2016年2月3日水曜日

失礼ながら、金色大観音は田沢湖にケツを向けて立っていたのである - 田沢湖ミナミスキー場(スノーワールドタザワ、秋田県)

平成5年1月2日滑走

このスキー場は、平成18年のシーズンを最後に残念ながら閉鎖されてしまいました
かつて田沢湖周辺には、最盛期で四ヶ所のスキー場に、スキー客が集まりました。

それが、乳頭スキー場が廃業し、アッスルスキー場も休止して、続いてしまいました。
残ったのはたざわ湖スキー場ですが、こちらは間引かれた後の有力ゲレンデです。

なので、秋田県を代表するゲレンデとして、今後も末永く営業を続けてもらいたい。
一方、旧廃止したゲレンデは追憶の印象しかないのですが、このミナミは違います。

実際、スキー場に隣接するホテルは、「ホテル森の風 田沢湖」として営業中です。
この他、ちょっと驚きというか、本当に場違いな観光施設が、すぐそばにあるのです。

それは、田沢湖金色大観音といい、身の丈35メーターの鋳造の黄金観音像でした。
日本一の高さを誇るようで、昭和62年に開運招運を願い、開眼供養がなされました。

グーグル画像検索より拝借

それで、自分の滑った年は平成五年で、大観音様は既に立っていらっしゃるのです。
でも、そんなありがたい仏様が存在していたという記憶が、自分に全くありません。

とにかく、滑ることだけに集中したせいか、無視というより眼中になかったのでしょう。
現在、拝観料が八百円とお高い気もしますが、ご利益があれば、それもお布施です。

ネットで検索してみますと、細々ながら訪れた人もいるようで、紹介されていました。
ただ、山門のインド風仁王門が極彩色で、秋田の風土にかみ合わないようです。

それでも、目玉と言うべき場所があり、それは観音様の台座部分の幻想宮殿らしい。
中に入れば、音楽が流れ、スモークからお釈迦様が出現したりと、演出が完璧です。

しかも、光線が七変化して、しまいには、水も噴き出したりする幻想世界なのでした。
いやはや、極楽浄土の世界をこの世に再現したカラクリで悶絶せずにはいられない。

ところで、この仏様は田沢湖と冠名がつくのに、湖にケツを向けて立っております。
思いますに、湖の主である竜に化身したたつ子姫に、失礼なんじゃないでしょうか。

もっとも、田沢湖を周遊する道路には、たつこ観音も姫観音も建立されておりました。
なので、観音様は単に客寄せ目的で、観光地の名前をくっつけたということでしょう。

というわけで、滑ったゲレンデの記憶が薄い中、観音様の存在感に圧倒されました。
ただ、唯一思い出すとすれば、暖冬が当たり前の当時、雪の少なかったことです。

最高地点の標高も735mしかなくて、スノーマシンも所有せずに天然雪だけを頼りにしていたスキー場のようですから、もう少し雪があれば楽しんで滑れたのにと、記事を書きながら、ようやく思い出した自分がそこにいるのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから
クリックで拡大します
クリックで拡大してご覧ください

<新聞記事>
スノーワールドが廃業 田沢湖高原、スキー客減少止まらず

仙北市田沢湖高原のスキー場「スノーワールドタザワ」が廃業することが、29日分かった。
経営するホテル東日本(本社盛岡市、日野杉克美社長)が、すでにリフトなどの撤去作業を行っている。
スキー客の減少傾向に歯止めがかからない中、かつて4カ所のスキー場があった同高原地区では、乳頭スキー場がすでに廃業、昨シーズンからアッスルスキー場が休止中で、今シーズン営業するのはたざわ湖スキー場だけとなる。

スノーワールド(旧田沢湖ミナミ)は、ホテル東日本グループのホテルタザワ(鈴木良幸総支配人)に隣接。
リフト3基を備え、コース全長は約3・2キロ。平成6年から同社が経営している。

鈴木総支配人によると、4、5年度のピーク時には2万人を超える利用者がいたが、スキー修学旅行の減少もあって利用者は年々ダウン。
昨シーズンは、ピーク時の4分の1程度の5000人台にまで落ち込んだ。

スキー場上部は地元財産区からの借地で、来春に緑化作業を行い返却する予定。

さきがけ経済新聞より(平成19年11月30日)

    
いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




   

2016年1月31日日曜日

どうも、ごっつぁんですの関取も捨てがたく、なつかしい思い出 - 黒姫高原スキー場(黒姫高原スノーパーク)(長野県)

