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二回チャレンジして、行ったら雪がありません。
なので、滑らずのスキー場になっています。
勤め人なので、まとまった休暇は正月休みです。
このため、初回は年末にたどり着きました。
ところが暖かくて雪の気配すら感じられない。
当時は、暖冬が当たり前だったと思います。
そこは、標高百五十メーター足らずの小高い丘です。
平野部に毛の生えたようなもんですから、根雪になるのが遅い。
それでも豪雪地帯に期待して出かけるんですね。
それが見事な空振りになってしまいました。
これに懲りまして、次の突撃は数年後になりました。
しかも、用意周到にと1月中旬を狙って敢行したのです。
でも、雪はあってもゲレンデを覆うには至らなかった。
結局、すぐそばの記念資料館を見学するだけになりました。
このスキー場、まともに滑るには何時行けばよいのかわかりません。
多分、二月に入ったら絶対に滑られるのだろうと思いました。
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ところで、金谷山は、上越市、かつての高田市にあります。
江戸時代、城下町として発展したせいで、町並みにも歴史の重みを感じます、
一方、この資料館のとおり、スキー発祥の地としても高名です。
きっかけは、明治になって陸軍第13師団が置かれたことらしい。
雪国ですから、冬季の軍事教練は重要になります。
速やかに雪中を部隊が移動するにはどうしたらよいか。
敵への偵察行動や山岳地帯の救援活動には、どんな装備が必要か。
結局、スキーは、最初は軍事目的で導入されたと言ってよいでしょう。
これが証拠に、スキーの伝達者はオーストリア陸軍のレルヒ少佐だった分けです。
思い出したのですが、ソチ五輪のジャンプ団体にもレルヒ君がいました。
清水礼留飛選手ですが、銅メダル獲得はすばらしい成績です。
いやはや、色々な思い出が交錯してきます。
悔しさも少しは募る金谷山なのでした。
おまけ:
金谷山ゲレンデマップ
日本スキー発祥記念資料館(中1)
日本スキー発祥記念資料館(中2)
日本スキー発祥記念資料館(裏)
日本スキー発祥記念資料館(スタンプ)
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