2016年6月20日月曜日

クダッチのキャンプ場から、波浮港を抜けて、隠れキリシタンの十字架まで歩くぞ - トウシキキャンプ場(伊豆大島・その二)

伊豆大島の東岸は断崖絶壁

トウシキキャンプ場から、波浮港を巡り歩きながら、筆島を目指しました。
ぷらぷら歩きながら、キャンプ場そばの遊泳場やら寄り道もまた楽しい。

かつては、遠洋漁業の基地として有名な波浮の港も、時を止めたかのよう。
海沿いの爆裂火口が、波の侵食で切り崩されて、海水が流れ込んだのです。

こうして、湾の入り口はすぼまって、中は弧を描いた広い海岸線になりました。
確かに、地図で見たとおりに、円を描く内湾だと思いましたが、他にもあります。

この間、震度六弱の地震を引き起こした、北海道の噴火湾ですが正にそうです。
規模がかなりでかくなりますが、地図で見ると丸い湾の形状は、そっくりですな。

湾内には、都立海洋国際高校の実習船が、三隻、仲良く停泊しておりました。
遠洋の研修航海に出かけるのだろうと思いつつ、学校はキャンプ場のすぐそば。

元町港からバスで向かうと、学校の名前が停留所になっており、そこで降ります。
それで、ここの地名がもっと愉快で、”クダッチ”ってカタカナで書いてあるのです。


それで調べてみると、下地と書いて、クダッチと島言葉で読ませる感じでした。
無理やり漢字を当てはめたみたいで、由来すら分かっていない大らかさなのだ。

そんな場所柄ですが、波浮の町屋も時代が止ったかのように、ひっそりとします。
軽自動車一台が通れるかどうか、細い通り道を歩きつつ、少し喉も渇きました。

カキ氷の暖簾が出ているお店で、大島アイスを買って、上さんと分け合いました。
梅雨の中休みで、晴れてはいますが、湿気が多いのかなーと思いつつ、ペロリ。

栄養補給も兼ねながら、力も少しは沸いて、ここから文学の散歩道をたどります。
これが、急な坂道で、階段状の登りもきつく、そんな場所にも人は住んでいます。

つまり、入り江から急坂をせり上がるのも、火口の断崖が名残ということでしょう。
こうして上りあがれば、新たな住宅街ですが、昔は上と下を往復したのでしょうか。

向う側が波浮の町屋

そんなことを思いつつ、まだまだ、目的地の筆島まで道半ばといったところです。
ただ、ひたすら歩くわけですが、先々で発見する文学碑を読んだりして、一休み。

中には、ここ出身でレコード大賞を受賞した”霧氷”の作詞家、宮川哲夫なのだ。
子供の頃、”むーひょおう”って、歌っている橋幸夫の物真似をよくしていました。

そんな歌を改めて口ずさんだりしながらも、筆島までの海岸線歩きでテクテク。
帰り道の距離を思えば、気後れもしますが、やっとこさ、筆島にたどり着きました。

ここには、島に流された切支丹、オタ・ジュリアを称えた十字架の碑があります。
実に立派なクロスですが、彼女が滞在したのは、わずか一ヶ月だったようです。

ただ、彼女の影響で入信する島人が絶えず、最後には神津島まで流されました。
元々、徳川家康の侍女ですから、高貴な気高さと深い信仰心が並外れています。


その敬虔さゆえに感化された人も多く、洗礼を受けた人が、かなりに上ったのか。
背景に筆島も見えますが、それ以上に白亜の十字架の存在感に圧倒されますな。

多分、最期の流刑地、神津島のある方角に向かって立っているように思いました。
ここ、大島の東岸は人家も少なく、絶海の孤島のような寂寥感が募ってまいります。

そんな思いに浸りながら、犬の散歩中のおじさんに会って、帰り道をたずねました。
この石碑から階段を上がると、二車線舗装の大島一周道路に戻れると言うのです。

ただ、このおじさんのが三原山のガイドをしている人らしく、この島の案内が長い。
はるか大昔、大島の最初の火山の名残として、残ったのがここの場所なんだとか。

それに加えて、三原山に向かった月の沙漠ラインの説明が、延々と続くのです。
興味もありましたが、帰りのバスに間に合わないと、気もそぞろになって来ました。

確かに、大砂漠ラインと言う定期路線バスが運行されますが、多客期のみです。
梅雨に入って、祝日が一日もないような地味な六月には、運行されておりません。

波浮の港歌碑

キャンプ場から、最寄のバス停まで歩くと、二時間以上かかるかもしれません。
しかも、人里はなれて人界未踏の地と言ってもいいくらいに、人家もありません。

なので、行くとしたら、どのように歩いていくか、気になって聞いたのが雲の尽き。
長い紹介やら自慢やらの話で、間に合いそうなバスの出発時間まで残り少ない。

発着点になる大島町陸上競技場までは、ここから歩けば、三十分ほどでしょうか。
時計を見ると、もう二十分しか残っていなくて、話を切り上げ、急ぎ足で戻りました。

それで、自分の腕時計を少し早めておいたのが、幸運だったと申しましょうか。
すでに出発時間を一二分過ぎていたのに、バスはのんびりと待っていてくれました。

ラッキーだと思って、いざ乗るものの、上さんはぶつぶつ文句を言う始める始末。
とにかくバスで戻りましたが、実際、帰り道になる椿ロードには、文学碑があります。

それを端折ったのですが、午後から歩き出して二万歩近くになり、十分でしょう。
距離にして14キロ程にもなり、結構歩いたと思いましたが、体力勝負になりました。

というわけで、このコースは春先のまだ少し寒い時に、歩かれるのをお勧めします。
そうすれば、体も温まりますし、汗をかくこともあまりないでしょうから歩きやすいはずで、筆島を見るのも一興でしょうし 、ハイキングにはお勧めなコースだなと、思ったのでした。


おまけ:
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