平成12年4月30日 |
ブログを書いた原稿を、何らかの理由で紛失してしまうことが、よくあります。
パソコン上のデータなので誤って削除してしまうとか、上書きしてしまったり。
特に、テキストのファイル名を”原稿.txt”にするから、上書きのリスクは高い。
ただ、一緒に写真などの資料を格納するフォルダーは、名称が異なっています。
それに、フォルダーも”新しいフォルダー”とそのままの名で雑に扱ったりする。
結局、今回も”ららぽーとスキードームSSAWS”の書いた原稿を失くしました。
うーん、困ったなと探しても見つからず、奥美濃の”一色国際”の再来なんだな。
結局、書き直す羽目になりましたが、思い出しながら書くのが実に億劫なこと。
このスロープは、通年営業をしていたドーム型の人工雪ゲレンデで有名でした。
平成5年にオープンし平成14年に閉鎖したのも、初めから十年の耐用年数ゆえ。
最初の計画どおり終了したようですが、土地の含み損が巨額になっていました。
まあ、運営者の三井不動産は太っ腹だったので、赤字営業を続けていたようね。
一度、甥子二人の引率で滑りに出かけましたが、レンタル代が馬鹿にならない。
自分は、スキー道具一式を持って出かけましたが、姉にせがまれた結果なんだ。
まあ、中学生になると冬季のスキー学習があるから経験させたかったようです。
下の次男坊は、まだ小学生だったので、雪遊び程度で勝手に滑らせていました。
スタンプカードが残った |
ゲレンデも閑散としていて、リフトに乗っても短いし、斜度も二十度しかない。
人工雪の結晶の粒が細かい雪で、結構、エッジが効かずに平板が横流れするの。
当時、未だカービングスキーに切り替えていなかったので、195センチと長い。
物は試しとばかりに滑っただけのことで、そう面白みのあるゲレンデでもない。
この頃、ロシア人っぽい女性モデルがテレビコマーシャルでよく登場しました。
”手ぶらでスキー”のコピーが、ロシア人の名前を思い出させる雰囲気で安易だ。
まあ、宣伝的にはそれぐらいのもので、当時日本もまだ金余りだったのだろう。
このゲレンデは、時間制の入場で二時間単位だったはずで、リフト券が無いの。
代わりにスタンプカードをくれたので、リフト券代わりにコレクションしたな。
というわけで、実際に滑ってみたと言う、証拠代わりにはなった思い出なんだ。
それで、リフト設置には、風速計を取り付けるるよう、国土交通省から頑固に義務付けられて風も吹かないのに設置されてしまったと評判にもなりましたが、後になって撤去するように指示してきたのは、いかにもさもしい姑息な役人根性だなと、あざ笑ってしまったのでした。
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