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| 昭和63年1月30日滑走 | 
いきなり、最大38度の壁が立ちはだかります。
平均斜度も25度ですから、中級者も寄せ付けないでしょう。
たったシングルリフト三本だけのこじんまりとした縦線形のスキー
上がると、多少は緩やかになって滑られました。
つまり、競技志向が強くて軟派は寄せ付けません。
バリバリの硬派だけが許されたスキー場だった気もします。
確か、ゲレンデ整備の圧雪車も入っていませんでした。
だって、最初の壁から登りあがるのは無理でしょう。
だから、ゲレンデ全体のコンデションも滑るがままでした。
多かれ少なかれ、波打った起伏のこぶが作られています。
新雪も積もるだけなので、こぶの上を隠していきます。
だから、滑るとそのこぶが分からず制動に難儀しました。
こういうスキー場へすべりに行く物好きは、少ないでしょう。
滑っていた人は、私以外にいなかったと思います。
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こんなスキー場でしたが、後年、ゴンドラが掛けられました。
しかも、鳴子スキー場と改名されてリニューアルです。
きっかけは、宮城県の国体スキー大会に間に合わせたのです。
でも、
しかも、標高がさほど高くないせいか雪質もベタ付き気味です。
だから、十年もしないうちに閉鎖・廃業となってしまいました。
やさしいコースも増えたし、
ちょっと、さびしい気もしました。
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今となっては、すぐそばの日本こけし館を訪ねるぐらいです。
あるいは、鳴子温泉の共同浴場”滝の湯”
いや、登山という手が残っていました。
あの山頂は、一等三角点で見晴らしがいいはずです。
しかも、東北の秋ですから、紅葉も期待したい。
今となっては、スキー場より山登りに魅せられた気もしました。
おまけ:
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