羽幌炭鉱第一選炭工場・貯炭場 |
なぜ、石炭のよく取れる地域を炭田とひとまとめにして、呼ぶんでしょうかね。
炭田は、量や質で経済価値のある石炭層が存在している地域を指します。
その地層が集まっている箇所だから、ある程度は広い地域になりますね。
炭の田んぼだから、日本人の大事な主食、米の栽培地域になぞらえたのか。
一方、石炭産業そのものが、今や、日本から閉山・消失してしまっています。
かつての繁栄が、どのようなものだったのか、今は廃墟ばかりになりました。
それでも、そんな炭鉱跡に足しげく通う好事家(マニア)が、意外におります。
巷間では、廃墟マニアと呼びますが、間違えば不法侵入になるかもしれず。
その上、採掘した石炭を運び出す炭鉱鉄道の遺構も残っていたりします。
鉄橋だったり、レール跡だったり、駅舎だったりと、廃線めぐりも兼ねています。
羽幌炭鉱鉄道橋梁跡 |
羽幌町のパンフレット グーグルドライブぶはこちらから |
こちらは廃鉄ですが、両方を兼ね備えたのが、炭鉱全体の施設になりましょう。
そこで、天売焼尻島のある羽幌町ですが、一帯が留萌炭田の中心地域です。
中でも、築別、羽幌、上羽幌で営業した羽幌炭鉱は、規模がかなり大きい。
煤の出ない優良炭で、年間の出炭量も、最盛期には百万トンを超えました。
人口だって炭鉱地区だけで一万人を超え、とうとう、町は三万人を越えました。
市に昇格もできたはずなのですが、最終的に羽幌町のままで至っています。
炭鉱の閉山時期を見誤ったのかもしれませんが、逆に良かったかもしれない。
歌志内市なんて、今や人口が四千人を割って、日本一小さな市になりました。
さて、実際に車を運転して行って見ましたが、きれいな連絡道路が続きます。
途中までは農家もあり人里を感じましたが、炭鉱の核心部に入ると違います。
二車線の道路が、廃墟となった建屋・遺構を巡るような印象に変わるのです。
太陽小学校や炭鉱住宅の一群は、打ち棄てられた雰囲気さえ漂って来ます。
山奥に、かつては殷賑を極めた産業地区が存在したのかと思うと、物悲しい。
行けば分かりますが、残された分厚い樹海の山野は、青々としていました。
そんな、かつて炭鉱のあった町は、天売焼尻の離島観光の起点でもあります。
なので、この廃墟めぐりも、観光プランに加えようというのが、町のPRでした。
先ず、天売焼尻をくまなく観光すると三日で、羽幌炭鉱跡は、所要一日です。
これに、お隣の苫前町まで、環境にやさしい風力発電設備まで足を伸ばす。
周辺を回るには、砂利道の運転だったよ |
この発電設備は、近寄ってみれば、意外と巨大さに圧倒されてしまいます。
ブレードと呼ぶ羽根は、直径で百メーター近くあって、それがぶん回る計算。
風が吹いてブレードが回転するべ、ブーンと低くうなる音が耳障りになります。
設備の周りには農家も点在していて、夜中、騒音で眠られないのではないか。
そんな風に思ったりしましたが、圧倒されるものがあって行かずにいられない。
まあ、実感するには、論より証拠だと思って見に行くことを、お勧めしますね。
というわけで、羽幌の基幹産業だった炭鉱に、思わぬ不幸が待ち受けました。
羽幌炭鉱の炭層が大断層にぶち当たってしまい、採炭ができなくなる一方で、可採埋蔵量が二億トンと計算されている将来性に期待して、新たな炭層を探し出して採炭を続けるのか、それとも政府の補助金を受けて閉山し、従業員に退職金を渡すのか、思案した挙句に後者を選んでしまって、それが今の廃墟につながるのですが、何時か、資源価格が高騰したら、夢はもう一度とヤマは再開されるのであろうなと、夢想したりするのでした。
おまけ:
羽幌町は、オロロン鳥の里だよ |
説明看板は、最低限あるのだ |
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