1981年、タージマハールにて |
札幌の実家は、取り壊さずに来ましたが、誰もすまない空き家なんだ。
認知症が出始めた父親を、自分が引き取ってからだから、もう久しい。
多分、四十代の始めの頃だろうから、かなりの年月を経てしまいました。
その後、父親の最期を看取ってからも、十年以上が過ぎて光陰矢のごとし。
以来、ネズミだけが住人で、縦横無尽に家の中を走り回っていたのでしょう。
時折訪ねてみると、家の中は散らかり放題で、ゴミが散乱していました。
たぶん、かじって食い散らかしたのだろうと思いますが、きたなかった。
だから、この一軒家を買いたい人が現れても、中を見たら即座に交渉終了。
よしんば購入希望があっても、百数十万円の値段しかつかないお寒い話。
なので、これではいかんと言うことになって、姉夫婦が清掃を段取りしました。
義兄の弟さんが近くに住んでいるので、三回ほど通って家を片付けます。
あらかた綺麗になったところで、今度は姉夫婦が実家を見てきてくれました。
その時、自分の若かりし頃が写った写真アルバムを、どうも発見したようです。
記念になるからと言うので、宅配便で送ってもらいましたけど、懐かしいな。
高校時代のクラス写真、修学旅行の記念写真など、本人が忘れております。
なので、ついつい眺めてしまって、海外出張の準備を中断してしまいました。
それで、今現在、インドのムンバイに向かう機中でタイプしているのですよ。
大発見もありまして、それは三十数年前に撮影したインドのタージマハール。
アグラフォート、世界遺産になった |
自分が写っていたのはもちろん、貧乏たらしい身なりの学生旅行なんだな。
確か、首都ニューデリーから、現地の人用の一日観光バスで行きました。
お値段は、当時一人40ルピーで、ゲストハウスの宿泊料が、20ルピー。
現在、1ルピーは2円くらいですが、当時は20円くらいだったと思いますよ。
だから、40ルピーの観光バスは、現地の人にとっても相応なコストでしょう。
一方、日本人は自分達二名だけで、観光案内は、全部ヒンドゥー語なの。
なに言ってるか分からないままで、だけどタージマハールに圧倒されました。
その霊廟は荘厳で美しく、これは一生の内に一度は見ておくべきと思った。
その後、世界遺産のアグラフォート(要塞)も行きましたが、こちらも美しい。
夕方のせいか、赤レンガ造りの建築物が、夕日に映えて旅情を誘います。
この点、とても楽しかったんのですが、ラストのヒンドゥー寺院が意味不明。
何かご利益があるのでしょうが、寺院の中に楽団もいて演奏しております。
ブンチャカブンチャカ、分けがわかんないままに切り上げて宿に戻りました。
まあ、こんなことを写真を見つつ思い出したのですが、別の写真もあります。
それは、大学生の頃、同級生と一緒に滑りに行った富良野スキー場です。
友達がペンションを予約してくれましたが、名前は”タンネ小舎”でしたな。
色々調べてみましたが、TVドラマ「北の国から」にも使われたようです。
「95秘密」のシリーズですが、本当はペンションでも喫茶店で登場なんだ。
後日、このドラマのロケ地を訪ねる旅行客が増えて来て、問題も起きました。
それは、宿泊施設なのに、喫茶店だと思って訪ねてくるので困ったのだそう。
まあ、そんな逸話のあったペンションも、今は取り壊されて更地になりました。
跡形もなくなってしまったのですが、写真で良い思い出に残ってくれました。
というわけで、その脚本家、倉本聰さんは、傘寿を過ぎても活躍中ですわ。
最近、昼帯ドラマで、老人ホームを舞台にした「やすらぎの郷」でも話題を呼んだばかりですけど、北の国から発表当時は、どちらかと言うと逃避行の末に、北海道の新開地まで落ち延びて、捲土重来を考えていた時期だった頃で、それが、テレビの視聴者にとっては、あのような大人気ドラマにつながって見ることができた分けだから、それはそれで良い思いでになったということなのでした。
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