残念ながら、山路 商という画家も、この絵画の存在も知りませんでした。
作品を描き出す前に、必ず自画像を描いていたという画家なのです。
自分という本質を深く見つめて自分をえぐり出そうとする、探究心がすごい。
描かれたのは戦前のことで、昭和十七年というから、半世紀以上も前です。
最近描かれた作品だといって、ポッと出されても何ら違和感を覚えません。
しかも、高さが三十センチに満たない作品なのに、作品の結晶度が高い。
この人の作品は、非常に数が少ない上、小品ばかりしか残されておりません。
わずかに、”かたつむりと犬”という作品だけが大振りな絵になっています。
実に美術史に埋もれてしまった存在ですが、広島の芸術は分厚いものがある。
日本の縮図とも呼ばれる広島県ですが、豊かさが芸術に結晶したということか。
もっとも、本人の素行はあまりよくなかったみたいで、ろくでなしだったようです。
親の仕送りが頼りで、後輩におごらせたり、妹の金をくすねて喫茶店へ行ったり。
画材屋を兼業して絵を描いたといいますが、まともな商売だったのでしょうか。
自由奔放に生きながら、なぜか暗い自画像を残しつつ、急逝してしまいました。
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もっとも、当時は徴兵制がしかれて、何時兵隊として戦場へ赴くか分かりません。
そういう精神的な圧迫感、不安感にさいなまれて、自暴自棄にもなってしまう。
そんな芸術家が広島に集って活動した時代、原爆投下がすべてを無にしました。
戦争下にあったとはいえ、活気があったんだと思いつつ、原爆はなんともむごい。
オバマ大統領が慰霊碑の前で演説しようとも、一瞬で灰燼と帰す所業は悪魔か。
それでも、広島人はしたたかで、戦後まもなく、爆心地にアトム書房が開かれました。
アトムは原子を意味し、原爆を皮肉でもじったのでしょうが、人を食った名づけ方。
しかも、古本以外に、進駐軍の兵士相手に、原爆の遺品を売りつけていた物凄さ。
さすが、ヤクザ映画の広島抗争で有名になった当地ゆえ、したたかな人々でした。
それで、実際、この絵が県立美術館で陳列されていたのならと、実に悔やまれます。
それでも、今回の目的の靉光(あいみつ) の自画像は、しっかりと鑑賞してきました。
自画像は何点かあるようですが、この”帽子をかむる自画像”も有名な一点です。
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彼自身も山路 商と同時代を生きた画家ですが、無名のうちに世を去りました。
彼も山路も、原爆の落ちる前、終戦を迎える前に、鬼界の門を叩いてしまった。
戦争の暗い時代、芸術家たちには精神的にも、経済的にも過酷な時代でした。
そして、復興を終えて発展を続ける広島は、過去の陰りすら、見当たりません。
というわけで、自分の人生を振り返るに、スキーの旅行帰りには、こうして美術館、博物館を訪ね歩いたりしてきたのですが、今回の広島旅行は、将来のスキー遠征に向けての下見でもあったわけでして、その前に、ぜひ見ておきたかった絵が鑑賞できたのは、望外の喜びでもあったのでした。
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26歳で夭折した檜山武夫もすばらしい |
靉光(あいみつ) のコミサも有名だな |
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