2018年1月9日火曜日

物好きな東日本の滑走オタクは、未踏の地、西日本を目指して前進するのであった - 奥伊吹スキー場(米原市・滋賀県)

センターハウス前のゲレンデ

うーん、こんなに混雑する週末のスキー場を、久しぶりに出会えました。
関西エリア最大級の規模を誇るスキー場だと言われるのに、納得だな。

京阪神や名古屋からも近い好立地にあって、積雪も豊富なんだそうです。
まあ、奥伊吹スキー場は、東京方面から出かける価値はあるかもしれない。

三泊四日のスキー旅行で、最終日にわざわざ選んでよかったと思いますな。
なので、混雑していて、リフトに乗るのに15分も掛かるし、良く止まりました。

初心者や子供たちが乗る際、危険と思えば、係員がすぐ停止させてしまう。
だから、リフト一本を乗っていても、四回も途中で停止して、欲求不満だよ。

このヘタッピどもがーと叫びたくなりましたが、人気のゲレンデだから仕方ない。
だって、上級のチャンピオンコースもリフトが止まったし、初心者が乗るのかよ。

ボーダーは滑走禁止のモーグルバーンですが、リフト脇は細めの圧雪バーン。
このならされたバーンをノンストップで降りると、滑走感がたまらないほどでした。

そして、オリンピック三大会の代表になった、伊藤みき選手のホームゲレンデ。
このこぶこぶバーンを自在に滑りこなしたら、そりゃあ、代表になれると思います。

リフトの同乗者で、年配の方から教えてもらいましたが、多分、地元の人だな。
関東から滑りに来たって言ったら、かぐらはいいゲレンデかと聞かれてしまった。

シーズンが長いので良いゲレンデだと言いましたが、本当は面白くないゲレンデ。
途中に長ったらしい緩斜面もあったりして、個人的にはもう行く気がしませんな。

それに比較すれば、雪質さえ良好なら、この奥伊吹は合格ラインのゲレンデ。
だけど、西日本だから暖冬になりやすく、悲惨なゲレンデコンデションになりそう。

それを補って、スノーマシンの設備が、ここかしこに設置されていたのを見ました。
一方、今年は天然の降雪で一メーター越えだけあって、今季は絶好調だよ。

道路を登った先、右側にアルカンデ

ところで、駐車場がP10まであったと思うけど、二千台は軽く収容できそうだな。
整備された道路でアクセスも良いはずだけど、ずっと一本道が延々と続きます。

だから、お帰り渋滞が必至だと思うけど、スキー場を早く出たので分からない。
それに第三駐車場からゲレンデへ直行するエスカレーター名が関西弁で秀逸。

「アルカンデ」とカタカナが振ってありましたが、歩かんで済むの意味なら分かるわ。
あまりの直裁でダサさに微笑んでしまうほどでしたが、しっかり乗ってみましたよ。

というわけで、ここはICカードリフト券だったので、券のコレクションができずじまい。
その点が、リフト券コレクターにとってはマイナスポイントだったのですが、東日本の人間から見ても、このゲレンデは規模が大きくて、集客力のあるゲレンデだと感心しながら、下手糞なボーダーを避けつつも、混雑して来たゲレンデを滑りまくっていた自分がいるのでした。


おまけ:
カード返却保証金は五百円でした



いいねと思ったら、二つポチっとね!



2018年1月6日土曜日

三泊四日のスキー旅行は、明日、最終日で今宵は彦根のホテルなのね ー 南彦根ステーションホテル(彦根市・滋賀県)

揖斐高原スキー場の食堂にて

クワッドのないゲレンデは、何となく設備が旧式に感じるものです。
今回のスキー旅行では、結果としてそんなゲレンデばかりでした。

リフトの設置基数にしても多くて5基で、この国見岳は4基です。
しかも、ペアリフトの一つは、搬器すら掛けられていませんでした。

一方、シングルリフトまであって、懐かしさでこの上もありません。
このシングルですが、奥美濃のしらおスキー場で実際に乗りました。

久しぶりですが、こういうゲレンデが健在なのは、本当にうれしい。
そんなゲレンデ行脚も、明日が最終日で地味目なスキー場にします。

まあ、奥伊吹スキー場にする気ですが、名古屋へ戻る途中だから。
レンタカーを名古屋駅で借りたので、返却する経路になりますな。

1. しらおスキー場(奥美濃・岐阜県)
2. 揖斐高原スキー場(西濃・岐阜県)
3. 国見岳スキー場(西濃・岐阜県)
4. 国境スキー場場(滋賀県・湖北)

