平成5年2月14日滑走 |
このスキー場は、所有者がたびたび変わったみたいで、 名前も変更されて来ました。
ネットで丹念に調べましたが、その変遷を簡単な表にすると、 次のようになります。
昭和41年11月
TBS会館がTBS不動産に商号変更
”石打TBSスキー場”がオープン(TBS五十年史)
昭和49年12月
”小田急石打スキー場”が開業(小田急不動産)( 会社のあゆみ小田急不動産㈱)
平成3年頃
ファースト石打スキー場がリニューアルオープン( ファースト不動産に経営移譲)
平成17年
このシーズンを最後に休業。
約四十年の営業期間は、ゲレンデの集まる中越地方では短かったのかも知れない。
魚野川を挟んだ向かい側は、石打丸山スキー場で、 隣は舞子後楽園スキー場です。
規模の大きなゲレンデにはさまれてしまって、 リフト四本では地味な印象も受けます。
クワッドリフトもなく、三人乗りのトリプルがある程度で、 実に穴場的なゲレンデでした。
グーグルドライブはこちらから |
このため、空いている噂だったのに、 スキーブームの頃はそれでも混雑していました。
リフト待ちなんかも、十分ぐらいはあったでしょうか、 雪が降り止まない中を並びます。
山麓の駐車場から第一リフトで上がりましたが、 降りるとそこはメインのゲレンデでした。
第一リフトのコースは、中級で比較的斜度もあるので、 上部の様子がうかがえません。
いったん上がってしまえば、 残り三本のリフトが横並びに展開したコースレイアウトです。
それで、このメインゲレンデに民宿やロッジが集まっており、 少し不思議な気もしました。
なぜなら、リフトに乗って地形を見渡した限りでは、 接続する道路が見つかりません。
おそらく、このリフトを使って、 食料品や日用雑貨品を運び上げているのかもしれない。
そんな風に鵜呑みしてしまったのですが、 実際には連絡道路が背後に隠れていました。
ゲレンデマップの右側にも、 沢を曲がりこんで上ってくる除雪された道路があります。
グーグルマップでも確認したのですが、 付近は上ノ平らという地名さえ付いていました。
つまり、スキー場が開かれる以前から、 人々はここに暮らしていたということでしょう。
その後、ゲレンデが開発され、 住民は民宿やロッジを経営し始めたのかもしれません。
これを思うと、スキー場は上部のゲレンデが、先に開発されたような気がして来ました。
昭和四十年代は、マイカーブームだとはいえ、 高速もなく道路事情が良くありません。
国道17号線で三国峠越だし、 スタッドレスタイヤもなくチェーン装備が必要でした。
こうなると、鉄道のスキー列車が楽だし、 最寄の駅からは車の送迎があったのでしょう。
駐車場も不要だし、実際に上ノ平の集落には、 必要な平地も少ない感じです。
ただ、年月を経て関越道が開通して、 マイカーで乗り入れるスキーヤーも増えてきます。
当時のスキーブームでは、 千台収容のパーキングが宣伝文句になったりしていました。
こうして、ひとつ山を下った魚野川沿いの河岸を、 用地に手当てしたのかもしれない。
このため、連絡用がてら第一リフトを掛け、 そこに追加にコースを開いたと思いました。
だから、最初に初級コースがなくて、 後付けで中級コースになってしまったのでしょう。
ゲレンデマップを見る限り、平均斜度20度、 最大斜度35度とあり、初心者にはきつい。
これは、スキー修学旅行やファミリー向けゲレンデとしては、少し不向きな印象です。
仮に平均斜度がきついとしても、最初のスロープが緩ければ、 恐怖感も煽らないはず。
というわけで、関越道の塩沢石打ICから車で五分ほどと、 アクセスもかなりいいのです。
これを思うと、集客にはいい条件と思いつつ、 変則的なレイアウトが今一の印象でした。
一方、対岸はMt. グランビューやシャトー塩沢のような旧式然たるゲレンデが健在で す。
生き残りがダメだったのも、 運営者が不動産屋と言う厳しい銭勘定のせいでしょうか。
ついに、休止のまま再開されることもなく、 今に至っているわけですが、 自分史的にはポケットに穴の開いたポンチョを着ていたおかげで、 自動車のキーをなくしてしまい、 JAFにお世話してもらってドアを開け、 スタータースイッチを外して起動させ、 エンジンをかけっぱなしにしたまま自宅まで帰ってきたという、 逸話めいた記憶だけが先行していたゲレンデなのでした。
おまけ:
クリックで拡大します注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95( |
ファースト石打駐車券 |
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はじめまして。
返信削除この小田急石打スキー場は、学生時代はTBS石打スキー場でした。社会人に成っても利用した非常に懐かしいスキー場です。小ぢんまりした穴場的な場所でした。結婚して子育てが忙しく、スキーを止めてしまいました。ここで必ず利用したのが、いんきよ旅館でした。昨日、湯沢方面へ出掛けたので、小田急石打スキー場を訪ねて見たら、知らない内に廃墟になっていました。上ノ平の施設や周囲の旅館街も廃墟の様でした。いんきよ旅館も当時のまま残っていました。少し年上の凄く人柄が良かったお嬢さんはどうしたのかな? 等と妻へ話しながら、半世紀近い昔の記憶を辿りました。本当に懐かしいスキー場です。
投稿を読んでいただきありがとうございます。
返信削除このスキー場には、自分なりの思い出もあって、数年前、五月連休の時に訪れています。その時のことを別の記事で投稿していますので、よろしかったら下記のサイトをお尋ねください。
https://alpine-ski-slope.blogspot.com/search?q=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E7%9F%B3%E6%89%93