平成4年1月2日滑走 |
ここは、岩手山の火山活動が災いして、 六年間の休止を余儀なくされました。
二十世紀の初めに小規模な噴火をしてはいましたが、 それ以降は平穏です。
二十世紀の初めに小規模な噴火をしてはいましたが、
ただ、平成10年に、 活動が活発化して気象庁が臨時火山情報を出しました。
この影響も大きくて、噴火の危険性が重視され、 スキー場が休止されたのです。
この影響も大きくて、噴火の危険性が重視され、
その後、火山性地震と地殻変動が衰えずに、 平成15年まで長期化しました。
噴火も起きず、大したことが無かったのは幸いでしたが、 運営者には打撃でしょう。
噴火も起きず、大したことが無かったのは幸いでしたが、
似たような兆候から噴火し、 犠牲者の出た御嶽山と比較して実に対照的です。
そう思いますと、 火山に対しては用心に越したことは無いということなのでしょうか 。
そう思いますと、
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昔は、 イーストバレーとウエストバレーの独立したゲレンデで構成されて いました。
谷間がゲレンデを隔てていて、 移動するには連絡バスに乗らねばなりません。
谷間がゲレンデを隔てていて、
確か、センター前に停留場があり、 一時間に一本の運行間隔だったと思います。
ウエストは、ゲレンデがリフト二本と小規模のせいか、 出向く人もおりませんでした。
ウエストは、ゲレンデがリフト二本と小規模のせいか、
もっとも、ウエストの方が最初に開かれていて、 昭和46年とかなり古いのです。
当時、岩手トーカンスキー場と呼ばれましたが、 イーストのオープンは未だ先の話。
当時、岩手トーカンスキー場と呼ばれましたが、
ようやく、平成二年になってからイーストが開発されて、 ゴンドラも掛けられました。
スキーブームの頃、 隣接する大型スキー場との競争がシビアになったのでしょう。
スキーブームの頃、
実際、すぐ隣は網張温泉スキー場、 斜め向かいの山は雫石スキー場なのです。
こうして、ゴンドラで長い滑走距離を確保したくて、 引っ越したのだと思いました。
こうして、ゴンドラで長い滑走距離を確保したくて、
というわけで、ウエストバレーは見向きもされず、 イーストだけがサバイバルしました。
これも、規模の大きさから見て、 ゴンドラがあれば先ず集客には事欠かないでしょうし、 連絡バスで移動するなど時代遅れですから、 已む無しといった感じもしますが、 イーストだけは地域の観光振興で、 是非がんばってもらいたいと思うのでした。
これも、規模の大きさから見て、
おまけ:
岩手高原スキー場一日券(裏) |
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