2014年5月6日火曜日

カール・シュランツは​クナイスルで勝つ - 富良野スキー場(その​二) (北海道・道央)

昭和63年1月1日滑走

この人を、実際に札幌で見かけました。
冬季オリンピックの歓迎気分が高揚していた時です。

開催の直前、昭和45年1月30日の日曜日と思います。
自分も大通公園を歩いていて、突然出くわしました。

場所は西四丁目で、地下鉄の駅も近い場所です。
交通の便も至極便利で、出歩いていた可能性はあります。

この人は、オーストリア・ナショナルチームの一員で有名でした。
当時、滑降種目では有力な金メダル候補だったのです。

ただ、お題の通り派手にスキーメーカーの広告塔になっています。
当時は、厳格なアマチュア主義の遵守が求められていました。

こんな騒動の中、オリンピック直前にIOC理事会が開かれました。
彼の処分がをめぐってですが、結局、参加資格を剥奪されています。

どうして出合った外人が彼と分かったかって、それは簡単です。
連日、この問題で新聞が写真入りで彼を記事にしていました。

それにクナイスルのスキーポスターは彼が主役で登場しています。
スポーツ用品店でも簡単に見かけることができました。

だから、その顔をしっかりと覚えていました。
であった瞬間、あっとびっくりして顔を見続けてしまいました。

彼のほうも、どうして見つめるんだろう見たいな感じです。
逆に見返されてしまい、なおさら印象が強く残りました。

今になっても思い返せるので、絶対に間違いないと思うのです。
もし、恵庭岳コースの滑降種目で彼が金メダルを取っていたら。
そんなことを、富良野スキー場のリフト券を見て思い出してしまいました。

だって、富良野は昔から滑降競技のゲレンデとして有名です。
半世紀も滑っていれば、スキーにまつわるいろいろなことが思い出されてしまうということなのでした。


おまけ:




いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




0 件のコメント:

コメントを投稿