2017年9月9日土曜日

コンキリエって、イタリア語で貝殻を指していると、帰宅してから調べて分かったのだよ - 厚岸味覚ターミナル コンキリエ(厚岸町・北海道)

     
自分が、生牡蠣をおいしい食材と思って、食べ始めたのは、タイに居た時です。
当時、仕事の関係で、タイにある合弁工場へ、頻繁に出張していたのです。

行くと、首都バンコクのサービスアパートで暮らしましたが、食事は外食ばかり。
時には、仕事を通じて知り合った取引先の方と、食事を一緒にしたりしました。

そして、一人が、現地の人しか行かなシーフードレストランに、誘ってくれました。
雰囲気は、いかにも華僑系の食堂という感じで、店頭には魚介類の陳列です。

新鮮さに自信があるのでしょう、氷を敷き詰めたショーケースに並んでおります。
日本では見かけないような魚種もありますが、ここは海老と牡蠣がメインです。

それで、生牡蠣を食べようということになり、新鮮なのか、先ず確認をしました。
だって、食中毒にでも当たれば、牡蠣で手ひどい目に遭うのは、言わずもがな。

問題なさそうなので、一人三個ぐらいを頼んで、ビールで祝杯を上げてみました。
驚いたのは、絡ませるソースと具ですが、ケチャップが添えられていたことです。

えー、甘いケチャップでは、折角の味が台無しと思うのは、日本人なら当たり前。
それに、茶色っぽいポテトチップスのかけらみたいな具まで、添えられていました。

まあ、これは後になって分かったのですが、揚げたニンニクの破片なのでした。
最初は、食べ方も分からずじまいで、知り合いの食べ方を観察している始末。

なるほど、牡蠣にケチャップを少しかけて、その上に例の木片を振り掛けました。
そして、牡蠣を持った手が口元に運ばれたら、すっと口の中に吸い込まれました。

うーん、うまいと一言、余韻に浸っておりまして、自分もその作法にならいます。
それで味はどうだったのかというと、ケチャップとニンニクのコラボが最高なんだ。

それに牡蠣のミルキーさが加わって、誰もが絶品というのが始めて分かりました。
この体験は、二十代後半の話ですから、それから三十年近くが経っております。

道の駅から厚岸湖を望む

今まで生きてきて、この生牡蠣の体験が嚆矢となり、大好物となった分けです。
ところで、このケチャップソースで食するのは、アメリカにもあるのを発見しました。

そして、タバスコ、ウスターソースまで掛けて食べるみたいですが、味覚音痴かよ。
風味や味が完全に損なわれると思いますが、このケチャップとニンニクは合います。

嘘だと思ったら、一度ぜひ試してみてほしいと思うのですが、そんなタイの思い出。
それで、牡蠣の名産地といえば、広島、宮城に続いて、この厚岸も有名なのです。

もちろん、今回の夏休み旅行では、厚岸で牡蠣を食べることも入っております。
道の駅もありまして、その名も「厚岸味覚ターミナル コンキリエ」となっています。

実は、自分が厚岸を初めて訪ねた平成六年には、既にオープンしていたみたい。
もう二十年以上も前の話ですが、その時はそれほど、グルメ志向でもありません。

     
ですが、年を取れば、食べることも興味が湧いて来まして、牡蠣は外せません。
なので、中のオイスター・バー ピトレスクなるレストランで、蒸しガキをオーダー。

ここは、洋風料理がメインですが、厚岸を一望できる最高のロケーションでした。
そして、それに併せて、牡蠣とあさりの和風パスタも注文して、軽い昼食です。

それで、ここでは軽くレモン汁を掛けて、シンプルな海の塩味を堪能しましたよ。
いやはや、調理法や食べ方が違ったにせよ、濃厚な味わいは保たれております。

というわけで、昨年の広島訪問と、二年連続で旅先の牡蠣を賞味しました。
昨年は宮島の厳島神社を拝観してから、参道にある「牡蠣屋」で焼き牡蠣のついた定食を堪能しましたが、焼こうが蒸そうが、調理方法の違いだけでは、牡蠣本来のミルキーの濃厚な味わいを覆すわけでもなく、同じく厚岸においても、大満足の舌鼓となったのでした。


