もう逝去されてから、二年が経過しているのに、全く知らなかったのだなあ。
実は、この人のペンネームをもらってメールアドレスにしたことがあるのだ。
それほど面白いネタ記事だったのだが、それは自分がタイの現地社長だった頃。
リーマンショックで世界経済がしっちゃかめっちゃかになって、大混乱だった。
それでも、会社の経営は急降下することもなく、低空飛行でも黒字だったのだ。
社長をやってみると、サインのお仕事ばかりで、日中はネットサーフィンなの。
このブログをよく読んでいたのですが、この川本耕次さんは、タイと関係深い。
何でもTシャツの繊維製品の買い付けで仕事をしていたようで、記事が面白い。
定番スポットのプラトゥーナム市場での買い付けが、生き生きとしていました。
享年69歳、古稀になるまえとは早いような気もしますが、コロナ禍だったな。
やっぱり、単なる風邪だと思うのは非常に危険で、彼も自宅療養だったらしい。
長年、人工透析を続けて来たとのことで、免疫の下がった人にはコロナは大敵。
救急車で運ばれた時には、時すでに遅しで、呆気なく三途の川を渡ってしまう。
日本に帰国してから、ブログを読むことがなかったのですが、なぜか思い出す。
そして、あのキーワードたる”ネットゲリラ”で検索すると、訃報の記事だけだ。
あのブログ自体もなくなっていて、かろうじて、レターヘッドのイラストだけ。
それを借用させていただき、自分なりに思い出記事を書き残そうと思いますた。
あの頃、二階堂.com、リチャードコシミズ、ベンジャミンフルフォードとか。
陰謀論を暴露とか、政財界裏事情のゴロツキネタだったり、変な人も多かった。
まだ、存命している人も多い中で、この川本さんだけは、いち早く旅立ったな。
実は、この人は明治大学の漫画研究会出身でいしかわじゅんが先輩だったのだ。
絵がへたくそだけど、思想がパヨク的だから、毎日変態新聞で四コマを執筆中。
この川本さんの思い出もネットで紹介されているが、ご両名ともアングラ人種。
メディアの表舞台よりは、裏情報でうごめくカストリネタの通好みだったなあ。
というわけで、だんだん年取ってくると、鬼籍に入る人が増えて来てさみしい。
人生百年時代とか言いますが、それは一部のお話で、”愛は勝つ”を大ヒットさせたKANさんなんて享年61歳と若すぎの逝去で、ユーチューブであの頃のヒット曲を聞いてなつかしんでは、感慨にふけるのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