河津桜も、もう開花してるはずだな |
二月上旬から咲き始めるという河津桜は、春の訪れを先駆けてくれます。
南伊豆は、春の訪れが一足早いからでもありますが、梅の開花も同じ頃です。
可憐な花弁も濃い目のピンクで、パッと咲いて散る潔い染井吉野とは違います。
早咲きですが、例年二月上旬から開花し始めて、一ヶ月で満開になります。
このため、満開が連綿と続く特徴があり、長い間、花見客を楽しませてくれます。
それゆえ、年間二百万人近くもの花見客が、この地を訪れるようになりました。
ただ、この時期を過ぎれば、河津はいつも通りのひなびた温泉町に戻ります。
まあ、山間に入れば河津七滝や八丁池など、観光地があることにはあります。
特に、川端康成の小説、伊豆の踊り子で有名な旧天城トンネルもそうです。
ですが、それなりで、この桜ほど、観光客を惹きつける魅力はあるのかどうか。
確かに、温泉ファン、桜マニア、文学愛好家には、なじみの観光地でしょうね。
そして、今新たに、仏女の詣でる聖地になろうとしているのが、この河津なんだ。
仏女っていうのは、主に仏像など仏教的な事物を好む女性を指す言葉です。
宗教的な意味合いを持つものではなく、純粋に仏像の鑑賞を楽しむスタイル。
加えて、座禅や説法で癒しを求めたりする、今や働く女性のトレンドなのです。
一方、歴女、鉄女、という言葉もメディアで使われて、お馴染みになりました。
それで、この河津には、荒れ果てたお堂に古い仏像がひっそりと眠っておりました。
それは南禅寺と言い、桜の咲く川土手を渡り、谷津という山奥に分け入ります。
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地区の住民が代々守ってきたお堂ですが、資力に乏しく荒れるに任せました。
しかも、山津波で呑み込まれた大寺院の仏像を掘り起こしては、移しました。
だから、朽ちてしまった仏像群は、お堂にぎゅうぎゅう詰めになっていたのです。
でも、ご本尊だけは価値が認められ、戦前は帝室博物館で展示されています。
なんと国宝の扱いでしたが、戦後は審査が厳しくて重文に格下げされてしまう。
しかも、この地区で保管・維持するのに必要な金銭的な余裕すら、ありません。
こうして、地区の人々は泣く泣く、指定を辞退してしまったという逸話が残ります。
現在は、県指定の有形文化財に留まっていますが、九世紀前半の古い仏像。
平安期のカヤ材による一木造りは、東日本では滅多に見られるものでもない。
朽ち果てることもなく、幾星霜を人々の信仰心で守られてきた薬師如来です。
それを見守るかのような、いっそう落剥の激しい仏像群は、何か哀れを誘います。
この仏像展示館にご動座され、千年以上の時を経て、仏様もホッとしたでしょう。
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しかも、平安時代後期に作られた”おびんずる様”像は、触ることもできました。
何でも、自分の痛い場所を、像に触ると霊験で、痛みが取れるというご霊験。
そんなことを、この展示館の管理人さんから説明を受け、自分も触れてみました。
本当は、高僧の仏像だったらしいのですが、時の移ろいで由緒は分からずじまい。
その内、庶民は、病除けの加護があると期待し、その名をなぞらえてしまいました。
多くの信者が触れた通り、かしこと照り光るをの見ると、素朴な信仰心を感じます。
一方、この辺りは、二三の寺院の興亡を経た中、山岳修験道も盛んなのでした。
行者さんの子孫に関わる方が、お寺の後方にあるお住まいになっておられるとか。
少なくとも数世紀という時間軸で、子々孫々、お住まいなのに圧倒されました。
というわけで、この仏像展示館は、のんびりハイキング気分で歩いて訪ねてみたい。
河津桜の咲く季節も良し、深い森に分け入るような新緑の季節でも良し、季節に応じながら仏様に会いに行くことで、何か心の洗われるものがあり、仏女もそうでしょうが、現代人の求める癒しや瞑想のために、この上なくありがたい場所柄であったということなのでした。
おまけ:
静岡県立中央図書館のHPでも紹介されています
「伊豆 歴史散歩 ~南伊豆・西伊豆編」
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