ミッシャ・エルマン(1891 - 1967) |
アウセイ・ストロークは、日本を含む”アジアツアー”を興行したユダヤ人です。
要するに予備屋さんなのですが、戦前、中国上海に活動拠点を置いていました。
バルト海三国ラトヴィア生まれですが、さすがユダヤ商人、いやプロモーター。
日本のクラシックファンを虜にした音楽家を、呼んだ人としてちょっと有名ね。
1921年 エルマン Mischa Elman (バイオリン・冒頭写真)
1923年 クライスラー Fritz Kreisler (バイオリン)
1923年 ハイフェッツ Jascha Heifetz (バイオリン)
1928年 ティボー Jacques Thibaud (バイオリン)
1928年 モイセイヴィッチ Benno Moiseiwitsch (ピアノ)
1929年 セゴヴィア Andrés Segovia(guitar)
1935年 ルビンシュタイン Arthur Rubinstein (ピアノ)
1936年 シャリアピン Feodor Chaliapin (バス声楽家)
まあ、これだけ音楽史に名を残す音楽家を日本へ招いた功績ははかり知れない。
その嚆矢になった人が、バイオリニストのミッシャ・エルマンで大人気でした。
この人は、ロシア革命の混乱を避けてアメリカに移住しつつ、活躍した音楽家。
若い頃から欧米で演奏活動をしていましたが、初来日もストローク氏のおかげ。
日本では、エルマントーンなる甘美なバイオリンの音色に聴衆は酔いしれます。
破格のチケット料金でも、クラシックファンは大枚をはたいて買い求めました。
実は、このストローク氏の写真も紹介したかったのですが、著作権が厳しそう。
大阪音楽大学のHPに紹介されていますので、ご尊顔は訪問して確認ください。
それで、このエルマンさんは、戦前は有名でも戦後は少し影が薄くなりました。
なぜかというと、ヴァイオリンの帝王たるヤッシャ・ハイフェッツの君臨です。
それでも、エルマンは地味ながら精力的に活動を続けて、三度目の来日もした。
今では、ユーチューブでたくさん録音がアップされていますので、楽しめます。
中でも、テンポをかなり遅めに奏でるチャイコフスキーの協奏曲が参考になる。
ソリストのバイオリンが、一音ずつどんなふうに弾いているのか聞き取れます。
そつなく早弾きしてしまえば、それなりに、難曲なんだと納得してしまうもの。
これをゆっくりと弾き洩らすことなく奏でるというのも、また難しいはずです。
というわけで、呼び屋のストロークさんは、縁の深い日本で亡くなられました。
八十歳と言う高齢を押してプロモーターの仕事をしながら来日中のことで、東京の葬儀では関係者により音楽葬が営まれたということですが、日本のクラシック愛好家が、彼の招いたヴィルトゥオーソの演奏に酔いしれて楽しんだことを考えれば、彼自身も本望であったのではないかと思うのでした。
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