おまけ:
「牡蠣屋」のパンフレット
グーグルドライブはこちらから
牡蠣屋の定食
牡蠣屋で焼き牡蠣
店内のアートも良かった




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2017年9月6日水曜日

金豚が、人類共通の敵になりつつある中、赤いクマのプーさんは腰抜けで手を出せずに、どこが大国なんだよ - 金 正雲・習 金平(北朝鮮・中国)

     
タコ糸でしばって、ボンレスハムに加工したくなる肥満児の金豚、金正雲です。
最近の写真では、メガネが異常に肉にくい込んでいると、話題になりました。

顔も太り過ぎだし、眼鏡の蔓も耳まで届いていないなんて、いやはや滑稽だ。
そして、糖尿病やら、通風の発作も出るんじゃないかと噂されておりますな。

生活習慣病の塊みたいな独裁者で、ちゃんこスタイル130キロの体重はご立派。
それで、ミサイルを作る前に顔のサイズに合わせたメガネを作ったら、どうなんだ。

核開発したり、ICBMのミサイルをぶっ放す前に、メガネが優先なんじゃないの。
プリプリお肌のコメカミでストップさせてるあたりが、妙にハマっていて座布団一枚。

まあ、権力を握って以降、粛清で処刑した幹部は、二百人近くに達するみたい。
気分次第で怒り出す、衝動的というのが定評で、ささいな過ちでも殺戮し放題。

最高人民会議の席上、副首相がメガネをはずして拭いたのが運の尽きでした。
これが気に入らず、逆鱗に触れて命を落としたようで、無慈悲な事この上ない。

そんな理性などありようもなく、朝鮮人ゆえ、火病のスイッチが入ったら恐ろしい。
きっと、火星12号・14号を、打上げ花火みたいに発射して、溜飲を下げるはず。


そして、今度は広島原爆の8倍に相当する核実験を強行して際限がありません。
地震の規模を示すマグニチュードは6.1で、震源は核実験場の豊渓里だって。

朝鮮語ではブンゲリというのだそうですが、金豚だからブタゲリって聞こえてしまった。
一方、中国で天井のシャンデリアがゆらゆら揺れる動画が、TVで紹介されました。

そりゃぁー、このマグニチュードで地震が起きたら、揺れるのは当たり前だと思います。
ミサイルやら核実験やら、矢継ぎ早に繰り出す、アメリカへの挑発行為は何なのか。

もうひとつ、気になったのは、こいつらの常軌を逸脱した狂気の宣言が懸念です。
それは、今回の核実験成功で、電磁パルス攻撃(EMP)を行う能力を持ったこと。

このEMPなる攻撃能力は、宇宙空間で核弾頭を爆発させることで発生させます。
この際、電磁パルスが、地上へ数百から一千キロの範囲で、放射されるらしい。

このパルスが厄介で、停電を引き起こし、電子機器の機能を麻痺させてしまう。
そして、あらゆるコンピューターを長期にわたり、機能を停止させられるんだってさ。

もし、アメリカ上空で爆発でもしたら、金融機関の決済が機能不全になるはず。
世界中の銀行の取引は、欧米が主導するスイフトというシステムで処理されます。

運用システムのセンターもアメリカにある分けで、世界中の決済が止まってしまう。
もちろん、専門家の予測では、一年後には米国人の九割が死ぬとしております。

社会インフラが崩壊して復旧が遅延すると。食料や燃料などの不足が起きます。
そして、衛生面の悪化で深刻な伝染病、疾病と飢餓が続く、連鎖反応ですわ。

自暴自棄に陥った国民は、暴動・略奪まで引き起こして復旧は遅れるでしょう。
アメリカへの輸出貿易で潤ってきた諸外国もあるし、世界中で大変な損害です。

つまり、この電磁パルスで挑発した金豚は、どうあがいても、人類共通の敵です。
このような挑発は、百害あって一理なしで、救いの余地など、まったくありません。

加えて、ジュネーブの軍縮会議でも、米国に更なる贈り物を届けると言明です。
大陸間弾道ロケット向けの水素爆弾実験成功で、成功に大満足と話すなんて。

そして、圧力をかける目的で、無謀な挑発や無益な試みは止めろと上から目線。
北の孤立化を目的とした、敵対的な政策に対抗する自衛権だと、青年の主張。

     
