2015年1月30日金曜日

温泉場につき物の小さなゲレンデは、やっぱり生き残りが難しいかも - 燕温泉スキー場(新潟県・上越)

平成3年4月28日滑走

かつての国土計画が主導して開発したスキー場は、正に全国展開の感じでした。
ところが、社名もコクドに変わり、約十年前に経営不振で解散してしまいました。

巷では「借金経営」と呼ばれた経営手法も、バブルはじけてしまえば続かない。
高度経済成長期に続いた地価の上昇がベースで、右肩上がりが信条なのです。

かいつまんで言うなら、借金体質の自転車操業的な資金調達が原資でした。
銀行から巨額の融資を得て土地を取得後、ホテルやレジャー施設を建設する。

土地の資産としての付加価値が高まれば、値上りした地価上昇分を盛り込む。
これを元手にして新たな融資を受けながら、次の土地開発を進める段取りです。

そんなに世の中、うまく行くはずが無いと思いますが、当時はバラ色なのでした。
まあ、禍福はあざなえる縄の如しで、デフレで不景気になり地価も落ち込みます。

こうなると営業収入だけが頼りでして、借金は返済していかなければならない。
時期的には失われた二十年になりますが、金利もかさむしかなり苦しいでしょう。

こうして、コクドのゲレンデは、休廃止が立て続けに発表されるようになりました。
時期的には、平成17年頃のことで、スキー客の減少が追い討ちを掛けるのです。

結果、売却・閉鎖のスキー場が21ヶ所になり、自治体はさぞやあわてたでしょう。
おらが町や村の観光収入も減って、固定資産税の収入も見込めなくなります。

ただ、温泉とか景勝地とか観光の本命が別にあれば、影響がないかも知れ無い。
こういった背景では、燕温泉スキー場も、冬場には惜しいぐらいだったのでしょうか。

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だって、滑りたければ、周辺には規模の大きなスキー場が散在しております。
赤倉温泉、妙高杉の原、池ノ平などで、隣には関温泉のゲレンデもあります。

こうなると、魅力的なスキ場に客が群がり、ゲレンデの集約化は避けられない。
結局、このスキー場は、当然の成り行きとして平成18年に廃止されました。

まあ、中上級者向けの比較的難度の高いゲレンデだし、距離も長くありません。
一方、”坊主おとし”のあだ名を持つスロープもあって、歴史を感じたりもします。

伝説では、弘法大師が開湯とありますので、お大師様が転んだのでしょうかね。
自分の滑った時、下のリフトだけが運転されていて、実に短いゲレンデでした。

関温泉スキー場の帰りに立ち寄ったのですが、記念に滑っておいた良かったです。
今では、滑走することもかないませんので、コクドのリフト券は貴重なのでした。

というわけで、たどり着くには一車線の狭く長いトンネルを越えねばなりません。
この妙高トンネルですが、開通してから未だ四半世紀しか経っていないのです。

それまでは、冬季は通行止めなのに、スキー場は半世紀も前に開かれました。
第一リフトの運行開始がその頃のことで、大した歴史のあるスキー場なのです。

もっとも、山岳スキーのコースとしては百年近い歴史もあり、人工的なゲレンデがなくなっただけのことで、自然のスロープを楽しめるエリアには違いなく、それ以外にも滝めぐり野趣あふれる露天風呂など、観光地としての魅力にあふれていますから、再訪する価値はあるのだと納得したりもするのでした。


おまけ:
<売却スキー場リスト>
①ニセコ東山プリンスホテル(ゴルフ場・スキー場・ニセコゴルフコース)(北海道)
②糠平温泉スキー場※(北海道)
③函館七飯スキー場※(北海道) 以上は 2006年12月7日付。プリンスホテルの運営最終日は2007年3月28日。
④阿仁スキー場※(秋田県)
⑤鰺ケ沢プリンスホテル(スキー場・鯵ケ沢高原ゴルフ場・津軽高原ゴルフ場)(青森県)
⑥湯沢中里スキー場(新潟県)
⑦表万座スキー場※(群馬県)
⑧水上高原プリンスホテル(ゴルフ場・スキー場・ゴルフレジデンス)(群馬県)

