京都観光のバスガイドさんに、仕事のマニュアル本が絶対にあると思いました。
だって、同年輩の方に高校修学旅行で京都へ行った際の、見学先の説明が同じ。
別のクラスに聞いても、蓮華王院三十三間堂の千一体の千手観音像がそうです。
ガイドさんが恭しく言うんだけど、自分の顔に似た観音様が必ずいるんだって。
あるいは、会いたい人の顔が必ず見つかると説明しますが、これが格好のネタ。
探しても見つからなかったらどうすると息巻いて、ガイドさんをからかいます。
まあ、ひょうきんな男子はクラスに一人はいるもので、自分がそうだったかも。
でも、よく考えれば、これって自分の死に顔と同じ顔があるらしいという意味。
観音様も仏様だし、お導きで浄土へ旅立つ姿と思えば、何だかオカルトっぽい。
もしジジババが見つければ、お迎えも近づいているし、ありがたやありがたや。
千躰以上の仏様をこしらえるなぞ、如何に仏教の力が大きかったか分かります。
本音を言いますが、一体一体の顔つきが違ったのは、血眼に見て分かりました。
でも、自分の顔が見つからずにいたので、少し残念に思った思い出もあります。
となれば、お前は浄土に行けずに地獄に堕ちるというのか、あな恐ろしいかな。
そんな下らない修学旅行の思い出が改めてよみがえったのも、再び訪ねたから。
今年のゴールデンウイークは、JR西日本の三都物語みたいに旅行をしました。
ただ、そう思い立ったのは理由もありまして、修学旅行がバス移動だったから。
拝観先を点で結び付けて移動するためか、京都のどこにあるのか距離感が無い。
今回、グーグルマップで改めて見たら、なんだJR京都駅から歩けるじゃないか。
それから、清水寺、八坂の五重塔をぐるっと回っても、ハイキング程度ですな。
実際に、京都駅から塩小路通なる京都の主要な東西の通りをてくてく歩きます。
十五分も歩いたか歩かないかで、先ずはお寺の南大門に到着しますが、荘厳だ。
桃山時代、豊臣秀頼によって建立された巨大な八脚門で、重要文化財の建造物。
修学旅行だとバスで駐車場に入り、見たらさっと移動なで周辺が分かりません。
歩きつつ南大門を通り過ぎて、拝観受付に到着するのが、この寺の訪ね方かな。
そんな本来のお寺めぐりで、豊臣秀吉が寄進した立派な太閣塀も見られました。
だから、高校の修学旅行で拝観したのは、さわりで味わいも糞もありませんよ。
しかも、ガイドの説明をいい加減に聞きき、全体が重文指定だけと勘違いした。
それで、文化庁はけしからん、こんな素晴らしい文化財を誤って指定している。
そんな憤りを覚えた学生時分でしたが、今回の拝観で間違いに気が付きました。
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つまり、千一体の千手観音立像だけが重文で、本堂などはちゃんと国宝だった。
勘違いが還暦まで続いたこと自体、お恥ずかしい限りで恥ずかしくなりました。
ただ、今回の再訪は、TV番組”美の巨人”で観音立像が国宝昇格と紹介したから。
この視聴で見物したくなったのも事実で、偉大なる勘違いの修正になりました。
というわけで、還暦も近づいたから自分の死に顔を探しに訪ねた分けでもない。
年齢を考えてみればそうにもなるものですが、人生百年時代が叫ばれるようなご時世ですから、時分の死に顔探しは、おそらく八十歳の傘寿とか、米寿ぐらいでよぼよぼ訪ねるのが適当なのかもしれんなーとお参りしつつ、健康長寿を祈る自分がいるのでした。
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