昭和63年1月31日 |
このスキー場、リゾート開発の典型例でしょう。
政府の全国総合開発計画にタイアップしたようです。
時は、バブル経済の昭和五十年代後半。
このスキー場のある旧鳴子町も、対象地域になりました。
名づけて、リフレッシュリゾートオアシス21です。
ええ格好しいですが、要するに観光開発です。
日本人はわが世の春とばかり、浮かれてましたよ。
儲かったら不動産に再投資して、また一儲け。
そんな行け行け実業界も、つい行楽が派手になりました。
カタカナ言葉に釣られて、リゾートで週末を過ごすのだ。
新幹線だって東北に延伸されて、距離は苦にならない。
こんな背景が、天下の三菱地所さんを動かしました。
その名もオニコウベ、鳴子温泉の北側に位置しています。
実際の表記は鬼首でして、ちょっとおどろどろしい。
はるか昔、ここは鬼切部(おにきりべ)だったとか。
城跡も残っていて、陸奥の俘囚、安倍頼良が造りました。
当然、前九年の役(1021~1062) で合戦場にもなったのです。
そんなはるかな歴史の名残ですが、温泉は湧き続けます。
間欠泉にしろ、地熱発電所にしろ、湯量は豊富です。
それなりの観光地ですが、残念、地の利が良くない。
だから、新幹線の新駅くりこま高原誕生が物をいいました。
リゾートホテルに、 ゴルフもスキーも楽しめる通年型として誕生です。
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とまあ、 出だしは華々しくてもバブルが弾ければどうにもならない。
宿泊客も尻すぼみで減少して、経営も苦しくなります。
結局、平成16年度は売上げに対して、 損失額が九割近くに達しました。
こうなると、事業の切り離しで、 他社へ譲り渡すしかなくなりました。
ちょっとさびしい経緯なんですが、 スキー場は無事に生き延びました。
ただ、ゲレンデが整理、縮小されたのがちょっと残念です。
自分の滑った頃は、頂上までテレキャビン(ゴンドラ) もありました。
他には、リフトが四本廃止されて、規模が小ぶりになっています。
もっとも、コースとしては無理した設計も感じられました。
先ず、ゴンドラであがると降りるコースが上級中心になります。
上部のゲレンデも斜度はありませんが、幅が広くありません。
馬の背にあたる稜線を切り開いた感じでしょうか。
ちょっと混んでくると、初中級者にはむずかしい気もしました。
つまり、コース配分のバランスがよくないということでしょうか。
もっとも麓のゲレンデは、緩斜面でファミリーには最適です。
リゾートホテルも温泉ですし、家族向けがメインなのでした。
まあ、このスキー場へは仙台に住んでいたのでよく通いました。
リゾートとは無関係に、 ただの滑走ジジイですから日帰りだったということです。
おまけ
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