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この九月ですが、学び舎のあった小樽で卒業四十周年の同窓会が開かれました。
上さんも一緒に旅行することにして、函館新幹線で帰郷したのは投稿済みです。
それで、自分的なフィナーレの宴会は、夜更けの二次会まで延々と続きました。
体育会系クラブ関係者の面々が多かった中で、文科系は少なく落研は自分だけ。
写真部、旅行友の会とか面白いクラブの仲間もいましたが、体育系の話が秀逸。
特にオンボロな下宿屋の話になると、冗談みたいな話が沢山出て来て驚きです。
特に、学舎の敷地から道路をはさんで存在した、坂の上の望洋荘という下宿だ。
この下宿は別名カメムシ下宿と呼ばれていて、夏になるとその虫が湧いてくる。
ボロい木造下宿のせいか隙間があるらしく、勝手に闖入して来て始末が悪いの。
みんな窓には網戸をしていますが、それでも、部屋の中に見つけたら即退治だ。
このカメムシは、捕まえると臭いにおいを放つのでへっぴり虫とも言われるな。
最悪なのは、食堂で食事中にご飯の上に乗ったり、味噌汁の中に入っていたり。
これを食べると、口中にあのカメムシの匂いやら味がして、食べられなくなる。
さすがに下宿代が安いとはいえ、退散して下宿を替えて引っ越す人もおります。
こうして、引っ越した硬式野球部の彼ですが、その先も大変な目に遭いました。
それは、木造建ての遊郭を改造した下宿屋で、最初から曰く因縁がありそうだ。
実は、昭和二十年七月、太平洋戦争末期に小樽は米軍から空襲を受けています。
ただ、函館のような重要港湾の割には、火災による被害は抑えられたみたいだ。
このため、戦後も古い木造家屋が残されていて、女郎屋や置き屋が残りました。
実は、こう言った施設を下宿屋に改装する事例は、さほど珍しくはありません。
奈良県大和郡山市にある「旧川本家」という建物もそうで、三階建て木造家屋。
遊郭だったそうですが、下宿する人もいなくなって、空き家を市が買い上げた。
だから、下宿屋の名前は聞き損ねたのですが、他の人もあそこねと知っていた。
この下宿こそ、幽霊の出る曰く因縁があり、最初は、何ともなかったそうです。
ところが、ほどなくして、夜遅く、流し場へ歯を磨きに向かった時のことです。
何か、もやっと白い影が立っているのを、見てしまい震えが止まらなくなった。
酒を飲んでいる席で、彼もろれつが回らなくなっていましたが、顔つきが違う。
本当に恐ろしいものを見た証言をしたいのか、必死で説明する雰囲気でしたな。
というわけで、今は亡きムッシュかまやつも、「我が良き友よ」を歌っていた。
自分は、少し離れていた場所でマシな下宿にいたので、こんなトンデモ下宿で卒業まで頑張っていた同窓の逸話を聞けたのも、同窓会ならではのもので、次回の参加まで考えてしまう自分なのでした。
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