しかし、そんな危険な隣国なのに、張子の大国、中国は国連で何しているのさ。
安保理で、核実験を「強く非難する」としながらも、「問題は平和的に解決」だと。

「対話による解決」を訴えても、今さら、ゆるい制裁で北と取引してきたんでしょ。
すねに傷持つ大国がどう発言したって、世界中は、小馬鹿にし始めていますな。

習金平は、クマのプーさんに例えられるのを嫌がって、検閲でブロックして来ました。
まあ、その容姿があまりに国家主席に似ているからといって、神経を尖らせんなよ。

それで大国なのかい、金豚を持て余して国連安保理で逃げ回るのは笑止千万。
後は、アメリカがどう出てくるかですが、人類共通の敵になった以上、仕掛けるね。

というわけで、本当に開戦になってしまう可能性が、非常に高くなってまいりました。
ここ横浜に住んでおりますと、横田基地から米軍艦載機が海上に向かって飛行して通過する爆音を聞く頻度が、実に増えておりまして、米軍も戦の備えを慎重かつ周到に行っているなと、思わざるを得ないものがあるのでした。



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2017年9月3日日曜日

道産子は、古墳時代から人々が住んでいるという土地柄に素直に驚きつつ、今日も草花を愛でております - 三嶋神社・飯島市民の森(横浜市栄区)

三嶋神社(横浜市栄区)の祭礼(子供神輿)

飯島町の三嶋人神社は、昔から鎮守の社として崇められ、元和年間の創建です。
時代をさかのぼれば、十七世紀初頭の元号で、徳川幕府は秀忠が将軍でした。

他方、これが北海道なら、当時は、松前藩が北海道をやっと治め始めていました。
しかも、倭人が住んだのは渡島半島の南端で、稲作もできない冷涼な土地柄です。

米が主食の日本人が、真っ当に定住できるはずも無く、米は本州から調達ですわ。
だから、明治以降に開拓が始まって、本格的に日本人の定住が進んだのも事実。

一方、この辺りは横穴墳墓の特徴的な古墳が、いくつか存在したりしています。
まあ、自分が道産子ゆえ、すぐ北海道と比較しがちですが、ここは歴史があります。

なので、江戸時代創建の神社って言うのは、珍しくもなんとも無いかもしれません。
それでも、自分は歴史とは無縁の道産子ですから、住み着いてみると全てが驚き。

山車も出まして、子供達が引きます

まあ、すげぇー昔から普通に人が住んで来たと感動しつつ、行事に参加しました。
ただ、昨今の少子化のせいか、参加した子供が五十人もいなかったのが寂しい。

一方、フィリピン人っぽいお母さんがいたり、県会議員まで挨拶に来たりしました。
横浜だから国際的なのは分かりますが、地方議員さんのマメさには恐れ入ります。

そんな日曜日の催し物でしたが、この神社まで歩くと色々な花に出会えるのです。
しかも、飯島市民の森のそばですから巡り歩けば、山野草がたくさんなわけです。

そして、北海道で見なかった植物と、花まで見れば、道産子は素直に喜んでしまう。
写真まで撮ったりしていますので、ここを借りてちょっと紹介させてもらいましょうか。

通勤ルートにある百日紅・アサガオ
百日紅は、北海道では少ない
ハナノトラノオとアゲハ蝶(通勤ルート)
カラスウリ(北海道には無い)
根は天花粉の原料だとか
ヒソップ(ハーブ草)
消防署の隣家に咲いていた
クサギ(飯島市民の森・遊歩道にて)
ビンボウカズラ(ヤブガラシ)
北海道は一部で繁殖
スイレン(わんわん池)
名前の由来が分かっていない謎の池
飯島市民の森が囲む農園
ここが横浜市とは思えんよ
狐の剃刀(キツネノカミソリ)
飯島市民の森では何箇所か咲いていた
ヤブラン(関東以西)
飯島市民の森・遊歩道にて

というわけで、この飯島町界隈は、住宅地なのに依然として自然が豊かでした。
アサガオなどは野生化しているし、オシロイバナなどは雑草みたいにたくましく咲いているくらいでして、これから種取りも楽しみにしつつ、これだけ四季折々に花々が咲いてくれるエリアとなると、ヨコハマというネームバリューも捨てがたく、ここを一生の住まいにしたのは良い選択であったわと、自画自賛する自分がいるのでした。



