2015年4月28日火曜日

一般参加で発掘されたナウマン象の化石は目と鼻の先にあったのだ - タングラムスキーサーカス(その二、タングラム斑尾)(長野県)

野尻湖博物館パンフ
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このタングラムのそばには、野尻湖という風光明媚な小ぶりの湖があります。
上信越高原国立公園に指定された飛び地が湖になっていて、夏の景勝地です。

芙蓉湖ともいいますが、岸辺の出入りが多くて俗に四十八崎といわれるせいです。
芙蓉の葉は、多くて七つの切れ込みを持つ特徴があって、姿形が似ています。

湖を周遊する県道が西岸を走っていますが、カーブも多くてなるほどと思いました。
最初に訪問した際、冬の雪道は車線も狭くカーブが多くて、怖い気もしたのです。

グーグルマップですと、新潟県に入って妙高高原から走った方が走りやすそう。
なので、スキー場へ出向くには、冬場は野尻湖を経由しないほうが無難でしょう。

さて、この湖が全国で有名になったのは、むしろ観光でなくて考古学の分野です。
昭和37~41年の間、この湖で大規模なナウマン象の化石発掘が行われました。

クリックすると拡大します

本当は、全国のあちらこちらで発見されているのに、なぜか野尻湖だけ有名です。
実は、全国的な支援組織をつくって発掘を続けた見事な戦略があったからでしょう。

最初の発見も湖の中から発見されたため、報道ネタとしても大きなトピックでした。
そして、 古生物学者の井尻正二氏が、野尻湖発掘調査を指導したことが大きい。

この発掘調査は、専門家以外も参加できる「大衆発掘方式」の先駆けになりました。
しかも、ご本人は高名な著述者で、「野尻湖のぞう」の児童図書も出版しています。

この本ですが、たいていの小学校図書室にはおいてあったんじゃないでしょうか。
自分も読みましたし、著作の「化石」という岩波新書も読んだのを思い出しました。

その後、北海道忠類村(当時)では、ほぼ一頭になる個体骨格が発掘されました。
北海道出身ですから、地元で大ニュースになったのを未だによく記憶しています。

虫類ナウマン象記念館MAPPLE観光ガイドから

その後、復元された骨格が22体と多く、海外の博物館にも展示されているようです。
一方、野尻湖でも七八割に当たる骨格が発掘されていると紹介されていました。

ただ、発掘した化石部分を集積した結果のようで、個体ではないかもしれません。
まあ、全身骨格の復元の先駆けになったのだし、野尻湖の業績は大きいのです。

というわけで、かつて野尻湖には、ナウマン象が悠々と闊歩していたのでした。
実は、この湖といえば、合宿中の大学生男女二人が、水温五度しかないのに 悪ふざけで湖に飛び込んで死亡した事故が起きていて、直近で記憶に新しいのですが、ゲレンデネタにするにはあまりに後味も悪く、他方、ナウマン象にはぜひ触れておきたい個人的な気持ちもあり、こつこつタイプする自分がいるのでした。


おまけ:
小学校の図書館に必ずありました

※おわび(H27年4月30日):
載せる資料の順序を間違えたので、原稿の内容が一致せず訂正させていただきました。



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2015年4月25日土曜日

中京方面からのスキーヤーならアクセス改善の権兵衛峠越え - 野麦峠スキー場 (長野県)