上の順番で滑り回ったのですが、宿泊はわざと都市部にしました。 
岐阜県の大垣市、福井県の敦賀市、そして彦根市と便利なのです。

予約しやすいビジネスホテルも多いし、周辺は食事も取りやすい。
それで、4番の国境の後に、箱館山まで行ってみましたが雨です。

午前中に一カ所、午後にもう一つと予定しましたが、天候が悪い。
なので、諦めて彦根まで琵琶湖の湾岸沿いに、車を走らせました。

本当なら今日は二箇所を回りたかったのですが、仕方ありません。
まあ、前日、地味ながら特色のある二箇所を滑ったのでOKかな。

豚汁とカレーライスは定番ですな。
琵琶湖周辺にはスキー場が多いのだ。

揖斐高原と国見岳なんて、地元以外の人がわざわざ来ないでしょ。
でも、あえて滑ったのも、この周辺のゲレンデは歴史があるから。

何かの本で読みましたが、関西でスキー場の発祥は伊吹山みたい。
特に、国見岳のゲレンデは、尾根筋を越えると奥伊吹のゲレンデ。

それだけスキー史に名を残すエリアですから、滑りたかったのよ。
明日、奥伊吹で締めくくりますが、合計で五つだから満足なのだ。

というわけで、今宵は『彦根チャンポン』に舌鼓をうちました。
地方に行くと、色々なB級グルメも楽しめる分けでして、それもスキー旅行の楽しみの一つではあるのですが、やはり雨が降ってしまえば、滑ることもかなわず、今日の午後からの雨は、やりきれないものだと思ったのでした。



いいねと思ったら、二つポチっとね!



2018年1月3日水曜日

スキー旅行で調べるうちに、どういうわけか、タイの洪水で日本企業が大被害を被ったことを思い出した - 国見岳スキー場(揖斐川町・岐阜県)

    
みなさ~ん、新年、あけましてておめでとうございます。
先年、記事はちょっとテロの殺戮現場の写真を載せてしまいました。

ちょっと、生生しいのですが、これも年末までインド出張だったからだよ。
やっぱり、日本とは大違いですが、そんな所でも企業戦士は出かけて行く。

日本企業の海外投資も、次第に遠隔地になり、とうとうインドまで到達です。
かくあれ、おいらの働く企業もそうなのですが、ムンバイにメーカーは少ない。

まあ、そんなことを思いつつも、無事に帰国して、成人の日まで休みをゲット。
日本じゃ、正月休みに入ったというのにカレーばかりの国で働いていたのだ。

安倍政権だって、五日の仕事始めは休んで消費しろって、言っているぐらい。
こうなると、おいらの休み方は、日本政府の意向に沿っていると言えますな。

厚生労働省だって、年末、企業の取得率が49.4%だったと発表したほどです。
だから、休みにしてスキー旅行を決行するのは、願ったりかなったりの決断。

ただ、行こうとしたゲレンデは、悪路のようで、タイヤチェーンを用意しろだと。
スタッドレスタイヤだけでは駄目みたいで、調べましたら、道路が狭いらしい。

県道を走り終えたら、スキー場までの町道が一車線ほどしかないようです。
これが距離にして数キロ、対向車が下りてきたらどうするのよって感じだな。

このゲレンデ、国見岳スキー場は、岐阜県の揖斐川町なので雪は少ない。
つまり、奥美濃より南に位置していて、平野部の大垣市からは北西です。

地理的に見て豪雪でもなさそうで、町だって道路を拡幅する気もなさそう。
だから、チェーン持って来いとか、運転の下手な人はあきらめろってことか。

まあ、大垣のホテルに泊まってから、現地の情報を収集して判断しましょう。
何かしら分かると思うので、初日は、穏当に奥美濃のゲレンデにしました。

ところで、大垣という地方都市なんですが、上場企業の本社が多いのです。
西濃運輸、イビデン、大垣共立銀行、セリア、丸順など、知っていますなあ。

特に、丸順さんは、数年前、タイ合弁工場が洪水で水没してしまいました。
確か、アユタヤにあるタイホンダの自動車工場に部品を納めていたと思う。

なぜ知っているのかというと、当時、自分もタイの工場で働いておりました。
確か、丸順さんは3メーターまで水没したけど、うちらは1メーターでした。

まだマシでしたが、丸順さんはアクアラングを雇って金型を回収したらしい。
水が引くのに時間も掛かったし、あの時の記憶が走馬灯のように蘇ります。

トラックが進めなくなって、歩いた。
女性社員も来てくれたよ。
被災した住民は、ボートピープル化。
ガソリンスタンドも水浸し

というわけで、明日、四日に出発して、七日に戻って来るゲレンデ行脚です。
今回は、岐阜県と滋賀県のスキー場を集中して滑ろうかという企画でして、久しぶりに寒い冬が巡って来た絶好のシーズンだから、この国見岳スキー場も、はや140センチの積雪があるという抜群のコンディションなのに、アクセスの一車線路の坂道を無事に登り切れるのだろうかと言う、不安だけがくすぶる出発前夜なのでした。



いいねと思ったら、二つポチっとね!