<休止・廃止したスキー場リスト>
⑨津別スキー場(北海道) - 運営最終日は2007年3月19日
⑩深川スキー場(北海道) - 運営最終日は2007年3月21日
⑪真駒内スキー場(北海道) - 2006年廃止
⑫森吉スキー場(秋田県) - 2006年廃止 森吉第1高速リフト(4人乗り)はチェアリフトとしては日本最長
⑬千畑スキー場(秋田県) - 2005年休止、2006年廃止
⑭日光菖蒲ヶ浜スキー場(栃木県) - 2005年休止、2006年廃止
⑮燕温泉スキー場(新潟県) - 2006年廃止
⑯土樽スキー場(新潟県) - 2005年廃止
⑰三国スキー場(新潟県) - 2005年休止、2006年廃止
⑱小千谷山本山高原スキー場(新潟県) - 2005年休止、2006年廃止
⑲湯田中渋温泉ごりん高原スキー場(長野県) - 2007年3月23日廃止
⑳妙高パインバレースキー場(新潟県)- 2008年休止
(21)西武園遊園地スノーボードパーク(埼玉県) - 2005年休止


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2015年1月28日水曜日

峠を越える三国街道の三宿は、全部スキー場になってたんだよ - 浅貝スキー場(苗場スキー場浅貝ゲレンデ)(新潟県)

平成3年滑走


今は昔、越後の代議士で初めて内閣総理大臣となった政治家がおりました。
それは、自民党の田中角栄氏でして、率いた政治団体が越山会といいました。

文字通り、山を越えねばならない意味ですが、それは険しい三国峠を指します。
雪深い上越から中央政界を目指す上で、この峠越えを大事に思ったのでしょう。

冬季に標高千五百メーターの山越えをするなど、今ですら至難の業に違いない。
雪雲が上越の山々にぶち当たり、積雪は容易に五メーターにも達するのです。

ところが、厳しい冬場ですら、戦国大名の上杉謙信は、関東へ出兵しました。
この進撃も越山と呼ばれたのだそうですが、どうして冬場に攻め込んだのか。

当時の足軽・雑兵は、一領具足の農民ですから、農繁期に徴用は困難です。
一方、収穫期が過ぎると、兵を養うために現地で食料の略奪が可能になります。

だから、軍神、上杉謙信は、秋から冬にかけて関東出撃を繰り返したのでしょう。
こうして、江戸時代より前の戦国期より、この街道は整備され続けて来ました。

それで、この街道沿いには宿場町が設けられたのですが、この浅貝も一つです。
三国三宿といわれていたそうで、峠から浅貝~二居~三俣と続いていきます。

現在は国道17号線が通っているのですが、この地名からはっと気がつきました。
実は、この三つの宿場町って、みんなスキー場が設けられ運営されているのです。

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特に二居は田代、三俣はかぐらのゲレンデがあり、ロープウエー駅を起点とします。
苗場スキー場は浅貝地区ですから、三国三宿は、正にゲレンデ街道なのです。

ただ、宿場の名称に因む浅貝スキー場が、苗場に吸収されて惜しい気もします。
他方、参勤交代の本陣だった温泉旅館は、創業四百年と立派に健在でした。

これだけ由緒の地名ですと、ぜひにスキー場の名称として残ってもらいたかった。
もっとも、スロープに余り特徴が見られませんので、生き残るには致し方ないのか。

大きなスキー場から溢れた客を受け入れていた時代も、はるか昔になりました。
今は、客の来る目当ては、苗場リゾートでしょうから、寄り添うのが正解でしょう。

というわけで、一時期、苗場スノーパルマベルカントとも呼んだスキー場でした。
自分的には、クワッドリフト一本を繰り返して乗っては滑った記憶しかありません。

ただ、関越道の高速をケチって、よく三国峠越えをしていた頃、必ず最初に出会うスキー場だったのが未だに印象的が残っていまして、文豪川端康成の”トンネルを抜けると雪国だった”のではなくて、この浅貝ゲレンデだったのが、いまだに懐かしく感じられるのでした。


おまけ:
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注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)

    