平成3年1月11日滑走

このスキー場は、自分なりにアクセスルートに思い出もあり、触れてみたいのです。
自分は首都圏が住まいですから、先ず中央道に乗ってから松本ICで降りました。

後は、上高地へ向かう国道158号線を経て、奈川渡ダムをそれるとスキー場です。
ところで、このダムは国道が通過しており、寄り道になりますが渡ってみても面白い。

黒部ダムと同じアーチ式の形状で円弧を描いており、高さも日本で三番目になります。
一般的には天端道路と呼ぶのですが、実際に運転するとゆるいカーブが分かります。

スキー場までは距離を測ると、二百数十キロはあり、実働六時間の運転でしょうか。
かなりのロングドライブですが、日帰りができたのも二人交代の運転だからでしょう。

疲れましたが、縦に長く滑走距離の楽しめるゲレンデと日帰り温泉を堪能しました
他方、中京方面からなら、当時は、国道19号線を延々北上したのかもしれません。

それでも、距離は二百キロ未満で、東京から清里高原にあるスキー場程度で近い。
当時の道筋はそうだったのですが、現在のルートナビは中央道を使う指示が出ます。

クリックで拡大します

これですと距離は長くなりますが、所要時間が三十分の節約になりラクになりました。
伊那ICから国道361号線の権兵衛峠トンネルを越えますが、開通は平成18年です。

設計速度が時速80キロで高規格道路になりますから、運転はスムーズでしょう。
自分の出かけた当時、トンネルは着工されておらず、二つの谷は往来が不便でした。

古来、木曽地方は米が獲れないので、伊那から権兵衛峠越えにより運んでいました。
険しい難所で、行き交う人が転けて鍋を割ったことから「鍋懸峠」とも呼ばれたらしい。

その後、経ヶ岳林道の開通で自動車も通えるようになりましたが、冬季は閉鎖です。
そんなことから、つい最近まで名古屋からスキー場へは中山道経由だったのでした。

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さて、このルートでは、県道を経由して最初にやぶはら高原スキー場に到着します。
そこからは、半時間程度ですし、この辺りに宿泊すれば、ゲレンデ選びに幅も出ます。

この野麦峠ですが、クワッドリフトのスカイライナーが中心で、距離が1.6キロと長い。
このリフトから第六リフトへ乗り継ぎますが、現時は高速ペアに替えられていました。

最高地点も標高2130メーターまで引き上げられ、積雪のコンディションは申し分ない。
たてに長く、最長滑走距離が4キロに達しますので、思う存分に滑ってみてください。

というわけで、野麦峠といえば”あゝ野麦峠”の映画をつい思い出してしまうのでした。
大竹しのぶが主演したのですが、製糸工場の労働環境が劣悪で結核に冒されます。

病人になって働けず、物置小屋に放り出されてしまうなど、実に悲惨な時代でした。
最後には、実家の飛騨に帰るために兄が迎えに来るのですが、死の直前までほほもこけずにぷっくりし過ぎているのが妙で、死ぬようには全く見えなかった不自然さが、未だに記憶の片隅に残っており、この連想もまたゲレンデを忘れさせないのでした。


おまけ:
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2015年4月22日水曜日

木祖と木曽って、隣り合ってわずらわしい自治体だな - やぶはら高原スキー場(その二) (長野県)

平成5年3月13日滑走

このゲレンデのある木祖村は、お隣が木曽町で、同じ読みで仲良く並んでいます。
実は、この村も平成の大合併構想で、木曽町に加わる予定ではあったのです。

ところが、住民投票では反対派が多数を占めたので、合併協議から離れました。
その結果、おらが村として自立を目指すことになり、現在までに至っております。

やはり、木曽川源流の里が命名の由来になった村ですし、プライドもありましょう。
住民たちの気概で、合併運動へ反旗をひるがえし、独立独歩を選んだのでした。

そんなこだわりの村にあるのが、やぶはら高原スキー場なのですが、歴史も古い。
戦前、昭和五年のオープンと村の年表にも紹介されており、米寿はもうすぐです。

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何といっても、リフト名に国設第一~三の懐かしさを感じる名称が残されています。
ただ、ほかは、ダイヤモンドライナー、さつき、丸山で、あまり統一性がみられません。

面白いのは、索道会社の樫山ダイヤモンドリフトが設営したクワッドの命名です
社名のまんまで名づけられていますが、同様に丸山は丸山さんの設置でしょうか。

ちょっと名称がバラバラで野暮ったいのですが、村営だったせいかもしれません。
だから、逆に昔ながらにおらが村のゲレンデをイメージ的に引きずっていて面白い。

これも、木祖という村の名称を捨てるには忍びなかった地元のこだわりでしょう。
まあ、CIでも導入して、施設全体の名称を刷新すべきだったのかもしれません。

やぶはら高原の名称も、市街地の薮原から来ているはずで、地元密着でした。
他方、マスコットは、FOXくんから、ヤビーとヤブーのペアに愛称が変わりました。

これも、経営が村営から民営に転換したきっかけで、行われたのでしょうかね。
それでも、やぶはらのヤブに引っ掛けようとしたあたり、まさに地元愛密着なのです。

ヤブー君

というわけで、斜度のゆるい初心者コースが、道路沿いに続くのが印象的でした。
これから、急な斜面がせり上がってゲレンデが構成されますが、コースは豊富です。

国設リフトを乗り継げば、斜度も急になって最高地点は標高が千七百メーター。
そこから、滑走距離も長く取れますので、飽きずに一日滑って十分に楽しめます。

そんなスキー場の思い出なのですが、帰りに木工文化センターも立ち寄りました。
パンフレットには、風光明媚な里を魅力にした日曜画家の村もPRしております。

つまり、昔から村おこしにはかなり熱心だったようで、一年を通して観光客誘致を図って来たのでしょうから、今後もこのスキー場には、ウインターシーズンの目玉として村に貢献して欲しいなとも、思うのでした。


