平成16年12/26(日)滑走 |
自分が札幌市民で小学生の頃、ゲレンデは手稲町にあると勘違いしていました。
ところが、今改めて調べ直してみると、そうではなくて小樽市のエリアなんだ。
ずっと勘違いで生きて来たのかと思いましたが、元々は春香道新スキー場です。
あのパヨク変態の北海道新聞が経営したゲレンデで、最初はリフトが一本だけ。
このゲレンデから上部は春香山で、元々は山スキーの愛好家が訪れていました。
そのため、北海道新聞が目を付けて、銀嶺荘と言う山小屋を立てたのが出発点。
加えて、国内で初めてグラススキーを楽しめるゲレンデとしてもオープンした。
そんな歴史のあるゲレンデですが、自分的な思い出は大学生の先輩の経験です。
先輩がナイタースキーで滑っていたそうで、お客さんも閑散でガラ空きでした。
こういうゲレンデには、BGMも流れていたのですが、場内が突然真っ暗になる。
停電でリフトもぐらんと反動で前へ揺れてストップして、場内はシーンとする。
先輩は暢気なもので、その内、再会されるだろうとたかを括っていたのですな。
ところが、五分、十分と待てど暮らせどリフトが動き出す気配もなく真っ暗だ。
だんだん、心寂しくなってくると、シングルリフトの先から女性の悲鳴がする。
”キャー、助けて”みたいな声で、誰か乗っていたんだと改めて驚いたのだそう。
そんな逸話を面白く話してくれたゲレンデですが、訪問したことがありません。
なので、就職で内地に来てしまってから、一度は訪ねてみたいゲレンデでした。
この日は、午後に北長沼スキー場を滑走してから、札幌に向かうと言う強行軍。
閉鎖されてしまった銀嶺荘 |
札幌市内を抜けて、国道五号線を走りましたが、ケチったのが運の尽きですな。
人口二百万近い年ですから、渋滞もひどくて、しかも雪道なのでノロノロ運転。
何とかたどり着いたら八時近くになっていて、それでもナイター滑走に着手だ。
滑られて満足でしたが、意外にお客さんも多くて、再生に成功したのでしょう。
というわけで、山小屋の銀嶺荘も老朽化が激しく、閉鎖になってしまいました。
時間の経緯と共に、施設の変遷はあるものですが、閉鎖されてしまうと寂しいものですが、その一方で、このゲレンデは併催を乗り越えて再生できたのは、うれしい限りと思ったのでした。
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