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2015年1月26日月曜日

駅に直結するスキー場だけど、新幹線で出かけたことがない - ガーラ湯沢スキー場(新潟県)

平成3年12月15日滑走

このゲレンデは、JR東日本のグループ会社であるガーラ湯沢が運営しています。
初めは、JR社員の発案による社内プロジェクトとして企画され、大成功しました。

これも、同社が民営化されて事業が多角化できるようになったおかげなのでしょう。
ご存知の通り、新幹線とゴンドラが直結するスキー場として話題を呼んだのです。

二十周年を迎えたのは既に四五年前で、だいぶ昔の話になってしまいました。
ちょうどスキーブームの最中ですが、最近はオープンするゲレンデも殆どありません。

ゲレンデとしては未だ後発かもしれませんが、資本力のJRだけに規模が大きい。
当時、湯沢駅周辺は、スキー場に開発できる斜面が既に残っていませんでした。

布場のゲレンデは、百年近く前にスキー講習会として利用されたのが始まりです。
その後、ゲレンデは順調に拡大され、昭和34年にロープウェーも開通しています。

こうして、山頂部までコースが展開されると、駅前から割り込む余地もありません。
結局、湯沢高原と石打丸山の間に、新規にコースを開発する必要がありました。

しかも、湯沢駅から少し遠くなるので、新たに停車場まで作ってしまう発想です。
これが、上越新幹線専用の停車駅になり、ガーラ湯沢と命名された背景です。

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スキー場自体は、この駅から急な斜面を駆け上がった山上に設計されました。
スキー客の利便を考えると、新幹線とゴンドラの旅客駅を兼用させてしまおう。

結果、高速なゴンドラが掛けられたのですが、この命名がよく考えられていました。
ディリジャンス”といい、十八世紀ヨーロッパの駅馬車を意味しているようです。

当時、パリとリヨンの都市で俊足を誇り、夏は五日,冬は六日で走りました。
時速は一般に時速13キロ程度だったそうで、片やゴンドラは秒速5メーターです。

これを時速に直すと18キロになり、この名前が似つかわしいのかもしれません。
駅から直結してアクセスもいいし、首都圏からのスキー客には人気のゲレンデです。

場内一日券などオプションを追加した企画乗車券も設定されて、お得でしょう。
ただし、この駅はスキー場の営業期間中だけに開設される臨時駅なのでした

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というわけで、平成四年シーズンの初滑りゲレンデが、このガーラ湯沢なのでした。
実際には、新幹線で出かけたことがなくて、この時も車を運転して出かけました。

続いて、距離が1.5キロの連絡ゴンドラに乗りますが、これがもったいないのです。
これぐらいの長さのスロープを降りられたら、もっと面白いだろうとも思いました。

この後、頂上駅からは標高も高いので雪質が良くて、滑走を満喫いたしました。
ただ、隣接のゲレンデとは容易なのに、共通リフト券は未だ無かったと思います。

後年、この共通券が設定されたのを機に滑り歩いてみたのですが、その体験は湯沢高原スキー場の投稿で紹介させてもらうとして、交通至便こそが成功の源泉であったのだろうなと、思うのでした。


おまけ:
ガーラ湯沢一日券(裏)
ガーラ湯沢駐車場券

JR東日本は、地方別に分社化される前身は、日本国有鉄道といました。 
日本政府が管掌する公社、つまり公共企業態の一社だったというわけです。
だったわけですが、平成十年に
三公社五現業は、公共企業体及び国の経営する企業の総称です。
三公社は、中曽根内閣により民営化。
日本専売公社 → 日本たばこ産業
日本国有鉄道 → 日本国有鉄道清算事業団(1998年(平成10年)10月22日解散)、JRグループ
日本電信電話公社 → NTTグループ



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2015年1月24日土曜日

そうは問屋がおろさない冬季通行止めの解除は、五月下旬からだよ - 関温泉スキー場(新潟県)