おまけ
リフト券(裏面)
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駐車券



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2015年4月20日月曜日

目新しく、ちょっとおしゃれなクワッドリフトに乗っ​て興奮した - やぶはら高原スキー場​ (その一) (長野県)

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このスキー場は、設置した高速クワッドが珍しく、樫山ダイヤモンドリフト製でした。
自分としては初めて乗ったリフトで、デザインの随所が興味を引き立ててくれます。

一方、索道なら、伝統的にヨーロッパアルプスのお膝元の企業が知られています。
オーストリアならドッペルマイヤー社で、対抗はフランスのポマガルスキー社でしょう。

他方、日本の大手索道メーカーも、これらの企業と業務提携を結んできました。
日本ケーブルは前者の企業で、安全索道は後者と長年の関係にあったのです。

まあ、この二つの施工実績では日本全国に及んでおり、よく見かけるはずです。
仮に、スキー場でリフトに石を投げたら、どちらかに必ず当るんじゃないでしょうか。

それほど、ありふれた設計デザインですが、一般の人は単にリフトだけと思います。
どんな企業で、特徴がどこなのかは、二の次でしょうし、単に乗れればよいのです。

そう思うと、自分が乗り物好きゆえ、気になって気がついたというだけなのでしょう。
子供の頃、ロープウェイの改札口に飾ってある索道の見本を飽きずに眺めました。

鋼鉄のワイヤーを数多く撚ったロープの断面も太く、とても興味を覚えたものです。
どのように百人近い乗客を山頂へ運ぶのか、技術的な関心は尽きませんでした。

さて、このゲレンデは、イタリア・ライトナー社の設計による索道が施設されました。
同じくアルプスのお膝元の工業国ですが、日本では余りなじみのない会社です。

このため、人口降雪機で定評の樫山工業が、探し当て提携したのかもしれない。
あの頃、同社は、トータルでスキー場をサポートするメーカーを目指していました。

つまり、スキーリフトは、営業戦略上、拡販に不可欠な製品になったということです。
まあ、日本人ならイタリアはファッションブランドの方が先行していなくもありません。

アルマーニ、フェンディはファッションで、一方工業製品はフィアットぐらいでしょうか。
そんなお国柄のリフトが日本に紹介されたのですが、デザインがやはり違いました。

パンフレットの抜粋
詳しく冒頭のカタログから

カタログに紹介された搬器とロープを固定する握索装置が、実にイタリアっぽい。
工業製品とはいえ、部分に丸っこい流麗なデザインは、この国ならではでしょうか。

それ以外では、クワッドリフトの山麓・山頂駅の設計が、他社とかなり違いました。
搬器の乗降時、ケーブルから脱着されるメカニカル構造も巧妙に隠されています。

一方、他社は無頓着にむき出しな部分が多く、機能優先なのが騒音が大きい。
建屋自体も流線型スタイルで、いかにも高速リフトの印象が表現されていました。

言うわけで、設計や意匠が、お国柄しだいで重厚だったり洗練されたりしています。
リフトもその例に漏れず、イタリア製はなるほどなーと感じずにはいられないデザインだったわけですが、このリフトも老朽化には勝てず、架け替えられるようですので、だんだんライトナー社の索道も見られなくなるかと思うと、少しさびしくも思うのでした。


おまけ:
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チェアリフトの固定式握索装置も洗練された雰囲気

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注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


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2015年4月17日金曜日

どうせ出かけるのなら、中尊寺の金色堂も黒滝温泉も出かけてみたい - 国見平スキー場 (岩手県)

