十九世紀は男性ばかり |
テレワークになって、かなりの月日が経過しましたが、要するに在宅勤務です。
ネット通信が高速化してメールで仕事のやり取りも、もはや普通になりました。
これに拍車をかけたのがコロナの流行り病でして、週三四日は家でお仕事です。
普通の事務職なら、これが当たり前になってきましたが、営業職もそうですな。
しかも、営業マンもZOOMやGoogleMeetでお客さんとビデオ会議する時代ね。
そうなると、常識になった自宅のお仕事なんか、在宅だと寝間着のままでOK。
ただ、朝礼のビデオに参加するときは、上着だけ正装したりと実に気楽ですな。
後は、メールを読みながら業務処理をしますが、音楽を聴いたって構いません。
なので、ユーチューブから聞きたい音楽を掛けますが、クラシックが一番かな。
他にはジャズも聞きますが、ながら族でイージーリスニングを楽しんでいます。
それで、ユーチューブに聞いたこともないクラシック作品が紹介されています。
特に、女性作曲家の作品がかなりアップされていて、中には交響曲まであった。
交響曲はオーケストレーションが大がかりですから、専門教育が必要でしょう。
なので、女性も高度な音楽教育を受ける機会が、一九世紀からあったようです。
それで、女性が作曲した作品で、ピアノ協奏曲はあるのにバイオリンのがない。
これには理由があり、弦楽器を学ぶ音楽の門戸が、女性にはありませんでした。
調べて分かったのですが、当時は、職業音楽は男性中心だったということです。
この頃、市民社会の成立で、演奏会も開催されてビジネスが確立していました。
演奏者の需要も高まって音楽学校の学生も増えますが、入学者は男性中心です。
ウイーン音楽学校の当時の統計では、女性は声楽部門の生徒に偏っていますね。
オペラという音楽劇には、女性声楽家のニーズもありましたから理解できます。一方、器楽部門の生徒は、オーケストラス楽器演奏者に向けた予備群でしょう。
こうそて、十九世紀、女性は職業演奏家として社会進出を果たしていなかった。
しいて言えば、一部の女性がピアニストとして音楽界で成功できたぐらいです。
作曲家シューマンの奥方、クララシューマンはその例で作品も残していますな。
ただ、小品が多いので、専門的に作曲をしていたわけでもなさそうな感じです。
要するに、女性は家庭音楽会のような場で、才能を披露するのが精一杯だった。
なので、音楽好きな家族内で楽譜を読んで、歌ったりピアノを弾いたりするの。
それでも、上流階級の子女は、音楽を専門的に学べる余裕もあったのは事実ね。
まず、クロアチアの作曲家、ドーラ・ペヤチェヴィチ (Dora Pejačević)がそう。
貴族出身の女性で宮殿みたいなお屋敷に住んでいたから、作風は後期ロマン派。
その階級がぴったりな感じで、大規模な交響曲やピアノ協奏曲も残しています。
これに対して、名を残した弦楽器の女性演奏者が現れるのは二十世紀からです。
同様に、女性作曲家がバイオリン協奏曲を発表し始めるのも、同じ時期なんだ。
伝記本が発行された(2018年)
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現代音楽風でもなく、日本人が聞くと何となく懐かしいメロディーに聞こえる。
そんな協奏曲ですが、本人はチェロを弾いていたので作曲ができたのでしょう。
彼女は、エニスケリーという美しい風景に恵まれた山村で、暮らし続けました。
生前に発表された機会も少なく、作曲を続けた動機が何だったのかと思います。
恩師の作曲家、ヴォーン・ウィリアムズは、いみじくも彼女をこう語りました。
”ほとんど知られることもなく作曲を続けるのは、とても勇気のあることだ”と。
まあ、これを契機に女性の作曲家が、バイオリン協奏曲を発表し始めるのです。
未だ無名に近いと言えますが、最近、アイルランドでは再評価され始めました。
というわけで、今やバイオリニストは女性が活躍する時代で、様変わりなんだ。
そして、女流バイオリニストの中では、二十世紀前半に活躍したルネ・シュメ―や、戦後、すい星のごとく現れたジネット・ヌヴーもフランス人だったのであり、さすが自由平等を求めたフランス革命の国ならではとも、思ってしまったのでした。
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