2025年10月29日水曜日

ポンマチネシリ火口から約五百mの範囲では、噴火に伴い弾道を描いて飛散する大きな噴石に警戒してください ー 雌阿寒岳(北海道・道東)

左は雌阿寒岳、右は阿寒富士
     
三十代に突入する前、自分の体力を確かめたくて、北海道へ山登りをしました。
あの頃は仙台近郊の工場に勤めていて、車に乗ってフェリーで出発できました。

到着地は苫小牧ですが、そこから夕張岳を皮切りに山々目指して登ったのです。
夏休みは、平日と前後の土日を加えて九日間で、旅程は次の通りになりました。

 夕張岳(標高 1,668m)
 十勝岳(標高 2,077m)
 剣山(つるぎさん、標高 1,205m)
 雌阿寒岳(標高1,499m)
 斜里岳(標高1,547m)
 旭岳(標高2,291m)
 南暑寒別岳(標高1,296m)
 羊蹄山(標高1,898m)

良く登ったと思いますが、一人で車を運転して、道央・道東・道北と移動した。
一日一山の目標も達成しましたが、右膝がおかしくなるなど体の負担は大きい。

後年、還暦以降に膝の関節痛が発生して、サポーターが欠かせなくなりました。
でも、今の年齢でこれほどの登山ができるほど、体力があるとは思えないのだ。

だから、体力のある内にできたからこそ、これ以降は登山が趣味になりました。
それで、雌阿寒岳へは、ユースホステルを併設する野中温泉から登ったのです。

宿で登山口を確認すると、イギリス人の青年と一緒に登るように頼まれました。
当時は英会話学校に通っており、少しは英会話ができたので見込まれたらしい。

途中、登り疲れを紛らわせたくて、英語でお喋りをしつつ、無事、山頂に立つ。
山頂で噴煙の立ち上る火口を説明しようとしたのですが、単語が思い出せない。

この英語が思い出せず、マウンテンマウスと説明して笑われてしまった思い出。
アポロ宇宙船も月に到達して、クレーターの言葉は既に日本語に入っています。

なのに、疲れて思い出せなかったという苦い思い出ですが、現在は立入禁止だ。
七合目より登山道への立ち入りが禁止されており、登山口で注意喚起を掲出中。

噴火警戒レベル2の引き上げですが、阿寒湖畔からも噴煙が見えるほどでした。
というわけで、オンネトウ湖畔から阿寒富士と揃って絶景の写真が撮れました。

今回、野本温泉は永らく休館の後、解体されて跡形もなくなっており、登山口駐車場しか残っていなかったのですが、付近の山々と湖は、昔のままに悠久の姿をとどめており、活発な噴火活動で山麓の農家に被害が及ばないようにと、懸念する自分なのでした。



いいねと思ったら、三つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへにほんブログ村 スキースノボーブログ スキーへにほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村    にほんブログ村      にほんブログ村 



2025年10月27日月曜日

マリモに出会える湖上クルーズは、”まりもクルーズ”ですが、湖を一望できる展望台も加えてみた ー 阿寒湖畔展望台(北海道・道東)

