耀変天目茶碗は、数百年前に中国から交易で渡来した、謎に包まれた茶碗です。
中国南部の福建省の建窯(けんよう)で作られていた程度は、分かっています。
ただ、陶磁器を焼く際、窯の中で予期しない色に変化した結果が作品の全て。
黒地に大小の瑠璃色または虹色の光彩の斑紋が、美しく光り輝くのが美しい。
元来は窯変ですが、このような特徴から「耀」の字を当てるようになりました。
それで、中国の地名から、黒いうわ薬のかかった茶碗だから天目なんだってさ。
まあ、通り一遍の説明はこれくらいで、世界中に四点しか現存しておりません。
いずれも日本にありますが、これも茶の湯の名器として付加価値が付いたから。
戦国時代、織田信長が天下統一を王手にかけて、茶の湯は政治利用されました。
合戦の恩賞代わりに領地に代わる褒美で、茶器を下げ渡して茶の湯を許すのね。
与える領地や黄金のような実物資産が不足しましたから、名誉を与えるわけよ。
これって勲章みたいなものだけど、茶の湯ができるのが、正に社会的地位です。
こうなると、戦国大名たちも競って茶器を収集して自慢し合うようになります。
中には、奈良の東大寺を焼失させた松永久秀の大名もいたり、下剋上の世の中。
一方、三好長慶という阿波の国を治めていた戦国大名が、冒頭の写真の持ち主。
という触れ込みで、お宝鑑定団の番組に登場しましたが、かなり前の話です。
ところが、その後、真贋論争にまで発展してしまい、今は偽物が有力なのだ。
それで、本当は本物であって欲しいと強く願っているのですが、分けがある。
だって、出展者は、徳島県警を勤め上げて、脱サラしたラーメン屋さんなんだ。
客商売をする人なら、世間的な風評は非常に気にするところでもありましょう。
だから、そんな偽物を全国ネットの番組に、傍証の資料も付けて出展するのか。
食べログでは、評価3.56点の徳島ラーメン屋さんだから繁盛していると思うよ。
まあ、戦国大名三好長慶伝来の茶器なら、現代まで残されたのが奇跡でしょう。
今やその家系が絶えて、伝えられるべき茶の湯の名器まで散逸されてしまった。
それなのに、茶の湯大名だった三好家伝来の、天目茶碗が出たのはロマンです。
箱書もあればキワメ書き(鑑定)まであるとなると、信じてみたくなるんだな。
まあ、窯変の出来栄えが国宝級でなくても、そんなことは関係ないでしょうよ。
しかも、茶碗は釉薬の化学的な窯変を、その場の焼き加減に依存するだけです。
出来不出来は焼き上りを見なければわからないという、博打にしか過ぎない。
だからこそ、科学知識が未熟だった時代に、偶然に焼き上がった茶碗は少ない。
希少性芸術性で国宝に指定するのは納得ですが、多少不出来な物もあるだろう。
だから、今回の茶碗がその範疇に入るというのであれば、それも良しとします。
そして、あの中島さんの鑑定が、茶の湯の歴史的なロマンを感じさせてくれた。
それが付与されたからこそ、二千五百万円の鑑定額になったのではないかなあ。
というわけで、偽物だと強く主張した陶芸作家の話を聞くと一方的だよな。
その陶芸作家が作った天目茶碗を見ましたが、あれは再現だけであって、独創性も創造性も既に過去を踏襲しただけに過ぎない気がして、これまでの逸品を凌駕しているとは、余り感じられませんでしたし、陶芸作家として、そこまでこだわるのは、個人的なオリジナルな作陶というより、絶えてしまった工法を単に復活させようともがいて追従品を作っているだけだと思うような気もするので、こういった人間には、茶の湯の奥深い歴史性や物語性は絶対に理解できないのであろうなと、思ったのでした。
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