平成3年4月28日滑走

昔は、スキーシーズンの総仕上げに、ゴールデンウイークが待ち構えていました。
四月でも、ゲレンデの雪が消失してリフトが止まるまで、滑りが止められません。

毎週末には、スキー行脚の旅で出かけましたが、四月は道路に雪がありません。
雪道の運転に神経を使い、時間も費やしてたどり着いていた頃が嘘のようです。

快適なドライブで、窓を開けて春風が流れ込んでくるのを楽しんだりしました。
こうして、真冬に難しかった遠隔地のスキー場を、次々と攻め落としていくのです。

特に、新潟県だと関越道沿いの湯沢・石打より離れたゲレンデがターゲットです。
この年は、五月連休の直前で、入広瀬村と津南町にあるスキー場を滑りました。

そして、連休に突入した契機に、ここを目指したのですが、道路が問題でした。
ロードマップを見ると、赤倉温泉から県道が伸びているんですが、冬は閉鎖です。

このため、国道18号線の関・燕交差点で左折する正攻法で走らねばならない。
ところが、現在でも季節知らずのお馬鹿カーナビにたぶらかされそうになるのです。

大体、カーナビに冬季の道路閉鎖情報なんて織り込まれていませんから、斬り。
ちょっと懐かしい、ギター侍風に言わせていただきましたが、本当の話みたいです。

なぜなら、未だにホームページは、アクセスに関わる注意書きを掲出していました。
きっと、たどり着けないからどうしてくれるんだと、苦情を受けていたんじゃないのか。

関温泉スキー場HPより

カーナビゲーションご利用でお越しの場合、赤倉から関温泉へ抜ける経路をご案内することがありますが、そちらのルートは冬季通行止めとなっております。
18号線からのルートしかございません。お気をつけください。


この警告って、二十数年前の出版物、ゲレンデガイドでも読んだ記憶があります。
あの頃は、道路地図帳しかなくて、主要道路のみ冬季閉鎖の記載がありました。

赤倉温泉から関温泉までの県道レベルですと、それが全く考慮されておりません。
恐らく、赤倉温泉から関温泉のゲレンデへ滑りに行こうとする人がいるのでしょう。

狸に化かされる以前に、未だに雪にたぶらかされる奇特さは、噴飯ものでしょう。
というわけで、現在のゲレンデはリフトが半減して、実にちんまりしてしまいました。

標高が千メーター足らずなのに、五月連休に楽しめるのは豪雪のおかげなのか。
多少、雪がベタ付いていても、ピーカン照りの青空の下で滑るのは最高です。

雪も溶けて、地面の下草が浮き上がって来たスロープを避けながら、滑りまくる。
これこそ、典型的な春スキーの滑走なのですが、関温泉の醍醐味はここにあるのだと、痛く感じたのでした。


おまけ:
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注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)

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2015年1月21日水曜日

閉鎖しかかると歯止めがかからないけど、みんなが支援で崖っぷちの大成功 - 関越国際大原スキー場(魚沼大原スキー場)(新潟県)

平成3年4月20日滑走

このスキー場は、二三年前、利用客の減少で危うく閉鎖しかかるところでした。
魚沼市には、五ヶ所の市営ゲレンデがあり、ここ大原スキー場もそのひとつです。

平成の大合併で市に昇格しておりますが、スキー場の所在は旧入広瀬村です。
他に、堀之内町、小出町、湯之谷村、広神村、守門村が編入に加わりました。

全国では、市町村が数にして半減してしまうほど、過激な変化だったのですよ。
総務省もずる賢く、自治体の広域化で財政基盤が強化されると誘い掛けます。

しかも、地方交付税の配分が、合併前のままで十年据え置く特例を設けました。
この十年が甘いわなで、何も考えずに自治体を運営すれば、一体どうなるのか。

合併で似たような公共施設も増えますし、財政のためには削りたいところでしょう。
ところが、地域住民へのサービスを考えれば、おいそれとは減らしにくいものです。

一方、老朽化で維持費も増えて、広域をカバーする費用がバカになりません。
自治体も、施設を廃止したいのが本音で、魚沼市は、正にスキー場なのでした。

しかも、ゲレンデが五箇所だと、一二ヶ所は減らしたってかまわないと思うでしょう。
ところがどっこい、スキー客のために民宿を開いていたり、温泉宿もあったりします。

豪雪地帯の冬だと行楽もありませんから、スキーというスポーツはかけがえがない。
それでも、魚沼市は、合併から五年後に民営化へ移管する構想を練りました。

現状、スキーブームの絶頂期に比べて、客数は三分の一まで急減しております。
結果、収入の見通しも立たないはずでして、誰が経営権を譲り受けましょうか。

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実際に、この五ヶ所を滑ってみたのですが、この大原スキー場は実に辺鄙でした。
既に人口に膾炙している限界集落という言葉のどおりで、ひっそりとしていました。

