平成4年1月2日滑走 |
このスキー場は、ゲレンデが、 あじゃら高原と大鰐国際の二つに分かれていました。
向かって左手のあじゃらは、リゾート開発のゲレンデで、 ゴンドラが敷設されました。
長さが約2.3キロとそこそこあり、 全体は初中級者向けのバーンが占めています。
リゾートとしゃれ込んでこさえたのでしょうから、 急な斜面も不要なのでしょう。
一方、百年の歴史と豪語する国際ゲレンデは、 確かにキツイ斜面がありました。
何しろ、全日本学生選手権の第一回大会が、 戦前開かれたほどのバーンです。
特に、有名な難所が神沢(かんざわ)バーンで、 国内屈指の斜度が30度以上。
ここを滑り降りられたら、何処へ行っても大丈夫というのですが、 本当でしょうかね。
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自分的には、 小樽天狗山スキー場の新コースが一番過激ですがどうでしょうか。
母校の基礎スキー部が、検定試験の練習でよく使っていましたが、 恐ろしい。
今井思い出しても震えますが、滑り出しが43度で途中でも32~ 3度以上です。
激しすぎるゲレンデの代表格ですが、 こちらのバーンも登竜門だったということです。
ここでは、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんも、 落下傘を背負って練習しました。
なんでも、エベレスト滑降を目前に控えて、 パラシュートの効果を確かめたらしい。
滑降のスピードを落とす目的だと思いますが、 まるでジェット戦闘機のようです。
後年、八十才でエベレスト登頂を果たした超人ですが、 こんな関係に驚きました。
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さて、ファミリーゲレンデの途中に、 スキー神社が建立されていたのを見かけました。
ただ、新潟県妙高市にある同名の神社が、 建立では三年古くて少し残念です。
まあ、二十世紀に入ってスキーが導入されて後の話なので、 似たようなものです。
趣旨は、スキーヤーの安全と、 このスポーツの発展を願って建立されたのでしょう。
ところで、このゲレンデは、 スキーブームに便乗して更なる拡大を図ろうとしました。
自治体自らも打って出て、 第3セクター方式でゴンドラを架けて拡張したのです。
これがあじゃら高原ですが、取らぬ狸の皮算用だったのか、 赤字が解消できない。
このつけが大きくて、大鰐町は、 平成の大合併にも途中で脱落する始末です。
結局、この町だけが、合併後の弘前・ 平川の両市に寂しくも挟まれるのでした。
それでも、開湯が平安時代という大鰐温泉の観光資源が、 未だ残っております。
クリックで拡大します ストックが図案に使われています |
これが町の希望なら、 草津温泉のようにスキーと紐付けするのがベターでしょうね。
というわけで、 この町自体も人口一万人とそれなりに人も住んでいるようです。
そして、はるか江戸時代の頃より、弘前、 津軽藩の奥座敷的な湯治場だったのですから、 ここは伝統を次の世代へ活かして、 もうひと踏ん張りしてもらいたいと思うのでした。
おまけ:
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