平成15年3月22日滑走 |
平成15年頃と言えば、未だ、ネットで情報検索するには未だ幼稚な時代でした。
ユーチューブも始まっていなかったし、グーグルよりヤフー検索を使いました。
それほど時代が激変したということですが、ネットも依然文字情報が主体の頃。
画像もアップはされていましたが、それほど多くは無かったのデザインのHP。
まだ、書籍の印刷媒体がメインだった、最後の残り火の時代だった気もします。
そんな中、当時は、スキーブームが覚めてスキー人口も減少し始めていました。
そのためか、ゲレンデガイドブックの発行点数が減りだしたと感じたのは事実。
それで、立風書房の”オールスキー場ガイドブック”を久しぶりに買おうとした。
ところが、売り切れたのか見つからずに、カラー写真満載の他の書籍を購入だ。
実は、このガイドブックに、このスキー場の詳しい紹介が無かった記憶がある。
オープンが平成八年とかなりの後発ですから、知名度を上げられなかったのか。
まあ、開田高原が付くから御岳山麓にある開田村のロケーションぐらいの認識。
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なので行くかどうかをためらいましたが、どうせ濁河温泉へ遠出したのだから。
と思い切って、この日は、Chaoおんたけ、濁河温泉と滑って三ヵ所目を目指す。
この周辺は、既に廃止された”御岳ロープウェイスキー場”で滑った経験がある。
周辺の県道も走ったし、近隣の日帰り温泉”やまゆり荘”で湯にも浸かった経験。
この温泉が、鉄サビ臭が凄くて、蛇口の温泉汚泥を誤って手ぬぐいにこぼした。
そうしたら、洗っても赤い斑点が落ちなくなってしまった記憶があるほどです。
だからという分けでもありませんが、もう一度、この湯に入りたくもなったの。
こうして、行くことを決めて、道路にある看板を見つけながら走って到着です。
すでに午後二時近くになっていまして、営業終了まで滑りまくって疲れました。
このスキー場は、山麓で標高千五百メーター超え、トップが二千百メーターだ。
山岳スキー場と言ってもよく、正直に言えば、志賀高原も真っ青なゲレンデね。
おんたけ2240のゲレンデも、標高が高くて雪質最高でしたが、ここも良好なの。
ただ、内陸の高原スキー場のせいか、雪不足をスノーマシンで補う感じでした。
それでも、トップまで上がった場所のゲレンデは最高で三月末にしてはベスト。
というわけで、このスキー場も経営が思わしくないのですが続けてもらいたい。
この後、ヘロヘロになっても横浜まで車を運転して帰ったと思いますが、その記憶があいまいで、おそらく夜の十時ごろまでには帰宅できたはずですが、これも若い頃の体力があってのことで、既に還暦ジジイとなった今、翌日は有休にしてしまうだろうなとも思ったのでした。
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