、それぞれ受賞しているのですが、人間の英知を豊かにするのには、どんな研究にだって、それなりに十分な価値があるのだと思ったのでした。



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2017年11月14日火曜日

実在しないのに、みれば天地の気が宿るようにも思えてくるのが、龍神たる所以なんだろうね - 天心記念五浦美術館 「開館20周年記念 龍を描く-天地の気-」(北茨城市・茨城県)

川合玉堂 "雲龍図”

日本でも、龍は神格化した存在としておなじみですが、起源は古代中国です。
漢字で書くと、冠をかぶった蛇の姿を表しており、本来は竜が原字に近いとか。

かつて、中国の揚子江に生息していた鰐の姿を、象ったものと言われています。
その後、鰐は絶滅してしまい、爾来、想像の世界で生き残るようになりました。

それを考えると、ワニの体形を見れば、竜がオリジナルだというのは分かります。
それから、様々な模様や装飾が加えられて、字形は威厳を持ち始めたのかな。

まあ、神格化した中国の龍は神獣、霊獣であり、皇帝の象徴でもありました。
一旦、シンボルとして扱われたのなら、おごそかな字に変貌したのも納得です。

ところが、共産党支配の中国では、簡体字の採用で、「龙」が用いられました。
画数が少なくて無学者にもすぐ書けそうな字ですが、何と粗末な字でしょうか。

そんなことを思うと、現代の中国は、かつての支邦(シナ)ではないのでしょう。
漢民族を象徴した所産である繁字体を捨てた民に、もはや龍は不要なのか。

清王朝の国旗”黄龍旗”
ブータン王国の国旗(雷龍)

ならば、この字を人名漢字に採用している日本へは、ぜひご動座いただきたい。
昇竜のごとく天に登り、そして、豊葦原の瑞穂の国、日本へ降臨していただく。

そんな風にも思いますが、想像の龍は、古くより決まった姿で描かれてきました。
龍のひげもそうですが、持っている玉、龍玉(りゅうぎょく)も必ず描かれますね。

そういったワンパターンで描かれているのに、龍の水墨画は色々と見ると楽しい。
画家の想像する伝説の龍達は、あたかも自在のように空を舞うかのようです。

そして、そんな美術作品ばかりを集めた展覧会が、現在、開催中なんですわ。
場所は、茨城県の天心記念五浦美術館で、期間は26日までと残り少ない。

観覧して来ましたが、出展作品を描いた画家を、意外に見知っておりました。
だって、テレビ東京の「お宝鑑定団」で紹介されていた芸術家がかなり多いのだ。

中でも、小堀鞆音、この人は武人の動きを描くために、武具まで自作しました。
鎧や兜の構造、機能を分析して、武士の本当の動線を描きたかったらしいよ。

小堀鞆音、経政詣竹生島

確かに、出展作は、紐で結わえた大袖の描き方が、非常にリアルで納得です。
番組でも、武具がこまごまと並んだ、当時のアトリエ写真も紹介されていました。

それから、鮎を描いて右に出る者なしと謳われた絵師、小泉斐の龍もあります。
お宝鑑定団では、真作だと鑑定されましたが、本人の作品は始めて見ました。

この他、横山大観、小林古径、下村観山、菱田春草など、何れもおなじみ。
それも、鑑定団で紹介された画家ばかりなので、なおさら、愛着も湧きました。

というわけで、想像の動物なのに、画紙や画布の上で龍が躍動しておりました。
ところで、来日したアメリカのトランプ大統領は、今や安倍 晋三首相を信頼して、かれの提唱するアジア外交、安全保障の政策を踏襲、支持しているわけですが、これぞ、我が日本国が再度、昇龍になり始めたきっかけかも知れず、そういう時期だからこそ、この展覧会を見に行くべきなんだと思ったのでありました。


おまけ:
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