二十年以上前に出かけて感じたほどで、現在はもっと進んでいるかもしれない。
しかし、この近辺には浅草岳守門岳など登山で親しまれている山もあります。

夏は登山、秋は紅葉、冬にはスキーができるなんて、立派な観光地に違いない。
近くには旅館喜楽荘さんもあったりして、大原スキー場の存続は死活でしょう。

ここには民宿旅館組合もあるし、おらが地区のスキー場は欠かせないのです。
こうして、住民の音頭で、昨年、NPO法人「入広瀬元気クラブができました。

魚沼市から指定管理も受け、引き続き営業ができるようになったのがうれしい。
先ずは、一年目のシーズンが終わったところで、これからの検討に期待しましょう。

というわけで、大原スキー場は、あわや廃止のところまで追い込まれたものの、地域の人々の熱意によって受け皿の会社が設立されたことで、上手に徳俵に足が掛かった感じもして、今後とも末永くゲレンデを維持して言って欲しいと、強く願うのでありました。


おまけ:
平成25年度年末年始スキー場利用客状況
(平成25年12月29日~平成26年1月3日)
        今年度  前年度 比較
奥只見丸山  1750  1410  124%
大湯温泉        460    730    63%
薬師             2450   2697   90%
小出             3400   2300 147%
須原             3390   2860 118%
大原               600     540 111%
合計           12050 10537 114%
※少しでも、利用客が増えてくれるとうれしいですね。

☆このゲレンデには、コアなファンがいたりもします。
新潟市ジュニアスキーチーム 
大原スキー場閉鎖問題説明会報告
大原スキー場閉鎖問題説明会続報
SKI 大好き人間 【佐藤智子】 の日記

    
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2015年1月19日月曜日

大量輸送の必要性があるほどの距離とは思われないんだけど - クワッドリフト雑考(志賀高原)(長野県)

安全索道クワッドリフト

志賀高原は、日本でもっとも有名なスキーリゾートとして、言わずもがなでしょう。
現在、19ヶ所のスキー場と52基のゴンドラ・リフトが運行され、規模がどでかい。
 
冬場になれば、スキー場を移動するのに、シャトルバスが運行されるぐらいです。
一方、蔵王温泉スキー場も規模が大きいですが、索道数は41基と及びません。
 
全体の標高差は980mありますが、通しで滑られるコースがなくて少し残念です。
なぜなら、標高トップの横手山と、山麓のブナ平では、エリアがまったく違います。
 
もし、一気通貫で滑るとしたら、寺小屋から東館山、発哺ブナ平のコースでしょう。
この標高差は730mにもなり、かなりの滑りがいがあるのは言うまでもありません。
 
ただ、コースが複雑でひとたび間違えば、上級コースに出たりしてハードルも高い。
自在にスキーを操るスキーヤーが、ゲレンデマップを片手に楽しめる感じでしょうか。
 
家族連れや初心者の方は、一面バーンで見渡せるスキー場の方が滑りやすい。
迷子にならず、衝突や怪我もしないで、見通しの良いコースが重宝されるのです。
 
こういった趣向のゲレンデですと、縦に長く標高差のあるスロープは不要でしょう。
幅広であればよく、その意味では、高天ヶ原・市の瀬のスキー場が該当します。
 
どのスキー場もリフトが二三本で、一本一本のリフトを乗って楽しむ感じでした。
長い滑走距離を余り必要としませんから、リフトもそこそこの距離しかありません。
 
特に驚いたのは、距離が五百メーターしかない高速クワッドリフトの存在でした。
一の瀬ダイヤモンドスキー場にあるのですが、乗車時間はたった二分でしかない。
 
だいたい、高速リフトはスキーヤーの大量輸送を目的として設置されるものです。
一時間当たり、最大二千四百人を頂上駅へ運びあげてしまう能力を持ちます。
 
これだけ、頂上駅へ初心者やらファミリーのスキーヤーが降り立ったらどうなるか。
ゆっくりのんびりと滑り降りるでしょうから、途中、人でごった返す可能性もある。
 
ただ連絡コースが充実していますので、お隣のゲレンデへ簡単に移動できます。
こうして、さほど問題にならなかったのが、志賀高原のドでかさなのだと思いました。

安全索道高速クワッドパンフ
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(握索装置の技術説明あり)全ページご覧いただけます
  