平成4年1月4日滑走

岩手県は、北海道を除いて都府県で最も大きいので、意外に思ってしまいます。
ただ、江戸時代、南部を伊達藩が治めており、北部は南部藩の領地でした。

それで、この地域へ出かけますと、県北と県南が何となく違うような気がします。
特に、城下町水沢は、「みちのくの小京都」と呼ばれ、武家屋敷も残っています。
明治期の頃は、一時期、水沢県の県庁所在地で、この地方の中心地でした。
もっとも、平安時代までさかのぼれば、奥州藤原氏が栄華を誇っていたのです。

平泉中尊寺がその名残ですが、県南は文化的に歴史が古いのかもしれません。
この背景には、穏やかな気候が背景にある気もして、宮城県に似通っています。

実は、このあたりは雪が少ない地域で、この国見平も意外に標高があるのです。
東北地方でも、太平洋側のため根雪になるのが遅く、雪は降っても融けやすい。

かつて住んでいた宮城県も同じで、仙台平野には雪もあまり積もりませんでした。
このため、規模のあるゲレンデが意外に少なく、めぼしいのは夏油高原でしょうか。

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そんなエリアの事情で、このスキー場は、地元の人には結構、知られています。
ただ、首都圏からこのスキー場だけを目指してくる人は、ほとんどいないでしょう。

このため、当時のガイドブックの扱いが小さく、目的のルートが良く分かりません。
当時は、道路地図のまっぷる(昭文社)を使いましたが、縮尺が粗いのです。

十万分の一位の地図帳では、国道はともかく、県道の情報には苦労しました。
このスキー場もそうでしたが、幹線道路から外れ、延々と山道を上っていくのです。

行き先案内板も頼りですが、道を間違うと冬季閉鎖で行き止まりだったりします。
道路通行も電話サービスがあればマシで、運転しないと分からない時代でした。

さて、運よくたどり着けたものの、何とゲレンデの頂上に駐車場があったのです。
カーブが多いし道幅は狭いし、怖い思いで運転したのですが、変に納得しました。

ゲレンデは、山頂を起点に滑り降り、三本のリフトに乗り継ぎしながら滑ります。
索道の距離も較的長く、滑走距離もそこそこあって楽しく滑ることができました。

ただ、スキーブームの最中だったとはいえ、お客さんもかなり少なくて驚きました。
地元紙の積雪情報欄にも掲載されていたのですが、PR不足だったのでしょうか。

というわけで、現在は、リフトが二本になり、駐車場の位置も変わったようです。
ゲレンデの麓に駐車場があるので、あの山道を登りつめる必要がなくなりました。

国宝金色堂で有名な中尊寺も近いですし、地元以外の人がなかなか足を踏み入れることが無いような「黒滝温泉」も、温泉マニアにはおすすめですので、是非ここは出かけてもらいたいと思うのでした。

おまけ:
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2015年4月14日火曜日

館長より、バーチャル博物館の開館一周年を迎えて書き残しておこうと思った

谷川岳天神平にて春スキー(昭和60年頃)

正直に言いますが、中途半端な情報量でブログを書いているわけではありません。
私がブログをはじめて書き出した時に、あるブログにコメントで自己紹介しました。

そのブログは、スキー関連で名前が知られており、記事を楽しみにしていたのです。
それで、リンクを張らせていただいたので、よろしくお願いしますと挨拶しました。

コメント返しもいただいたし、うれしかったのですが、返事が一つ引っかかりました。
リフト券やパンフはできるだけ保存しているが、紹介できるほどではないかな.....。

