太魯閣峡谷 |
もし、観光地の展望台で眺めていて後ろから手で押されたら、どう思いますか。
しかも、それが不意に押しのけられそうな感じなら、失礼な奴と思うでしょう。
郷里で上さんがそれをされたんだけど、相手はどうも大陸の支邦人みたいだな。
失礼でしょって北京語で諭してたけど、サングラス掛けてケバイ派手な身なり。
どうも、写真を撮りたかったみたいだけど、どうして一言声を掛けられないの。
家族連れでしたが、未だに中共の広東では新鮮な赤ん坊の胎盤を食べるらしい。
四足ではテーブルと椅子、空飛ぶものは飛行機、それ以外は何でも食う非常識。
それで、そんな不快な思いをした旅行だったけど、それ以外はベストでした。
特に見逃せないと思ったタロコ(太魯閣)峡谷は、日本の黒部峡谷に匹敵だよ。
まあ、黒部はトロッコ列車に乗って見物するけど、こちらは国道が通るんだ。
八号線と言って主要道路らしく、頂上の稜線部で14甲の国道に合流します。
その先に、国道最高地点の武嶺に到着しますが、標高は三千メーター超えだ。
日本の山岳道路より高所を通過するんだけど、そこまでは行きませんでした。
まあ、今回はタロコ峡谷に絞って観光したので、次回の楽しみにしましょう。
右上が太魯閣峡谷、左下が清水断崖 |
それで、どうして子供の頃から知っていたのかは、切手になっていたから。
一頃、切手収集が趣味としてもてはやされた時代があって自分も集めました。
国宝シリーズとか、将来値の付きそうな記念切手を、並んで買ったりしたな。
戦前には第一次国立公園シリーズが発行され、この峡谷が図案になりました。
もちろん、台湾は、戦前、日本の版図で台湾総督府が置かれていたのですな。
行政制度も内地(本土)に準じて施政され、警察、郵便、学制はそのままです。
しかも、次高・タロコ国立公園は、内地から三年遅れただけで指定されました。
それだけ魅力的な景勝地だったからですが、この指定は総督府が尽力したから。
砂卡礑步道(Shakadang Trail) |
<戦前の国立公園>
昭和9年の指定
瀬戸内海、雲仙、霧島、大雪山、阿寒、日光、中部山岳、阿蘇
昭和11年の指定
十和田、富士箱根、大山、
当時、指定された内地の国立公園と比較しても、劣らないと思ったのでしょう。
確かに、当時指定された国立公園は、日本を代表する観光地になっていますね。
総督府も、内地の指定公園を参考にしたはずでハードルは高かったと思います。
それでも、劣らないと胸を張って指定したのだから、先見の明はあったと思う。
まあ、実際に見物して、その条件を完璧に満たしていると個人的に思いました。
一方、他の切手図案になった清水断崖は、トルコブルーの海に落込んで美しい。
清水断崖 |
台湾の東部海岸は、地質構造上、まれに見る断層の海岸線が続いているのです。
特に、清水断崖は20キロ以上にわたり、千メーター近くの岩壁がそそり立つ。
一歩足を踏み外すと太平洋へ真っ逆さまだけど、ここに道路が切り開かれたの。
当時、台湾の東海岸は開発されておらず、多数の日本人が開拓に移住しました。
その際、交通網整備が必要になったわけで、当然、自動車道が計画されました。
ただ、この断崖は、道路開削の上で大きな障害になったのは紛れもありません。
第一次発行の切手を見ましたが、絶壁が素掘りのままに、切り開かれています。
まあ、ここまで総督府は経済開発をしたのだから、日本の印象はいいみたいよ。
というわけで、中華民国は、かなり遅れてタロコを国家公園に再指定しました。
戦後、日本が引き上げてから、四十年も経て指定し直されたといいますが、それまでは台湾経済の建て直し、国際政治における中共との覇権争いなどで、国立公園どころの話ではなかったのでしょうし、遅ればせながらでも指定されて観光開発になれば、地元の経済に貢献できているのだから、それはそれでOKだと思ったのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