このクワッドリフトは、安全索道㈱が会社として最初に設置した索道になります。
時は昭和62年、競合する日本ケーブルの導入が三年ほど早いので後発でした。
 
スキーブームの華やかりし頃、映画”私をスキーに連れてっても流行りましたなー。
松任谷由実の「恋人がサンタクロース」も、映画の挿入歌で一般に浸透しました。
 
ネコも杓子ももてたければ、スキーだと滑りに出かけしまうご時世だったのですよ。
だから、儲かるのが当たり前で、運営会社も無造作にクワッドに投資していました。
 
こうして、この志賀高原には実に短いクワッドリフトが乱立していったというわけです。
平成15年のゲレンデパンフを見ましたが、探し出せたリフトは次の通りです。
 
① 笠岳スキー場 笠岳第一クワッド 406m (3分27秒) 
② 一の瀬ダイヤモンドスキー場 一の瀬ダイヤモンドクワッド 474m (2分15秒)
③ サンバレースキー場 法坂第一クワッド 518m(2分53秒)
④ ブナ平スキー場 ブナ平クワッド クワッド 521m (2分54秒)
 
この内、①番のリフトは、固定式循環式でロープに搬器が固定された方式です。
秒速2メーターと月並みな運行速度ですが、四人がけとなれば輸送力は大きい。
 
おそらく時間当り二千人は運べたと思いますが、四人が腰掛けるとも限りません。
実際の輸送力は多少間引くとして、スキーブームが去った現在はどうなったのか。
 
利用客もかなり減少してしまいましたし、一人か二人しか乗らなくなったはずです。
こんな環境では動かすほど赤字がかさむため、終に笠岳は休止してしまいました。
 
一方、残り三基は速度を落としながら運行中で、異なるタイプの自動循環式です。
これは、搬器が乗車する際、ロープ(索道)から離れてゆっくり動いていく方式です。
 
ご存知かと思いますが、腰掛けた途端、急にスピードを上げて運んでくれるのです。
搬器が索道に合体して頂上駅まで運び上げてくれて、この加速感がたまりません。
 
この方式は、搬器の着脱方式にノウハウがあるようで、特許がらみだと思いました。
だって、日本ケーブルと安全索道の方式では、押さえバネの構造が違っています。
 
日本ケーブル会社案内より
グーグルドライブはこちらから
上に掲げた安全索道製と比較してください

デザインの差異も極端に目に見えて分かり、後者はスプリングが下向きでした。
握索装置と言うのだそうですが、前者の装置ではコイルのピッチが詰まっています。
 
他方、安全索道はピッチがゆるくて格好が大きいめで、取り付け方向も違いました。
リフトに乗っていると、搬器が支柱の車輪を通過する際に衝撃が伝わるのでしょう。
 
チャリンチャリンと小気味よく音を立てるのですが、これが結構怖い感じもするのです。
ひょっとして、搬器が外れてしまったらどうしようと、つい不安に駆られてしまうのでした。
 
というわけで、当時の既存ゲレンデにクワッドを掛けると五百メーター強がやっとです。
この後、全国で滑走距離の長い縦線形のスキー場が、次々に開発されました。
 
結果的に、長距離のクワッドが目立つようになりましたが、これも当然のことでしょう。
寒さをしのぐためにフード付きで、運行時間の短い高速リフトは、趣旨が分かります。
  
こうして、早い時期に高速クワッドリフトが導入された志賀高原では、リフト待ち一~二時間が当たり前なメチャ混みの状況を解消しようとして、せっかちに導入されたのであろうなと、今になって思うのでありました。