          
道東へ旅をするのにどこへ行くべきか、観光地をグーグルマップで探しました。
阿寒湖へは行ったことはあるくせに、遊覧船にはまだ乗ったことがありません。

前回訪れた時は、一日中、雨が降っていて船には乗らず、散策路を歩きました。
ボッケ遊歩道というのだそうですが、阿寒湖畔ビジターセンターから出発した。

この散策自体は雨模様でも楽しかったのですが、遊覧船以外に何かないのかな。
そこで、グーグルマップの縮尺率を上げますと、阿寒湖畔展望台が見つかった。

図示された場所なんだけれど、国設阿寒湖畔スキー場 【ウタラ】の斜面なんだ。
よく見ると、スキー場の駐車場から細い道が続ていて、登ることができそうだ。

他の紹介でも砂利道を上がると駐車場になっている説明があって、ここに決定。
ならば、このゲレンデは晴れてさえいれば、湖畔を望める眺めの良いスロープ。

平成17年に滑りましたが、吹雪いていて視界などなくて、ただ滑っただけなの。
だから、晴れてさえいれば、眺望絶景のゲレンデだったのにと思ってしまった。

          
ところで、湖を見下ろすスキー場は、網走湖、田沢湖、猪苗代湖、びわ湖など。
以外と全国各地にあるもので、自分としては、網走湖がまだ滑っていないのだ。

だから、何時かは滑りに行きたいと思っていますが、今回は再訪なので阿寒湖。
当日、出かけてみると、別の中国人らしい女性の二人組も、車で来ていました。

それで、この二人連れからは白湯山への登山コースを質問されてしまいました。
それが、持っていたハイキングマップが粗末で、どの道なのか判然としません。

北海道だからヒグマも当たり前にいるし、履いていた運動靴では心もとないな。
なので、はっきりと言わずに、そばのキッチンカーで聞いてくれと言いました。

売り物は阿寒湖まりもサイダーでしたが、あの店ならうまく教えてくれるかな。
というわけで、天気も晴れていたのが幸いして、阿寒湖への眺望は最高でした。

一方、阿寒湖の遊覧船では、”マリモ展示観察センター”の見学も遊覧コースに入っているのを以前は知らなくて、面白くなさそうだと断定してしまったのですが、今回は展望台しっかり調べて観光したので、満足したのでした。



いいねと思ったら、三つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへにほんブログ村 スキースノボーブログ スキーへにほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村    にほんブログ村      にほんブログ村 



2025年10月25日土曜日

然別湖ネーチャーセンターでオショロコマを問い合わせたら、結構いい加減な説明だったと今になって思う ー 然別湖(北海道・道東) 

      
母は、十勝の出身で、若い頃、然別湖に遊んだ思い出話を聞かせてくれました。
亡くなってからもうすぐ五十周忌になりますが、子供時代に聞いていたのです。

馬車に揺られながら険しい山道を登って行きながら、突然、湖面が現れたとか。
奥深い山の中にひっそりとした湖水を湛える湖面が、記憶に残ったのでしょう。

他には、米寿の頃の祖母を連れ、ドライブで湖畔を通り抜けこともありました。
祖母は、自分が大学へ入るまでおさんどんをして面倒を見てくれていたのです。

母は、自分が高校二年の頃に逝去しましたが、祖母は代役を引き受けてくれた。
そんな祖母には恩返しもせずに、進学して東京へ就職してからは会えずじまい。

だから、数年後、祖母が同居する叔父の家を訪ねた時、恩返しをしたくなった。
叔父に頼んで、温泉旅館を急遽予約してもらい、祖母と一緒に旅行をしたのだ。

叔父は、地元高校の野球部監督をしていたので、教え子が地元に多くおります。
温泉旅館で働く教え子に予約を取ってもらい、祖母と出かけたのが糠平温泉だ。

翌日、この温泉旅行から、パールラインの道路をドライブして然別湖へ抜ける。
祖母は、その後、札幌の妹に会いたいというのでそのまま運転して送りました。

まあ、これは自分史でそんな思い出もあってか、もう一度訪ねたくなったんだ。
だから、今回の旅行では、遊覧船に乗って湖を一巡りしてみたということです。

      
実は、湖には渓流魚で陸封型のオショロコマになるミヤベイワナが生息します。
昔、”イワナの謎を追う”という岩波新書を読んでいたので、興味を持ちました。

オショロコマは、イワナと比べると、さらに寒冷気候に適応した種なんだとか。
イワナよりさらに上流に住んでいるので、気候的には北海道が棲息地なのです。

然別湖は、火山活動の堰止湖ですが、オショロコマは海へ下る降海型の魚種だ。
海へ下って成長してから、河川を遡って産卵する習性が、できなくなりました。

このため、せき止められた然別湖を海に間違えて、湖と河川を往来しています。
だから、陸封型と呼ばれるのですが、ヒメマスも紅鮭の陸封型で同じ仲間だな。

というわけで、遊覧船で湖を周遊すると海と錯覚しても仕方がないと思うのだ。
湖には、ここかしこに釣り船が出ていて、このオショロコマ陸封型のミヤベイワナを獲物にする釣り師たちが、フライフィッシングのラインをロッドから優雅にキャストする姿を眺めるのも、風流なのでした。



いいねと思ったら、三つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへにほんブログ村 スキースノボーブログ スキーへにほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村    にほんブログ村      にほんブログ村 



2025年10月23日木曜日

この碑の前に立ち、十勝平野の北の果てに聳える山々を見ると、広大な大地のスケールを感じられると鹿追町が紹介 ー 大島亮吉顕彰碑(北海道・道東)

