2020年5月20日水曜日

その脇には急坂のエンマ坂があって、そこを子供たちが通学するので、親御さんたちが見送りに来ますが、実に和むものがあるんだ - 最岸寺(焔魔堂)(そのほか)

    
春が来ると、粗末なトタン張りのお堂の周りは、ハナニラが咲き揃うのでした。
町内会のご高齢の方が堂守代わりになり、手入れを丁寧にされているようです。

名前は歳来寺(閻魔堂)と言って、創建は延宝三年(1675年)と歴史もあるの。
僧最岸により開基したのが、四月ニ十五日と分かっているのに、おんぼろお堂。

上人さんは、”さいがん”と読むのでしょうが、なぜか西岸良平を思い出します。
あの昭和の懐かしい時代を再現した漫画ですが、お堂のある町内はいいものだ。

それにお地蔵さまには赤い半纏と帽子が被せられていて、ほっとさせられます。
手狭でも地ならしされた境内がありまして、そこ一面にハナニラが咲くんだな。

そして、このお堂から歩いて七八分ほどで、交差点角に六地蔵さまが並びます。
こちらは、お不動さまの石碑を見ると正徳四年(1714年)とあって江戸中期。

   
日本史で習ったことかもありますが、新井白石が改革を断行した真っ最中の頃。
それで、この人が信奉した儒学こそ朱子学で原理原則こそ命みたいな学問です。

だから、ある問題に対して現実的な解決方法を探すということは致しません。
代わりに、物事はこうあるべきだ、これが正しいのだという考え方を押し通す。

とにかく猪突猛進、さすれば物事は自ずとよい方向へ変わっていくはずだって。
なぜなら、正しいことをすればかならずや天の助力が得られるからと理想主義。

これって、依怙地とか頑固みたいなもので、結局、経済は疲弊して不満も沸く。
こうして、失脚してしまいますが、そんな時代にまつられたお地蔵さまでした。

多分、鎌倉に通じたであろう街道筋だったので、往来は多かったのでしょうな。
それで、近くには鼬川(いたちがわ)も流れていますが、辞書にない漢字です。

でも、鎌倉時代の書物にこの字で書かれていたらしく、使い続けているみたい。
カワセミの住む川としても有名で、バードウオッチングに来る人も多いのです。

というわけで、自分の住むエリアは、江戸時代の地蔵様では驚くほどでもない。
なぜなら、この川のエリアでは、古墳時代の終末期から奈良時代までに造営されていた、横穴式のお墓がたくさん発見されており、勾玉、管玉や耳環などのアクセサリー、鉄剣あるいは鉄刀の武器などが出土していることを考えると、自分なんか、たまさかここに住んで一生を終える程度のもので、人々が生活を営んできた歴史の悠久さには、ただただ恐れ入ると思うのでした。



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