札幌冬季オリンピック(昭和47年) パンフレット・グーグルドライブはこちらから |
この開催パンフレットは、当時高校生で、合唱隊に参加した姉が所有していました。
結婚して実家を出た後、置いたままになっていたのですが、自分が引き取りました。
残念なのは、輪ゴムで束ねたので劣化で表紙に張り付いたので、痕が残っています。
完品なら、ヤフオクに出せば、それなりの値も付いたでしょうが、傷物は無理でしょう。
さて、当時、姉は進学校に通っていましたが、勉学の妨げにはならなかったようです。
まだ、高二だったし、大学の受験勉強が、本格的になる前だったからなのでしょう。
むしろ、オリンピックの大イベントへの参加自体、札幌っ子には名誉だということです。
こうして、実家には姉の着ていた合唱隊の水色のガウンとかも、残されていました。
一方、開催会場に入る最終の聖火ランナーは二人でしたが、彼らも高校生でした。
先ず、スケートリンクを札幌北高一年だった旧姓・辻村いずみさんが滑走しました。
そして、最終走者になる旭丘高一年の高田英基さんへ、トーチが手渡されました。
姉も辻村さんと同窓生でしたが、正に高校生が開会の担い手だったことになります。
オリンピックに参加する若人の祭典というイメージを主張したかったのかもしれません。
そんな風に思い出すこともできますが、自分はというと、中学校へ上がる直前です。
そういうイベントに参加できるチャンスもないし、もっぱら競技をTVで観戦するだけ。
前年のプレオリンピックで、アイスホッケーの試合をクラス全員で観戦したぐらいかな。
担任に引率されて行事で行きましたが、月寒のアイスアリーナの一番奥の席でした。
そんな思い出もありますが、このオリンピックの切手も収集していて保管してあります。
当時、一家で切手収集に熱を上げていた頃で、日本全体でもブームになりました。
なので、シート単位で買い求めて、中には二三シートまで購入したものもあります。
これらのオリンピック切手は、全部で六種類あり、寄付金付きは前年の発行でした。
+5円となっていて、寄付されたお金は、オリンピック村の建設に当てられたとあります。
そして、オリンピック開催を記念した三種類の切手と、記念シートが発行されました。
これらも、シート単位のまま、未だに手放すことなく所有しているのですが、懐かしい。
このほか、記念シールなんかも販売されましたので、一セットだけ買い求めました。
これは切手ではないので実用価値などありませんが、イベントの記念を意味します。
まあ、札幌市民は、おらが町の国際イベントを記念するものは、何でも買いました。
こうして、自分史的に思い出の逸品として、手元に残されたのはいいことなんだな。
初音ミクも応援する冬季大会だぜ |
そう思いつつ、札幌で冬季アジア大会がまもなく開催されるのは、改めて目出度い。
冬季アジア大会は、札幌で二度目だと思いますが、既存の設備も活用できます。
なので、成功することは間違いないと思いますが、今回は帯広会場が加わりました。
スピードスケート選手をあまた輩出したエリアで、かの地の選択は申し分ありません。
そんな期待で開催が待ち遠しいのですが、他方、平昌の準備はどうなっているのか。
再来年の冬季オリンピック会場なんだけれど、地名をググると暗雲がたれこめている。
”平昌オリンピック 中止”、”平昌オリンピック 失敗”って、検索の候補がすごいわ。
だったら、開催するのは諦めて、札幌と長野で仕切り直しで開催すればどうなのか。
日韓共催なんてサッカーでもうこりごりなんだから、単独なる結末を待ち望むとしよう。
韓国対日本の国際試合にしたって、”日本の大地震をお祝います”と掲げたもんだ。
東北大震災の直後のことで、他人の不幸は蜜の味だとばかりのストーカー的性根。
親善は無視で不謹慎もお構いなく、日韓合意を反故にした少女像の設置もある。
間違っても助けるなよ、世話してやって当たり前だと言われるのが、落ちなんだから。
というわけで、APAホテルが客室にどんな本を置こうが、経営者も言論も自由です。
まして、公序良俗に照らして法律に反さない限り、経済活動の自由が許されます。
南京大虐殺を否定する書籍が置かれていたとしても、読まなければ良いのですわ。
そして、どうして今頃気が付くのか分けも分からず、中国人も注意散漫なのかな。
と言うより、中国国民も本音と建前があり、日常、共産党の宣伝に関心はない。
上海の反日デモだって、アルバイト代が出されていた実態が暴露されたりした始末。
まあ、冬季アジア大会の宿舎にこのチェーンのホテルが選ばれている関係からです。
ただ、宿泊客もホテルを自由に選べる権利があるし、いやなら拒絶するだけのことですが、もし、中国の選手が宿泊するようになったら政治問題化するのは明白かもしれず、そのため、揺さぶりを掛けてきているのが見え透いておりますが、なんとも大国だと自負したがる中国は小物に成り下がったと思いつつ、札幌オリンピックでは中共は参加すらできなかった現実もあったなと、過去を振り返る自分がいるのでした。
おまけ:
「誇れる祖国 日本復活への提言Ⅳ 本当の日本の歴史『理論近現代史学Ⅱ』」
藤誠志 社会時評エッセイ2015-2016
■頒価:800円 ※全国のアパホテル客室にてご覧いただけます。
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札幌オリンピック、懐かしいですね。1972年、私は足寄西小学校3年生ころでした。札幌は遠い大都会で、オリンピックの実感はあまりありませんでしたがワクワク感はありました。
返信削除冬季オリンピックといえば、”飛んだ、決まった、笠谷のジャンプ”とアナウンサーが名言をはいた、あの表彰台独占のジャンプ競技を今でも脳裏に浮かべることができます。走馬灯のように、はるか昔のことになってしまいましたがね。
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