 
おまけ:
志賀高原パンフ2002-3
グーグルドライブはこちらから

全ページご覧いただけます
  
※短距離のクワッドリフトは、意外に見つかります。
白樺湖ロイヤルヒル 第2クワッドリフト(高速) 510m
車山高原 クワッドリフト スカイジェッター(高速) 551m
八方尾根  黒菱第2クワッド(固定式) 275m
HAKUBAVALLEY鹿島槍 第3クワッドリフト(固定式) 250m

     
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2015年1月17日土曜日

スキーブームの頃は、自動販売機の大手も参入していたんだ - スキー場リフト自動改札システム (その二) (スキー場設備)

富士電機スキーゲートシステムグーグルドライブはこちらから
  
富士電機は、日本の大手電気機器メーカーで、準大手重電三社の一社です。
重電といえば、発電や変電といった産業用の電機設備を指し示していますね。

最近では、スマートグリッドの展開も積極的でして、実証実験も参加しています。
それから、地熱発電では世界で四割のシェアをもつ、世界一の企業でした。

一方、自動販売機の分野では、国内一位のシェアで過半数を握っています。
三洋電機の子会社株式を吸収したのがきっかけで、業界のトップになりました。

実は、この製品は、貨幣を投入してお釣りが出る決済機能を持ち合せています。
それに、自販機のメンテナンス業務も、全国的な展開で行われているでしょう。

加えて、鉄道は磁気乗車券が主流になりつつあり、自動改札機も普及しました。
リフト券も切符には違いなく、同じようなシステムの開発はできると考えるでしょう。

しかも、スキー場に加えてリゾートもブームで、ビジネスのチャンスが考えられました。
こんな状況ですから、富士電機が製品に参入したのも分かるような気がします。
  
富士電機カードシステムグーグルドライブはこちらから
富士電機リゾートカードシステムグーグルドライブはこちらから

と言うわけで、リフト券の自動改札システムに富士電機も関係しているのでした。
ただ、昔はそうでも現在は営業中なのか、ネットではよく確認できませんでした。

会社の広報へ電話してみても、分からずじまいで後ほど返答するとのことです。
その後、少し時間を空いて、今はもう取り扱っていないと回答を受けました。

親切にわざわざ電話で返してくれたのですが、事業を取りやめたのは残念です。
ネットで見られる会社の研究紀要の直後らしいですが、さびしくも感じました。

まあ、ビジネスは栄枯盛衰で、スキーブームが去ってしまえば致し方ありません。
それでも、四半世紀近く前のパンフレットを後生大事に保存し続けてきた結果として、このブログでパンフを掲載することができたのでもあり、取って置いて良かったと自画自賛で思うのでした。

  
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2015年1月15日木曜日

ソランって、懐かしいTVアニメを思い出したりして - スキー場リフト自動改札システム (その一) (スキー場設備)

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森永製菓がスポンサーだった「宇宙少年ソラン」のアニメは、毎週、楽しみでした。
TBS系とネットを組んだ放送局が北海道にもありましたので、視聴できたのです。

特に主題歌が大好きでしたが、ユーチューブで聞けたりして、懐かしさを覚えます。
キャストに宇宙リス”チャッピー”が相棒で、可愛い古月ミカちゃんも登場しました。

さて、このソランですが、スキー場と関係が無くもない名称だったりして驚きました。
まあ、話せばこじつけ程度なんですけど、ちょっとばかし紹介させてもらいますね。

スキー場でリフト自動改札システムが話題になったのは、平成の始まった頃です。
M・K・Cと言う長野にある会社も、開発に成功して営業実績を積んでいました。
  
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パンフレットを見ましたが、岩岳、乗鞍高原温泉などで導入されていたようです。
それで、この会社が妙に気になり、現在も製品を取り扱い中か調べ始めました。

ググったりすると、同じ名称の会社は見つかるのですが、ちょっと違うみたいです。
続けて、製品名や所在地の県名などキーワードを取替えて、検索を続けました。

その内、”株式会社エム・ケー・シー 長野県”で検索するとソランが出ました。
なんとトップに躍り出たのですが、この社名と長野県が該当してヒットしたようです。

それは、ウイキペディアの記事によると”ソランという企業を紹介したサイトでした。
早速、クリックして訪れると、どうも合併して社名が変わっていたのも分かりました。
  
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平成13年に、「空+RUN(走る)」を由来にして新しく命名されたとあります。
カタカナ名にしたのも、役員の方が自分と同世代だろうと思わざるを得ません。