面白そうだとは言ってくれたのですが、お手並み拝見といった書きっぷりなのです。
軽く見られたなと思いつつ、こちらは書き始めで、相手も分からなかったのでしょう。

これで憤慨したわけではありませんでしたが、逆に投稿の発奮材料になりました。
もともと、旅好きのおかげで、スキー以外の周辺観光パンフも大量に残してあります。

加えて、登山も趣味の一つだし、スキーだって山スキーもクロスカントリーもします。
登山も縦走キャンプが前提で登ったし、一応、アウトドア全般で楽しんで来ました。

県道ががけ崩れで河川敷を歩いた頃
全ページごらんいただけます

これを考えれば、スキー場ブログで始めたものの、話題は広がりやすい気もしました。
別にスキー場のスロープや食堂のメニューを紹介しても、どこも切っても金太郎です。

ならば、一般的な観光パンフまで紐付けて、ゲレンデ以外の地域情報も取り上げる。
ゲレンデの話に加えて、地域の観光、生活、文化、経済の話題まで広げてみました。

ゲレンデの話題を色々な角度から取材して、自分なりに面白いネタまで纏め上げます。
四半世紀前に滑ったゲレンデから、書き出しましたが、意外に当時を思い出せました。

多分、集めたパンフレットを眺めたりしたせいか、記憶の深層に残っている感じです。
こうして、密度の高い記事の更新を続けてこられたのも、膨大な資料のおかげです。

一方、上さんは、書斎がゴミ屋敷だから、整理して捨てろとせがまれてもいました。
ならば、電子データ化してブログ記事に紹介して、ネット博物館を開いてしまおう。

後は、機会を見ながら、パンフレットやリフト券も処分していこうじゃないか。
そんな、考えで始めたのですが、良く記事の更新が続けられましたなー。
自分でほめてあげたいくらいですが、ブログランキングも上位を維持してきました。
まあ、これだけ記事の物量投下をしたのだから、夢じゃなかったということです。

閉じたゲレンデを追憶する気もないし、ブログで思うがままに過去と現在を往来する。
他方、自分のスキー生活、人生の一部を記事に残しておきたかったのかもしれません。

というわけで、記事の更新はこりずに続けていきますが、まもなくシーンオフです。
それでも、今シーズンは積雪が豊富だったから、春スキーのシーズンは長いでしょう。

かぐらスキー場の営業期間は長い方ですが、、がんばっても五月一杯でしょうかね。
そして、月山の残雪スキーが7月までとしても、来シーズンまでブランクはできてしまう。

そんな時、こんなスキーブログを更新しても、読んでもらえるのか、少し不安にもなってきますが、いや、館長兼学術研究員なんだから、研究紀要だけは欠かさずアップすることにして、このバーチャル博物館の地道な運営を示して行こうではないかと、意気込むのでありました。




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2015年4月11日土曜日

ウエストバレーが廃止されても、イーストがサバイバルしてうれしい - 岩手高原スキー場(岩手高原スノーパーク)(岩手県)

平成4年1月2日滑走

ここは、岩手山の火山活動が災いして、六年間の休止を余儀なくされました。
二十世紀の初めに小規模な噴火をしてはいましたが、それ以降は平穏です。

ただ、平成10年に、活動が活発化して気象庁が臨時火山情報を出しました。
この影響も大きくて、噴火の危険性が重視され、スキー場が休止されたのです。

その後、火山性地震と地殻変動が衰えずに、平成15年まで長期化しました。
噴火も起きず、大したことが無かったのは幸いでしたが、運営者には打撃でしょう。

似たような兆候から噴火し、犠牲者の出た御嶽山と比較して実に対照的です。
そう思いますと、火山に対しては用心に越したことは無いということなのでしょうか

もともと、運営者の地産グループは、その前に会社更生法を適用していました。
事実上の倒産ですから、再開の目処が立たない施設は、風前の灯火です。

それでも、運営を引き継ぐ会社が現れた幸運さは、ここが観光地だからです。
雫石スキー場に加え、もちろん小岩井牧場、網張・鶯宿温泉が有名ですね。

これだけ一つの町に観光地が目白押しだと、宿泊施設も当然充実しています。
首都圏から離れていますので、宿泊客をターゲットにするのは当たり前でしょう。

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昔は、イーストバレーとウエストバレーの独立したゲレンデで構成されていました。
谷間がゲレンデを隔てていて、移動するには連絡バスに乗らねばなりません。

確か、センター前に停留場があり、一時間に一本の運行間隔だったと思います。
ウエストは、ゲレンデがリフト二本と小規模のせいか、出向く人もおりませんでした。

もっとも、ウエストの方が最初に開かれていて、昭和46年とかなり古いのです。
当時、岩手トーカンスキー場と呼ばれましたが、イーストのオープンは未だ先の話。

ようやく、平成二年になってからイーストが開発されて、ゴンドラも掛けられました。
スキーブームの頃、隣接する大型スキー場との競争がシビアになったのでしょう。

実際、すぐ隣は網張温泉スキー場、斜め向かいの山は雫石スキー場なのです。
こうして、ゴンドラで長い滑走距離を確保したくて、引っ越したのだと思いました。

というわけで、ウエストバレーは見向きもされず、イーストだけがサバイバルしました。
これも、規模の大きさから見て、ゴンドラがあれば先ず集客には事欠かないでしょうし、連絡バスで移動するなど時代遅れですから、已む無しといった感じもしますが、イーストだけは地域の観光振興で、是非がんばってもらいたいと思うのでした。


