2016年9月26日月曜日

昔は、貧乏見たけりゃ猿払へいきなっていわれたけど、今ではホタテ御殿を見に行く もんだ - 猿払村(北海道)

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どうもこの村は、苦節に耐えた時代があったようですが、今は左団扇で裕福みたい。
昔は、天然ものホタテが有名だったのですが、乱獲がたたって全く捕れなくなります。

資源が完全に枯渇してしまった挙句、密漁でサバイバルする漁民が続出しました。
無法地帯と化して、下流部落にまで落ちぼれてしまった日本一の貧乏村なのだ。

他にも、村の基幹産業として炭坑もありましたが、エネルギー革命で閉山の憂き目。
残るは農業ですが、半自給の零細な畑作酪農という、惨めさも極まって来ます。

貧乏見たけりゃ猿払へ行きなっていわれたけど、当時は北海道自体が開拓途上。
道産子の自分ですら、あの頃、豊かさを味わう生活とは、縁遠かった気もいたします。

まして、札幌に住んでいても、朽ち果てそうな木造平屋建ての家はまだ残っています。
どの家も、窓や外壁にはビニールハウス用の透明ビニールをびっしりと貼りつけました。

つまり、厳しい冬の寒さに備えて、冷気を遮断し暖気を逃がさない工夫なのです。
まあ、木造よりモルタル造りの家がマシなのは、みんな知っていても、金がありません。

日々の生活がやっとで、立替や新築に先立つお金を掛ける余裕すらないのが本音。
炭坑住宅など、築何十年の老朽家屋も残されていたり、貧しい印象が残ります。

そんな、昭和の時代だったのかと思いつつ、平成でようやく吹っ切れたんじゃないのか。
と言うより、次第に、農業や漁業で暮らす人たちも、淘汰されていったと思いました。

ホタテ漁の漁船が出航だ

離農という言葉が象徴的ですが、開拓営農に見切りをつけた人も現れていました。
漁業もそうでして、資源を天然に依存せずに、育てる養殖の事業転換が図られる。

サケの孵化放流事業が嚆矢なら、猿払のホタテ事業も起死回生の業態転換です。
村役場の年間予算だって少ないのに、ホタテの養殖稚貝の買付けに費やしてしまう。

放流したからといっても成長するまでは、時間も掛かるし、我慢するしかないのです。
何か他のたつきで暮らさざるをえなかったのですが、労苦は大変なものだったでしょう。

こうして、第一次産業の経営は、集団化、大規模が図られていった感じがしますね。
特に漁業組合の資源管理や、放棄された牧草地の分配による大規模化などです。

こうして、この猿払村の基幹産業は、新しい経営形態を見出したのかもしれません。
その結果、全国市区町村所得(年収)ランキングでは、何と三位まで上り詰めました。

   
この内、上位10位までの大半が、東京の市区町村で占められる中で大健闘です。
ところで、全国に市区町村が千七百もある中で、北海道の過疎地が異色ですな。

しかも、健闘している自治体が、札幌からは辺境の網走・宗谷管内の町村なのだ。
これも、ホタテの水揚げが好調だった背景なのだそうですが、資源管理のなせる業か。

なので、猿払村なら年収一千万円では、極々、ありふれた家庭なのだと申します。
一方、酪農経営も、規模の効果で年収一千万円は、不可能な額ではありません。

こうなると、役所や会社に勤めるのがバカらしくなりますが、そこはそこ体力仕事です。
しかも、お休みが気ままに取れない悩みもありますが、上司にぺこぺこするよりはマシ。

ところで思い出したのは、キャンプ場で食べた殻付き焼きホタテで、安くて上手かった。
身が大きいので、一枚350円はお手ごろな値段だと思ったし、牛乳も濃かったなー。

乳牛感謝の碑

というわけで、えっ? この村なにって、所得で横浜や名古屋に余裕で勝っております。
今の時代、インターネットがあれば、欲しいものはamazonや楽天を使って、通販で買い揃えることもできますし、テレビもキー局の番組が見られなくても、その内、ユーチューブにアップされるでしょうから、別に田舎ライフが都会に見劣りするような時代でもなくなっていて、後は自分なりの年収が稼げるのなら、猿払村のような場所で働いたっていいじゃないかと、至極思ったのでした。


おまけ:
さるふつ公園から見た夕焼け
おらが村のゆるキャラ”さるっぷ”
松浦武四郎も来たみたい

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