あの頃、昭和四十年代は、科学空想アニメが子供たちには引っ張りだこでした。
鉄腕アトム、スーパージェッターなど、宇宙や科学の夢であふれていたのです。

もちろん、ソラン社はシステムインテグレーターなので、事業内容には合致します。
ただ、このシステムがホームページを見ても、営業中なのかよく分かりませんでした。

そこで、長野オフィスに電話したところ、事業から撤退していた説明を受けました。
スキーブームも去った今、ほとんど新しい投資の無い現状では致し方ありません。

設備更新も、志賀高原で約二十年掛かりましたから、機会が少ないでしょう。
と言うわけで、リフト券の話とソラン株式会社は、それなりの因縁を持つのでした。

四半世紀近く前のパンフレットを持ち出したとしても、会社の方は何を言ってるのか分からず、電話で説明するのも大変だったのですが、ブログにパンフを掲載する旨を話したら、ちゃんと答えてもらえたことが、うれしく感じたのでした。

  
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2015年1月13日火曜日

ももんがになって、疾風(かぜ)に乗り、信濃川に向かって飛び込もうぜ - マウントパーク津南スキー場 (その二) (マウンテンパーク津南)(長野県)

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ももんが君も、スノーパラダイスに、ひとっ飛びに思い思いのシュプールを描きます。
滑空していると言った方がいいのですが、マスコットはなかなか可愛いキャラです。

ゲレンデトップから、盆地を縫って流れる信濃川へ向かって、一気に滑り降ります。
このパノラマビューは、ちょっと他のスキー場には見られない景観で忘れられません。

キャラのももんが自体も、他のスキー場とは違って滑走する雰囲気がありますね。
くりくりとした目がキュートで、このコンセプトがリフト券にまで使われていました。

リフト回数券

このスキー場、スキーブームの去った今、リフトが二本と規模が小さくなりました。
昔は、連絡リフトも含めて、五本のリフトが稼動して長い滑走距離が取れました。
 
距離で二キロのダウンヒルも楽しめ、そこそこ規模のあるスキー場だったと思います。
それと、このスキー場の特長的なのは、JR津南駅に直結した登はんリフトでした。
 
周辺が駐車場ですが、ゲレンデは付近まで伸びていないので使う必要があります。
ペアリフトですが、一応、降りられる上級の山麓コースが取り付けられていました。
 
申し訳程度に開削したぐらいでしょうから、ほとんど使われなかったのじゃないか。
それに、ボトムの標高が二百メーターちょっとで、積雪も安定しなかったと思います。
 
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いかに豪雪地帯の津南と言っても、湿った雪が多いですし融けやすいですからね。
この連絡リフトを使って二本のリフトを乗り継ぎ、ようやく管理センターに到着です。
 
実は、センター付近の方ゲレンデトップに近くて、リフトを一本乗るだけなのです。
ここへたどり着く場合、JR飯山線の越後田中駅を抜け、細めの道を上がります。
 
結構、くねくねして傾斜もきついので、圧雪路なら運転が難しそうに思えました。
私が運転した時ですが、路面の雪も融けていて、実にラッキーだったと思います。

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というわけで、このゲレンデのパンフとして、時期の違う三種類を紹介してみました。
一方、最後のパンフではスノーボードが主役になり、スキー場名も変わっています。
 
リフトは休廃止で数が減りましたが、バーンに圧雪しないコースも残されています。
設置から9周年だそうですが、色々と工夫をこらしているのが印象付けられました。
 
ホームページでも、”遠いところ足を運んで下さる皆様感謝致します。”とありまして、湯沢付近の上越エリアに比べれば不便なのは事実だとしても、このゲレンデを足しげく通うコアなファンがいると思われて、規模は小さくなっても魅力的なスキー場には違いないとも思うのでした。
 
 
おまけ:
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