昭和62年3月7日 |
日本国は、一度、オリンピックの開催を断念しました。
それは、戦争によって国際情勢が悪化したからです。
それは、昭和15年、西暦は1940年のことでした。
すでに八十年近くも前のことですが、夏冬の両方です。
当時、夏は東京で冬は札幌で開催される予定でした。
この冬季ですが、事前に国内で候補地を選んでいます。
中でも、長野県は複数の地域が名乗りを上げました。
志賀高原、菅平、乗鞍、そしてこの霧ヶ峰がそうです。
一方、札幌はすでに人口が二十万を超えていました。
北国のフロンティアでもあり、冬のスポーツも盛んです。
これは手ごわい候補地だったのには違いありません。
一方、長野県は有名な場所がバラバラに立候補しました。
こうなると、札幌がまとまりがあって選ばれるはずでしょう。
こういった誘致合戦では、長野は残念まとまりを欠きました。
結局、戦後になって冬季オリンピックは札幌で開催されました。
だから、 ひょっとして霧ヶ峰は競技会場になったのかもしれません。
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だって、最大斜度20度、 平均斜度10度の緩斜面しかありません。
技術レベルが段違いに進歩、向上した現代の競技スキーです。
今ならば、 ファミリー向けに楽しんでもらうゲレンデに落ち着くしかない。
ただ、 そうは言っても霧ヶ峰高原にはスキー場の長い歴史があります。
これに加えて、一年を通じた観光の魅力も加われば、 鬼に金棒でしょう。
というわけで、 このスキー場は高原の季節を表すひとつの風物なのです。
名前の知られている分、こむずかしいことは考え無いほうがいい。
雪に滑り、戯れるレジャーのために、 このゲレンデがあるということなのでしょう。
おまけ:
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