2025年10月31日金曜日

子どもの頃に出かけた「家族旅行」なんだけれど、リタイアしてから今鮮明に思い出せる、ブルーに輝く湖水 ー 摩周湖(北海道・道東)

          
五歳にやっとなったばかりでも、幼き子供の見た絶景は忘れられませんでした。
その本人が自分であって、自分の家族が、まだ北海道に住んでいた思い出です。

父親は、職場がJR北海道の前身である日本国有鉄道で、保線区の助役だったな。
3DKほどの木造平屋の官舎に住んでいましたが、今考えても大きかったと思う。

保線区の職員さんも遊びに来て、お土産にスパナをもらった思い出もあります。
このスパナは非常に高価なもので、今の年齢になっても使い続けているのだな。

以来、六十年も使い続けて刃こぼれも起こさず、未だにDIYに重宝しています。
そんな幼児の記憶ですが、自分にとっての最大の思い出が国鉄職員の謝恩旅行。

家族全員も参加して、知床半島から摩周湖を周遊する一泊二日の旅行だったな。
知床ウトロの市街では、大広間のような部屋に雑魚寝をするなど贅沢ではない。

当時は観光だとしても、それが十分すぎるような旅行だったとは、思うのです。
朝早くから起こされて港の岩山を上った記憶もありますが、それがオロンコ岩。

それから、半島の遊覧船に乗ったりして次に移動したのが、快晴の摩周湖です。
後年、布施明の歌った”霧の摩周湖”で有名になりましたが、この時はピーカン。

         
その絶景は、それが半世紀以上経っても脳裏に焼き付いて忘れ去ることはない。
なので、どうしても改めて眺めたくて訪れましたが、神様が恵んでくれました。

いやあ、第一展望台からの見晴らしは圧巻で、遠方には斜里岳も望めるのです。
湖畔には、カムイシュ島と呼ばれる小島があり、背後には摩周岳がそびえたつ。

というわけで、当時の道路は砂利道だったような記憶もあるがよく分からない。
道道52号線は、屈斜路湖から摩周湖をめぐる正に観光道路であって、昭和29年に開通した時点から舗装されていて、自分の記憶違いかもしれないなと思ってもいたのでした。



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2025年10月29日水曜日

ポンマチネシリ火口から約五百mの範囲では、噴火に伴い弾道を描いて飛散する大きな噴石に警戒してください ー 雌阿寒岳(北海道・道東)

左は雌阿寒岳、右は阿寒富士
     
三十代に突入する前、自分の体力を確かめたくて、北海道へ山登りをしました。
あの頃は仙台近郊の工場に勤めていて、車に乗ってフェリーで出発できました。

到着地は苫小牧ですが、そこから夕張岳を皮切りに山々目指して登ったのです。
夏休みは、平日と前後の土日を加えて九日間で、旅程は次の通りになりました。

 夕張岳(標高 1,668m)
 十勝岳(標高 2,077m)
 剣山(つるぎさん、標高 1,205m)
 雌阿寒岳(標高1,499m)
 斜里岳(標高1,547m)
 旭岳(標高2,291m)
 南暑寒別岳(標高1,296m)
 羊蹄山(標高1,898m)

良く登ったと思いますが、一人で車を運転して、道央・道東・道北と移動した。
一日一山の目標も達成しましたが、右膝がおかしくなるなど体の負担は大きい。

後年、還暦以降に膝の関節痛が発生して、サポーターが欠かせなくなりました。
でも、今の年齢でこれほどの登山ができるほど、体力があるとは思えないのだ。

だから、体力のある内にできたからこそ、これ以降は登山が趣味になりました。
それで、雌阿寒岳へは、ユースホステルを併設する野中温泉から登ったのです。

宿で登山口を確認すると、イギリス人の青年と一緒に登るように頼まれました。
当時は英会話学校に通っており、少しは英会話ができたので見込まれたらしい。

途中、登り疲れを紛らわせたくて、英語でお喋りをしつつ、無事、山頂に立つ。
山頂で噴煙の立ち上る火口を説明しようとしたのですが、単語が思い出せない。

この英語が思い出せず、マウンテンマウスと説明して笑われてしまった思い出。
アポロ宇宙船も月に到達して、クレーターの言葉は既に日本語に入っています。

なのに、疲れて思い出せなかったという苦い思い出ですが、現在は立入禁止だ。
七合目より登山道への立ち入りが禁止されており、登山口で注意喚起を掲出中。

噴火警戒レベル2の引き上げですが、阿寒湖畔からも噴煙が見えるほどでした。
というわけで、オンネトウ湖畔から阿寒富士と揃って絶景の写真が撮れました。

今回、野本温泉は永らく休館の後、解体されて跡形もなくなっており、登山口駐車場しか残っていなかったのですが、付近の山々と湖は、昔のままに悠久の姿をとどめており、活発な噴火活動で山麓の農家に被害が及ばないようにと、懸念する自分なのでした。



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2025年10月27日月曜日

マリモに出会える湖上クルーズは、”まりもクルーズ”ですが、湖を一望できる展望台も加えてみた ー 阿寒湖畔展望台(北海道・道東)