   
九月末、父親の二十三回忌法要を決めて、旅行がてら北海道まで旅立ちました。
三十三回忌となると、喜寿に間近くて、できるかどうかも分からない年齢です。

なので、繰り上げ法要をしてからは、年忌法要などは無頓着で不心得者なのだ。
ただ、法要を行ってしまうと、後に残った旅の日程は、後は自由気ままな旅行。

まあ、紅葉が見られるかもしれないと思って、道東まで足を延ばしてみました。
母親の生まれ故郷は十勝なので、ここに二泊で観光地を巡り歩くことに決定だ。

自宅でグーグルマップから車の移動時間を調べつつ、色々と観光地を探します。
その時、然別湖から士幌方面へ抜けるルートを調べながら、この碑を発見した。

この地を踏破した登山家、大島亮吉を顕彰した石碑で、この人なら知っている。
戦前の登山界の黎明期にに活躍した人物で、著作”山: 随想”を読んでいました。

こんな名言を残している
     
ブックオフで買い求めた百円也の文庫本で、主に北海道は開拓期の登山行です。
戦前のアルピニストとして有名で、若くして前穂高で遭難死したのが痛ましい。

北アルプス槍ヶ岳の冬季初登頂も遂げた登山家は、未開の北海道に足が向いた。
その踏破の記録ですが、鹿追町の山、西ヌプカウシヌプリに登頂していました。

東にも同じく東ヌプカウシヌプリがあって、彼は双耳峰として紹介しています。
当時は、鹿追村として音更村から別れたばかりで、人里とは名ばかりの開拓地。

顕彰碑は、著作の一文を紹介していますが、開墾された土地も表現されている。
一方、著作の中では、時の経過で開拓地も、道路が開通されて発展するだろう。

それでも、広大な大自然の十勝を雄大に描き出した文章は、味わい深いのです。
若さの見受けられる描写もあるにせよ、それはそれで自然描写が勝っています。

というわけで、当時の開拓農民達は、蛋白源を求めて然別湖へ釣行したらしい。
著者にとっては、この踏み跡が手助けになって、双耳峰の西側へ登頂を果たしたようですが、湖にはミヤベイワナという貴重な魚種が生息しており、これが農民の日々の糧になっていたのは違いなく、他方ではこの湖が東京へ知られることになって観光地化していったのも、これが地域発展の歩みだったのだろうと思うのでした。



いいねと思ったら、三つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへにほんブログ村 スキースノボーブログ スキーへにほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村    にほんブログ村      にほんブログ村 



2025年10月21日火曜日

”北海道はでっけーどー”は、北海道の広大なイメージを簡潔に表現した言葉ですが、この夕焼けこそピッタンコ ー 十勝が丘展望台(北海道・道東)

      
帯広平野の夕陽に染まる大平原を観望しながら、旅行の最後を締め括りました。
この”十勝が丘展望台”は、グーグルマップを検索するとすぐ場所が分かります。

点在する十勝川温泉の旅館街から、先ずは北の方へ十勝が丘公園を目指します。
それを見過ごして山の方へ上ってくと、整備された展望台が現れて観光地です。

なのに、日の沈むころを狙ってたどり着いたのは、我々夫婦一組という寂しさ。
代わりに、どこかの森林組合の請負作業なのか、除草の作業で騒音がうるさい。

芝刈り機で草刈りした後は、ブロワーで刈り取った草を散らしてやかましいの。
そんな騒音の中で、夕焼けに生える十勝川と十勝平野は、実に幻想的なんだな。

実は、十勝平野を見渡す展望台は散在しておりまして、どちらも素晴らしいの。
それより前、芽室町の”新嵐山スカイパーク展望台”を、日中に訪ねていました。

ここからは北東の方角で平原を見渡すので、日の沈み行く夕景を眺められない。
ですが、ここは絶景に違いなく、天気が良ければ訪問するのをお勧めしします。

    
さて、十勝川温泉の市街はまばらで、市街には道の駅があり源泉がありました。
”道の駅 ガーデンスパ十勝川温泉”と言って、浴衣を着て入る欧風のお風呂です。

このモール温泉は、植物由来の有機物が溶け込んで、独特の褐色を呈する温泉。
名称は”いで湯の磐座”で、岩の上から湯が流れて、緑の藻がへばりついている。

これが海草のようにも見えるので、昆布温泉と呼びならわす個所もあるぐらい。
天然の保湿成分を多く含むので、入浴すると肌が潤い、美肌効果が期待できる。

なので、札幌の定山渓に比べて帯広の奥座敷的な温泉で、そんな温泉街なのだ。
というわけで、圧巻の夕景を眺めつつ、この展望台にて旅を締めくくりました。

この後、JALの最終便で羽田まで舞い戻って帰宅したのですが、途中、日も暮れて空港までどこを走っているのか見当もつかず、カーナビだけが頼りで街灯のない暗い道を走ると、やはり、北海道の広大さに触れた感じもしたのでした。



いいねと思ったら、三つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへにほんブログ村 スキースノボーブログ スキーへにほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村    にほんブログ村      にほんブログ村