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2017年8月31日木曜日

かつては、がきデカが” 鶴居村から鶴が来る~”って歌うんだけど、夏ならば湿原や湖沼で会えるんだぜ - トーサムポロ沼・温根沼ほか(釧路・根室支庁)

根室市トーサムポロ沼付近にて

日本の最東端、納沙布岬から根室市内に向かって、十分ほどだったでしょうか。
湿原のような湖沼を通り過ぎる途中で、このつがいに急に突然と出会いました。

ガスのかかった日で天気は良くなかったのですが、あの白い羽毛は目立ちます。
湿原で草原の広がる原野の中では、白と黒のツートーンは際立つように美しい。

早速に車を止め、この丹頂鶴に見とれてしまったのは、言うまでもありません。
実をいいますと、前日、霧多布湿原でも、米粒のような丹頂を遠望していました。

そこは、湿原の西端にある琵琶瀬展望台で、持参した双眼鏡で確認しました。
先に観望していた人が、口々に見える見えるとか、いるいると話しているのです。

確か、湿原のビジターセンターでは、6つがいが生息していると掲示していました。
それで、この琵琶瀬は人家から離れており、これなら生息しやすいのかもしれない。

双眼鏡からは、時として、白二つの点が小さくなったり、大きくなったりしています。
恐らく、長い首を折って餌をついばんでいるのか、その分、姿が小さくなるようです。

そして、一定の距離を保ってはいても、つがいであると言う紛れも無い証拠だな。
まあ、ペアを組むと相手が死ぬまで共に過ごして、子育ても夫婦が協力します。

人間の夫婦にも、見習える要素が多いと言われますが、肩身が狭くなるなあ。
絆を確かめ合い、求愛のダンスを踊るのも知られていますが、実態は違うみたい。

営巣地で有名な鶴居村では、毎年、ペアを変える猛者の丹頂もいたりするとか。
そのために、新しい相手を見つけるために、求愛ダンスを踊るのは必死なんだな。

琵琶瀬展望台から、霧多布湿原
がきデカは、シュールなマンガだったな~

そんな風にも思ってしまいましたが、それでも、草原であの白いペアは目立ちます。
しかも、頭部が赤いので、なおさら色合いを考えると、デザイン的にも美形です。

琵琶瀬では芥子粒に見えても、双眼鏡からは頭の赤い点が見えた気がします。
でも、このトーサムポロ沼では、目の前で悠然と餌をついばむツルがいるのでした。

その姿は美しく人目につくので、自然の中、よく絶滅しなかったと思ったくらいです。
この鶴の生息地は道東ですが、冷涼な気候ゆえ、農作物には適しておりません。

一方、酪農が盛んな地域なので、原野を残しつつ、放牧地が形成されました。
加えて、広大な湿原は手付かずのままで、放牧するには土壌改良も必要です。

大規模な開発が必要になりますが、現代では環境とのバランスが求められます。
なので、これ以上の無理な投資は抑えられ、生息環境が維持されたのでしょう。

温根沼、これも幹線道路から間近!

そんなことを思いつつ、納沙布岬には放牧地がありながら、湖沼が残っていました。
付け根に位置する温根沼でも、改めて遭遇しましたが運が良かったと思います。

それで、丹頂は、現在、何羽が北海道で棲息しているのか、とても気になりました。
だって、鶴居村以外でも意外と拍子抜けに出会えるとは、思っても見なかったから。

ネットで調べてましたが、現在、道東に千五百羽近くが生息しているとあります。
絶滅したと思われていた百年前の再発見では、僅かに三十羽たらずだったのです。

それが、人の手によって手厚く保護された結果として、ここまで増えたのは喜ばしい。
一方、温根沼では、七羽の幼鳥が棲息しているのだそうで、繁殖が順調らしい。

というわけで、ここ根室管内は、意外と丹頂に出会えるポイントだと分かりました。
そして、春国岱原生野鳥公園ネイチャーセンターの学芸員の方からは、風連湖も丹頂が棲息していると教えてもらいましたので、この周辺が夏の棲家になっているのは間違いなく、あの優美な姿を、人々の前に惜しげもなくさらけ出してくれたのなら、実に目の保養になるのだと思ったのでした。



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