          
道東へ旅をするのにどこへ行くべきか、観光地をグーグルマップで探しました。
阿寒湖へは行ったことはあるくせに、遊覧船にはまだ乗ったことがありません。

前回訪れた時は、一日中、雨が降っていて船には乗らず、散策路を歩きました。
ボッケ遊歩道というのだそうですが、阿寒湖畔ビジターセンターから出発した。

この散策自体は雨模様でも楽しかったのですが、遊覧船以外に何かないのかな。
そこで、グーグルマップの縮尺率を上げますと、阿寒湖畔展望台が見つかった。

図示された場所なんだけれど、国設阿寒湖畔スキー場 【ウタラ】の斜面なんだ。
よく見ると、スキー場の駐車場から細い道が続ていて、登ることができそうだ。

他の紹介でも砂利道を上がると駐車場になっている説明があって、ここに決定。
ならば、このゲレンデは晴れてさえいれば、湖畔を望める眺めの良いスロープ。

平成17年に滑りましたが、吹雪いていて視界などなくて、ただ滑っただけなの。
だから、晴れてさえいれば、眺望絶景のゲレンデだったのにと思ってしまった。

          
ところで、湖を見下ろすスキー場は、網走湖、田沢湖、猪苗代湖、びわ湖など。
以外と全国各地にあるもので、自分としては、網走湖がまだ滑っていないのだ。

だから、何時かは滑りに行きたいと思っていますが、今回は再訪なので阿寒湖。
当日、出かけてみると、別の中国人らしい女性の二人組も、車で来ていました。

それで、この二人連れからは白湯山への登山コースを質問されてしまいました。
それが、持っていたハイキングマップが粗末で、どの道なのか判然としません。

北海道だからヒグマも当たり前にいるし、履いていた運動靴では心もとないな。
なので、はっきりと言わずに、そばのキッチンカーで聞いてくれと言いました。

売り物は阿寒湖まりもサイダーでしたが、あの店ならうまく教えてくれるかな。
というわけで、天気も晴れていたのが幸いして、阿寒湖への眺望は最高でした。

一方、阿寒湖の遊覧船では、”マリモ展示観察センター”の見学も遊覧コースに入っているのを以前は知らなくて、面白くなさそうだと断定してしまったのですが、今回は展望台しっかり調べて観光したので、満足したのでした。



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2025年10月25日土曜日

然別湖ネーチャーセンターでオショロコマを問い合わせたら、結構いい加減な説明だったと今になって思う ー 然別湖(北海道・道東) 

      
母は、十勝の出身で、若い頃、然別湖に遊んだ思い出話を聞かせてくれました。
亡くなってからもうすぐ五十周忌になりますが、子供時代に聞いていたのです。

馬車に揺られながら険しい山道を登って行きながら、突然、湖面が現れたとか。
奥深い山の中にひっそりとした湖水を湛える湖面が、記憶に残ったのでしょう。

他には、米寿の頃の祖母を連れ、ドライブで湖畔を通り抜けこともありました。
祖母は、自分が大学へ入るまでおさんどんをして面倒を見てくれていたのです。

母は、自分が高校二年の頃に逝去しましたが、祖母は代役を引き受けてくれた。
そんな祖母には恩返しもせずに、進学して東京へ就職してからは会えずじまい。

だから、数年後、祖母が同居する叔父の家を訪ねた時、恩返しをしたくなった。
叔父に頼んで、温泉旅館を急遽予約してもらい、祖母と一緒に旅行をしたのだ。

叔父は、地元高校の野球部監督をしていたので、教え子が地元に多くおります。
温泉旅館で働く教え子に予約を取ってもらい、祖母と出かけたのが糠平温泉だ。

翌日、この温泉旅行から、パールラインの道路をドライブして然別湖へ抜ける。
祖母は、その後、札幌の妹に会いたいというのでそのまま運転して送りました。

まあ、これは自分史でそんな思い出もあってか、もう一度訪ねたくなったんだ。
だから、今回の旅行では、遊覧船に乗って湖を一巡りしてみたということです。

      
実は、湖には渓流魚で陸封型のオショロコマになるミヤベイワナが生息します。
昔、”イワナの謎を追う”という岩波新書を読んでいたので、興味を持ちました。

オショロコマは、イワナと比べると、さらに寒冷気候に適応した種なんだとか。
イワナよりさらに上流に住んでいるので、気候的には北海道が棲息地なのです。

然別湖は、火山活動の堰止湖ですが、オショロコマは海へ下る降海型の魚種だ。
海へ下って成長してから、河川を遡って産卵する習性が、できなくなりました。

このため、せき止められた然別湖を海に間違えて、湖と河川を往来しています。
だから、陸封型と呼ばれるのですが、ヒメマスも紅鮭の陸封型で同じ仲間だな。

というわけで、遊覧船で湖を周遊すると海と錯覚しても仕方がないと思うのだ。
湖には、ここかしこに釣り船が出ていて、このオショロコマ陸封型のミヤベイワナを獲物にする釣り師たちが、フライフィッシングのラインをロッドから優雅にキャストする姿を眺めるのも、風流なのでした。



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