昭和63年1月1日滑走 |
この人を、実際に札幌で見かけました。
冬季オリンピックの歓迎気分が高揚していた時です。
開催の直前、昭和45年1月30日の日曜日と思います。
自分も大通公園を歩いていて、突然出くわしました。
場所は西四丁目で、地下鉄の駅も近い場所です。
交通の便も至極便利で、出歩いていた可能性はあります。
この人は、オーストリア・ナショナルチームの一員で有名でした。
当時、滑降種目では有力な金メダル候補だったのです。
ただ、お題の通り派手にスキーメーカーの広告塔になっています。
当時は、厳格なアマチュア主義の遵守が求められていました。
こんな騒動の中、 オリンピック直前にIOC理事会が開かれました。
彼の処分がをめぐってですが、結局、 参加資格を剥奪されています。
どうして出合った外人が彼と分かったかって、それは簡単です。
連日、この問題で新聞が写真入りで彼を記事にしていました。
それにクナイスルのスキーポスターは彼が主役で登場しています。
スポーツ用品店でも簡単に見かけることができました。
だから、その顔をしっかりと覚えていました。
であった瞬間、あっとびっくりして顔を見続けてしまいました。
彼のほうも、どうして見つめるんだろう見たいな感じです。
逆に見返されてしまい、なおさら印象が強く残りました。
今になっても思い返せるので、絶対に間違いないと思うのです。
もし、恵庭岳コースの滑降種目で彼が金メダルを取っていたら。
そんなことを、 富良野スキー場のリフト券を見て思い出してしまいました。
だって、富良野は昔から滑降競技のゲレンデとして有名です。
半世紀も滑っていれば、 スキーにまつわるいろいろなことが思い出されてしまうということ なのでした。
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