黒姫山

山麓にゲレンデが広がる黒姫山は、郷土富士として信濃富士と呼ばれています。
南東方向より見た整った姿は秀麗で、標高二千メーター越えの成層火山です。

実は、新潟・長野には、この名の三峰が存在し、ここは信州黒姫山と呼ばれます。
他は、新潟柏崎の刈羽黒姫山と、糸魚川の青海黒姫山ですが、知名度は低いかも。


そういえば、関取の四股名にも黒姫山があり、小さいころ取り組みをよく見ました。 
立ち合いからのぶちかましが強烈で、その威力でよく金星を挙げていたものです。


そのせいか、馬力のある蒸気機関車にちなんだ「デゴイチ」の異名を覚えています。

額が広くて個性的な要望ですが、目元の優しそうな顔立ちが特徴的で好きでした。

この四股名の由来なんですが、信州ではなくて青海黒姫山が由来なんだそうです。
ご本人の出身地にちなんだのでしょうが、自分はてっきり信濃富士と思っていました。




さて、このゲレンデは、国道18号線からは意外と近いところにありました。
スキー場の案内標識に従って車を走らせますが、始めは森の中を抜けて行きます。

次第に視界が開けるとペンションやロッジも点在していて、ゲレンデに到着しました。
まず第一印象ですが、南側に広がる緩い斜面がとてつもなく広大に感じられました。


驚いたことに、そのスロープでは、誰も滑っている人がいないのです。

それがとても強く記憶に残っていて、なんだかもったいない気もして来ます。

実際、クロスカントリースキーを持って来れば良かったと、悔やんだほどでした。
現在、ここは童話の森スノーウェーブというSAJ公認のクロスカントリーコースです。

当時のチラシでは、歩くスキーコースとありますが、ゲレンデには標識もありません。
今、見直してみて気がついたぐらいですから、殺風景な雪原が目立ったのでした。

平成4年2月14日滑走

ゲレンデスキーのコースといえば、中級者用スロープが中心に感じられました。
現在は廃止されたトップの第六リフトが上級者コースですが、かなりきつかった。

コブ斜面を無理せず降りたという感じで、現在は第2リフトの上級コースが残ります。
ホームページを見ますと、上級で最大斜度が28度なのは、中上級並みでしょう。

レルヒコースの斜度ですが、他は上級で最大25度ですから中級みたいなものです。
その分、初中級者向けにたくさんのゲレンデが用意されているレイアウトでした。

というわけで、次第に物足りなくなって、近場のタングラムスキー場に移動しました。
もっと長居しても良かったのですが、リフト待ちもそこそこあったし、滑ってみたら斜面に満足できなくなったのですが、クロスカントリーとか滑るバリエーションを増やしたら、もっと楽しめるかもしれないとも思うのでした。


おまけ:
黒姫高原チラシグーグルドライブはこちらから
クリックで拡大します


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




   

2016年1月27日水曜日

学校法人が運営しているゲレンデとは恐れ入りました - 北竜湖ファミリースキー場( 長野県)

平成4年2月29日

このスキー場、二つのゲレンデへ移るのにかなりのスキー歩行を強いられました。
かなり昔のことで記憶もあやふやですが、汗だくになったのは間違いありません。

リフト頂上駅から平坦部をスキーを履いたままで、延々と歩いたように思います。
本当は、第一ゲレンデと第二ゲレンデは離れていて、全く別の代物でした。

スキー場のホームページでは、第二ゲレンデのロッジが新しくなっており綺麗です。
ただ、滑った当時、このロッジが閉鎖されていて休憩どころではありませんでした。

雪も降っていましたし、わざわざリフト二本を乗るためにトホホで気が沈みました。
どちらのゲレンデで駐車したのかはっきりしませんが、第一ゲレンデだと思います。

ゲレンデマップ
グーグルドライブはこちらから

文化学園という学校法人が所有しているゲレンデですから、スキー学習向けですね。
時分が滑った時、女子高生のチームが来ていて、リフト乗り場で一緒に並びました。

乗れるまで短い間でしたが、おしゃべりをすると二級検定が目標なんだそうです。
見ていますと、滑り終わった後に、確かにフォームを思い返している感じでした。

こちらは、気楽なスキー旅ですから、気ままにゲレンデを滑らせていただきます。
結局、お客さんが五十人いるかどうかで、ひなびたゲレンデの風情を楽しみました。

実は、すぐ隣に野沢温泉スキー場があるので、混雑回避にはぴったりの穴場です。
一方、北竜湖は飯山市にありますが、なぜ東京の学園がスキー場へ投資したのか。

それは、地元出身で学園の理事長だった大沼 淳(すなお)氏が決断したからです。
この地域貢献が非常に多大でして、同氏は飯山市の名誉市民に選ばれました。

身体障害者向けのスキー教室も開催されていていますが、背景はここなのでしょう。
大阪市の主催する教室も通算39年になりましたが、非常に熱意が感じ取れます。

というわけで、ゲレンデの頂上には、ハート型をした北竜湖が水をたたえています。
シーズン中は雪に完全に埋もれてしまって、どこが湖面だか分かりませんでした。

春になれば、北竜湖畔に広がる菜の花畑も美しく、湖の青、山の緑とのコントラストが見事らしいので、小学唱歌「朧月夜(おぼろづきよ)」のふるさと、飯山の歌詞を愛でに出かけてみようかとも思ったのでした。