2017年12月30日土曜日

死亡者 172人、負傷者 239人のテロ事件首謀者がムスリムだってことが、記憶にまだ生々しいのよ - ムンバイ同時多発テロ(2008年11月26~29日)

ムンバイ中央駅の殺戮現場(ネットで閲覧できます)

普通なら、インドと言う国は、ヒンドゥー教徒の国だと思ってしまうものです。
ところが、ぎっちょんちょん、イスラム教徒が30%も人口を占めております。

十人のうちで三人がそうなら、隣近所でごく普通に見かけるものでしょう。
ところが、驚くほどに、モスレムとヒンドゥーの人々は、住み分けをしています。

昔々、インドがムガール帝国だった頃、支配階級は実はイスラム教徒でした。
そして、あの有名な白亜の霊廟、タージマハールはイスラム教徒の造作です。

となると、少数派が多数派を支配していた時代が長く続いたということです。
もっとも、十九世紀中頃、大英帝国が植民地してしまえば、もっと複雑だな。

何れにせよ、完全独立までは、ヒンドゥーもイスラム教徒も支配されたってこと。
しかも、イスラム教徒が集中した地域は、パキスタンとして独立してしまいます。

みんな世界史で習ったかも知れないけど、今のバングラデシュも東パキスタン。
要するに、宗教対立で離れ離れで言語も違う土地が、一国で旗揚げする。

それがどうなるかと言うと、支配する側と支配される側が生まれて、クーデター。
結局、バングラデシュが誕生したってことですが、それほど対立の因果は激しい。

一方、インドはヒンドゥー教徒が多数派で、少数派のイスラムを交えました。
だから、独立運動の因縁が災いして、インドはパキスタンと今でも仲が悪い。

印パ戦争が起きたり、カシミール地区との国境紛争も依然と衝突しています。
まあ、宗教対立が歴史的に根深いものがあるというのなら、仕方ないのかな。

ムスリムの人は服装で分かります
物騒な写真ですわな

そんなことを思ってしまいますが、インド人のイスラムへの敵対感は激しいのよ。
ホテルから会社への往復は、ドライバーを雇うんですが、ヒンドゥー教徒ばかり。

だからと言うわけでもないのですが、ある時、用事でイスラム地区を通りました。
何気にドライバーさんに、ここはモスレムが多い地区だってね、と聞いてみます。

すると、あいつら悪い奴らだ、って即答して来て、ちょっと驚いてしまいました。
それぐらい、平穏は装っていても、一緒に住みたくないのだろうと思ってしまう。

だから、住み分けになるはずで、一方、日本に住んでいる在日はどうなのか。
基本的には、ほとんど日本人と見分けが付かないし、生活習慣もほぼ同じ。

まあ、イスラム教徒は生活習慣が全く異なるので、違いはすぐに目立ちます。
毎日、何回もメッカに向かって拝んで、コーランを読経されたら、どうしましょう。

当然、違う宗教の人が争いを避けるようになり、寄り添いながら住むって分け。
でも、日本国籍じゃないけど、見分けが付かなければ、一緒に住むのは簡単。

思うんだけど、日本へ強制連行されたとか、釈明してるけど、どうも怪しいよな。
戦争が終わった頃、未だ日本のほうが生活水準は高かったし、仕事もあった。

だから、密航して渡ってきた人がほとんどだったと思うので、あいつら経済難民。
これは犯罪ですが、もう時効だろうし、件のドライバーみたいに決め付けません。

というわけで、日本国民じゃないから、間違っても生活保護を申請するなよ。
それがヘイトだとかいう人も世の中に居るようですが、世界は差別と憎悪に満ち満ちていて、それを仕事をしながらインドで考えさせられたのであり、日本に住んできれいごとを言える人々は、日本で暮らせることを幸せに感じたほうが良いんだよと、思ってしまうのでありました。



いいねと思ったら、二つポチっとね!