おまけ:
岩手高原スキー場一日券(裏)


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2015年4月8日水曜日

スタンプ集めて、ギフト券をもらって、販売促進のさきがけがオーナー - 飯山国際スキー場(長野県)

平成3年12月22日滑走

このスキー場の運営者は、リフト券を見ると、グリーンスタンプ㈱になっています。
何年かぶりで、この会社の名称を目にした気がして、懐かしく感じてしまいました。

昔は、加盟しているお店で買い物をすると、ポイント制のシールがもらえたのです。
最初に貼付ける台紙ももらえて、確かシールは全体に緑色をしていたと思います。

葉っぱのマークが中央にデザインされ、だからこそグリーンスタンプだったのでしょう。
子供の頃、母親と一緒に買い物に行くと、お勘定でつり銭と一緒に渡されました。

家に帰ってから、台紙にていねいに貼り付けるのですが、これが一つの楽しみです。
やがて、ある程度ポイントがたまったら、商品券と交換できるようになっていました。

グリーンスタンプ

確か、郵送で申し込みをしたか、お店へ直接持参して交換を頼んだと思います。
後は、この商品券が送られてくるのを、楽しみにしていたんじゃないでしょうか。

でも、ポイントをかなり貯めなければならず、いつも中途半端であきらめていました。
そんな懐かしい記憶が脳裏に浮かんで来たのですが、四十年以上も前のことです。

他にも、リスくんのマスコットが可愛いブルーチップのセービングクーポンがありました。
こちらはアメリカ生まれで五十周年を迎えましたが、創業が若干早いようです。

このようなスタンプビジネスは、高度経済成長の消費社会を反映したものでしょう。
消費者が王様になり、カラーテレビ・クーラー・自動車を持つのも理想になりました。

一方、お店もどうやって売り上げを伸ばすか、集客を真剣に考えたのだと思います。
もし、多くの店が共通にポイントできる制度に加盟すれば、拡販も期待できます。

そんな企画から始まったと思いますが、現在はそのシステム自体が進化しました。
今なら、ポイントも磁気やICのカードに登録するシステムが当たり前になっています。

それに、このようなプレミアムをサービスとして扱う会社も、数多く登場して来ました。
要するに、グリーンスタンプ社は、販売促進が支援の先駆け的な企業になりました。

しかも、貯めたポイントでカタログ商品を交換する発想自体、今もって普遍です。
でも、どうしてサービス支援の会社がスキー場までオープンさせちゃったんでしょうか。

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時は昭和43年、加山雄三主演の「アルプスの若大将の公開から二年後です。
当時、レクリエーションなどで会社単位のスポーツ大会やクラブ活動が盛んでした。

労組の催しなど、バスを借り切って大所帯で行くスキーツアーが人気だったのです。
一方で、この会社は、旧三和銀行系列の企業グループにも所属しています。

みどり会といいますが、メンバー会社の社員、家族向けに斡旋を狙ったのでしょうか。
実際、現在も関連会社に旅行代理店があるほどで、当たらずとも遠からじでしょう。

まあ、スタンプビジネスに関連付けて、開業させたのは間違いない気もして来ました。
ところで、このスキー場は残念ながら、平成14年に廃止されてしまいました。

市内からタクシーで五分の便利さですが、里に近いせいか雪不足だったみたいです。
近くには、大規模で雪に恵まれた斑尾高原スキー場もあり、どうも見劣りしてしまう。

リフト四本程度で比べれば、首都圏からあえてすべりに来るほどのこともないのか。
滑った時もスキー客はまばらで、本当に運営が大丈夫かと、本気で思いました。

さて、このゲレンデで特に思い出せるのは、たった220メーターの第四リフトでした。
瞬間的には、38度の急級斜面になるのですが、すぐに降り切ってしまう短さです。

今になって改めて思うのですが、本邦最短の上級コースだったに違いありません。
と言うわけで、斑尾高原の帰りに寄ったゲレンデは、静かでひっそりとしていました。

ゲレンデにはBGMすれ流れておらず、古びたリフトの金属製滑車がカランカランと響き渡っているのが妙に印象的でして、そんなスキー場の光景を思い出してしまうゲレンデなのでした。


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