おまけ:
グーグルドエアイブはこちらから
全ページご覧いただけます
クリックで拡大してご覧いただけます

「通勤」ラッシュのある街は、ここから


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




   

2016年1月24日日曜日

ナイターの明かりが見えたから、たどり着けたスキー場 - 古志高原スキー場(新潟県・中越)

平成5年12月25日滑走

ここは、長岡市に併合される以前、元々、山古志村と言う名前の自治体でした。
この村ですが、元来、全国的にも特産物・観光資源で名前が知られております。

一つは、特産物と錦鯉(にしきごい)でして、この村が発祥の地なんだそうです。
そして、もう一つが牛の角突き(うしのつのつき)といわれる、牛同士の闘牛です。

近郷の二十村郷で競い合いが行われ、特に、山古志は千年を誇る伝統の行事です。
どちらも、季節が巡ってくると、全国的にテレビのニュースで放映されてきました。

このため、新潟県の村の一つにしては、村の名は全国的に意外に知られています。
他方、養殖鯉は、闘牛と同じく周辺で盛んに営まれており、小千谷市も含まれます。

全日本錦鯉振興会なる業界団体が、この小千谷にあるくらいですが、山古志は本家。
江戸時代、突然変異により誕生したカラフルな鯉は、この山古志が故郷なんだとか。

事業も手広くなれば、山村に本部を置くよりは、往来のある市中に置くのが当然です。
こうして、本家ではひっそりと養殖業者の方が、美しい鯉作りに励んできたのでしょう。

グーグルドライブはこちらから
全ページご覧ください

そんな事情が、このスキー場パンフには、さりげなく触れられております。
もちろん、PRはスキー場自体ですが、やっぱりマスコットは牛君なのでした。

そういえば、この”うしくん”なら、パペットマペットのぬいぐるみ漫才を思い出します。
最近、テレビであまり見なくなりましたけど、テレビ神奈川では見かけますね。

地元に住んでいるので見られますが、そこそこ、見かけるので楽しいですな。
相方のカエルくんもおりますが、田んぼに付き物ですから、山古志キャラでしょう。

こうして、山古志村は全国区になったのですが、スキー場も存在したとは露知らず。
ネットによって、ゲレンデ情報が広範囲に入手できる現在と、あの頃は違います。

せいぜい、新聞の積雪情報が頼りで、あとはゲレンデガイドの出版物を開くだけ。
リフト一本だけのゲレンデだと、住所の記載で、アクセスも詳しく述べられません。

後は、マップルのロードマップが頼りで出かけますが、冬と言う季節が障害です。
県道だって、山間部では冬季閉鎖の道がざらに存在するのが新潟県なのだ。

全国的なゲレンデガイドでの紹介
クリックで拡大します

特に、冬季は、この山古志に至る安全なルートは、小千谷からに限られました。
冬季の道路情報も電話案内がありましたが、そんなことは、地元でしか分からない。

結局、近くまでドライブして分かったのは、この小千谷ルートだけということです。
たどり着くのに時間がかかってしまい、日暮れてしまって、スキー場が分からない。

ところが、幸運にもナイター営業してくれたおかげで、この明かりを道しるべにします。
県道から少し外れていただけで到達できましたが、降雪のためか路面が圧雪です。

夜道をスリル満点のドライブでしたが、ナイター営業で滑られだけでもありがたい。
この日は、地元のちびっ子たちが滑りに来ていた程度で、実に静かなスキー場でした。

というわけで、この付近は、平成16年の新潟県中越地震で大きな被害を受けました。
復興までにかなり時間を要したのですが、スキー場が再開できて、うれしい限りです。

あの地震の時、住んでいた横浜でも震度4で長く大きなゆれがあり、びっくりしてテレビ報道を見続けたのを思い出しますが、とにかくにも、次回は、ぜひ日中の営業時間にたどり着いてゲレンデ全体を見渡しながら、滑り込んで見たいとも思うのでした


おまけ:
新潟日報のスキーガイドが役に立ちました
グーグルドライブはこちらから

※スキー場ブログは、こちらから。


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