2021年5月5日水曜日

パリでサロン・ドートンヌやサロン・ザンデパンダンに出品したデビューで、アポリネールやピカソといった、当時の前衛芸術家たちの目に止まったのですが、早すぎたシュルレアリスムの絵画だったのだろうか ー 文中で紹介する画家(そのほか)

Still life with rocky landscape, 1942
              
「ゴーギャンは偽物の画家」
「セザンヌの風景画は稚拙で醜悪」
「マティスは絵の形にすらなっていない」
「モジリアーニの人物画は箸にも棒にもかからない代物」
「ダリの不快な色彩は吐気を催させる」

同時代の他の画家を批評した言葉だそうですが、あくまでも主観にすぎません。
ですが、このような罵詈雑言を吐く人は、、頑固で気難しい性格だと思います。

実際、この画家は有名なトラブルメーカーで、身辺の問題も引き起こしました。
先ず、45歳の時、自らの旧作を否定して、価値を貶めるような行為に走ります。

そして、60歳を越えて、過去に描いた作品を贋作だと難癖をつけたと言います。
挙句には、美術館から撤去を要請して自分の画業を否定するようになりました。

こう言った画家は、他人から見て毀誉褒貶の激しい人だと普通に思うものです。
まあ、冒頭の絵にしても陳腐な具象画に過ぎず、他人を批判する代物でもない。

むしろ、相手からは軽蔑されるほどの画量、画力だと思わずにはいられません。
なぜ、画家は、このような行動に走ったのか、疑問に思わざるを得ないのです。

確かに、形而上絵画の創始者であったのは事実ですが、それ以降の作風は平凡。
ここで、画家の名前を種明かしをしますと、それはジョルジョ・デ・キリコだ。

一体、キリコ氏に何が起きたのか、いい作品が描けなくてひねくれていたのか。
でも、たった十年間でも、彼の作品が打ち出したテーマが一時代を築きました。

The Profit, 1915
Hector and Andromache, 1912
      
そして、後のシュールレアリズムに引き継がれる先駆的な作品を残したのです。
この形而上絵画では、静謐、郷愁、謎、幻惑、困惑、不安などを感じられます。

わざと、遠近法における焦点をずらしたり、人間が登場しても小さい描かれ方。
唐突に彫刻が置かれていて場違いな印象を与えたり、昼間でも影が異様に長い。

その一方で、キュビズムの感化なのか、フォルムの単純化抽象化も見られます。
でも、不安感をあおるような描き方は、一貫していてそれが十年間に集中した。

実は、第一次大戦の始まる前から、このような描かれ方なのが興味を引きます。
国際情勢の不穏さが、画家の生活に影を落としていたということは無いのかな。

それに未だ二十代の若さですから、何事も感性が鋭敏だったと思ってしまうな。
それと、ウイキに書いてあったのですが、イタリア軍に招集を受けてもいます。

駐屯した土地は、繊維工場の多い街で麻を煮る臭いが充満していたとあるんだ。
その匂こそ大麻の成分が含まれていて、麻薬効果をもたらして作風を刺激する。

そうなると、ラリッた効果で覚醒されて、あのような絵画を描いたのだろうか。
だって、戦争終結で平和な生活に戻ると、ありきたりな具象画に戻ったからな。

だから、画家の才能よりも、それを刺激した時代の環境が大きかったのだろう。
そんな風に想えてしまうほどに、後半生の平凡な作品とのギャップは大きいよ。

というわけで、タマラ・ド・レンピッカと同じく、後半生で画力の落ちた画家。
ただ、彼女と違って絵は亡くなるまで描き続けていたようですが、その毒舌は衰えることもなく過激で、ただ、世間の注目を集めて絵が売れるのを画策したのではないかと思わざるを得ないほどで、そうなると少しわびしさの募る画家人生ではなかったのではないかと、思ったのでした。



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