2022年5月20日金曜日

地球温暖化で冬の寒さが厳しくなくなり、内地でも屋外で育ちやすくなっているから近所で増殖中 ー 棕櫚(シュロ)(植物観賞)

   
枕草子の作者、清少納言は、この棕櫚の植物を知っていたのが分かっています。
それは、第三十七段の随筆で、冒頭にあるような植物の印象を残したからです。

千年以上もの昔の平安時代ですら、棕櫚は京の都で見られていたのでしょうな。
それで、この段のお題は、”木の花は”なのですが、棕櫚は最終行に登場します。

この古文の現代語訳で読みましたが、何とも素っ気ない一行の付け足しでした。
それでも、葉の形状が日本にはない異国情緒を思わせる風情だったのでしょう。

 趣きのない姿をした木だけれど、
  棕櫚の木は唐風の情趣があって、
   身分の低い人の家に生えている木のようには見えない。

おそらく、高貴なお公家さんの寝殿造りの邸宅のお庭に植えられていたのかな。
ということは、庭園の植物を世話する庭師がいたのかもしれず、ググってみた。

すると、”平安鎌倉時代における庭園植栽の維持管理に関する研究”を発見です。

この中に、柵囲いをして庭木を保護していた説明があって枕草子と平仄が会う。
こちらの論文では、鎌倉時代の「春日権現験記絵」にある熱田神宮のご神木ね。

なるほど、棕櫚は古来より扱いが違っていた植物なのかもしれないと感じます。
この棕櫚が、近所の市民の森にも自生しているのですが、意外に目立ちません。

ところが、最近、森林管理のために伐採され、すっきした景観の中で見つけた。
しかも、上部にクリーム色の房状のものをぶら下げていたのですが、何だろう。

   
まあ、花なのだろうと察しは尽きましたが、一応、帰宅してから確認してみた。
どうも、こちらは雄花のようで、実のなる雌花は、黍(きび)状に咲くらしい。

周辺には十数株ほどの棕櫚を見つけているから、雌花がないのか探してみよう。
こうなると、周辺のお散歩が楽しくなってきますが、中国では食べるとあった。

その調理写真までネット見つけてしまいましたが、下ごしらえが面倒な感じね。
日本人にも、中途半端なあく抜きで失敗した面白半分な例まで紹介されていた。

こうなると、敢えて食べてみる食材ではないのかもしれないが、さすが中国人。
かの人々は、”四本足なら、机以外はみな食べる”ということわざがあるほどだ。

なので、 ゲテモノレベルでは、初歩の食材なのかもしれんが、お勧めはしない。
というわけで、棕櫚の木を調べたら、色々と興味を引く事実が見つかりました。

この植物は、平安時代、中国大陸から持ち込まれて九州に定着した外来種なのか、もともと南九州に自生していたのかは、はっきりしていませんが、平安時代になると、お公家さんがその姿を珍しがって邸宅に持ち込んで鑑賞していた点で、正に庭園植物の先駆けだったのは間違いないのでした。



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