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コロナの流行り病のせいで、最近は外出もせずに出不精になってしまいました。
以前は、連休が来るとどこかに小旅行を繰り返していましが、懐かしい話です。
ところが、この九月は三連休が連続しても台風の直撃で出ようにも出られない。
家に閉じこもりつつ、旅先で集めていたパンフレットを眺めていて思い出した。
それは、合併してしまった吉井町にあった、”多胡碑記念館”という施設なんだ。
現在は、編入した高崎市の施設で、”上野三碑ガイダンス施設”と言う触れ込み。
この多胡碑と言うのは、奈良時代に建立された石碑で、日本三古碑の一つです。
そして、上野の国と呼ばれていた群馬県には、他にも同時代の石碑があります。
なので、この三ヶ所から上野三碑と言って、詳しく説明してくれる施設なんだ。
実は、これら三古碑は訪ねており、多賀城碑、那須国造碑も既に訪ねています。
まあ、多賀城碑などは、若い時分近くに住んでいたので何度か訪ね歩きました。
そばに東北歴史資料館もあってセットで見学しましたが、石碑はつまらないの。
だって、周囲を格子木戸で覆った東屋で保護されていて、暗く見えないのです。
なので、こんなものかと言う程度で、表面に何が書かれているかも分からない。
だから、この石碑を解説する資料館が併設されているのは、当り前の話だろう。
ご多聞に漏れず、多胡碑も記念館があり、那須国造碑にも土曜の資料館がある。
”なす風土記の丘湯津上資料館”といいますが、面白いのは石碑にお堂まである。
何と、水戸野黄門様が保護に建立したのですが、彫られた文字が読み取れない。
なので、同じく資料館を見学するのが無難だと思いますが、とにかく古い史跡。
一方、三古碑の選定も違う場合があり、京都府宇治市の宇治橋断碑もその一つ。
こちらは、お寺の中にあり拝観すると資料を貰えますが、京都奈良の史跡です。
すぐそばは宇治平等院だし、歴史的な名所旧跡がありすぎて、やや地味な感じ。
これに比べると、奈良時代に辺鄙と思われていた東日本に残る史跡価値は必見。
歴史マニアの方なら、遠い時代に思いをはせながら、訪ねるのもよろしかろう。
ところで、こういった石碑では、書道家のお手本となる拓本がとられています。
金石文字は彫られた碑文ということで、多賀城碑などはヤフオクで見つかるな。
拓本ですから白黒が逆転していますが、眺めているだけでも何やら奥ゆかしい。
ただ、文章の意味は史実として残しておく程度で、これと言った文学性はない。
それでも、千年以上も前の出来事が記されて文字に残された事実に驚きますな。
というわけで、台風も過ぎ去って薄日の差す中、改めて訪ねたいと思いました。
こういった史跡と言うのは観光施設としては地味すぎるのですが、歴史好きな方ならば、併設している資料館とセットで見学できるのであれば、それなりに魅力的な観光になるのだろうなと思ったのでした。
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