貴志 康一(1909 - 1937) |
若干25歳の日本人が、ベルリン・フィルハーモニーでタクトを振りました。
それも、戦前のことで、自ら作曲した作品を引っ提げて楽団に演奏させたんだ。
その人物は、貴志康一といいますが、帰国して三年後、急逝してしまいました。
たった28年の人生だったとはいえ、常人の一生以上を全うした気もします。
もっとも、生家がメリヤス業で財を成した豪商だから、環境は良かったはず。
神戸で暮らす外国人音楽家から習ったのがバイオリンで、腕はメキメキ上達だ。
やがて、わずか16歳でデビューして、将来を買われて欧州に遊学を果たします。
その間、名器、ストラディバリウスまで購入してまで、研鑽に励んだようです。
多忙を極めた作曲家・指揮者だったようですが、根っこはバイオリニストです。
そして、その天分を活かし切ったと思えるのが、このバイオリン協奏曲なんだ。
先ず、留学先のベルリンで第一楽章が初演されましたが、完成は帰国後でした。
残りの二楽章を、彼が亡くなる直前までに書き上げられていたのが、救いです。
でも、本人は生前に作品の生演奏を聴くことができず、さぞや残念だったろう。
それで、初演は十年近くも後の戦争末期のことで、ソリストは辻 久子でした。
この女性バイオリニストも、後年、ストラディバリウスの名器を入手しました。
自宅を売却してまで、購入代金三千五百万円をこしらえて話題になった音楽家。
自分が小学生だった頃で、この時に、ストラディバリの名を始めて覚えました。
彼女も、この七月に旅立って長寿を全うしましたが、貴志さんは28才でした。
疾風怒涛に駆け抜けた短い人生であったにせよ、この協奏曲は傑作に違いない。
戦前、日本のクラッシック音楽界の作品としては、頂点に達したと思うのです。
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しかも、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲の先駆的作品と引用されます。
まあ、後期ロマン派の音楽様式に、民族音楽を融合させたのは事実でしょう。
聞いて明快に分かるほどですが、伝統的なクラシックの壁を乗り越えています。
その作品の独自さは唯一無二で、超絶技巧のバイオリン独奏も華麗に際立つな。
特に、第一楽章カデンツァは、本人の演奏力が投影された結果だと思います。
というわけで、後年、所有した名器のバイオリンは、あっさりと手放していた。
名器の真価である美しい音が十分出し切れていないという批評に対して、ソリストとしての能力に限界を感じたせいでしょうか、もっとも辻 久子が購入したのは円熟し切ってからのことで、留学して二年目の彼が使いこなすのには早過ぎたのかもしれず、持っていれば良かったのにと思ってしまったのでした。
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