2016年3月4日金曜日

”あいづばんげ”って町名の読みが難しくて、それだけで覚えてしまったゲレンデ - 会津坂下町営スキー場(福島県)

平成6年2月11日滑走

このスキー場へ出かけるのに、祝日と週末の三連休を使いました。
平成6年の二月は、たまたま建国記念の日が金曜になってくれました。

なので、出かけたわけですが、この時に訪問したスキー場は、四箇所です。
列挙してみますが、かなり遠距離のゲレンデまで出向いたのが分かります。

 11日(金) 会津坂下町営スキー場
 12日(土) 三川温泉スキー場
 12日(土) 二王寺スキーリゾート・二ノックス 
 13日(日) 胎内スキー場

特に中日は二つのゲレンデを滑りました、これはさほど強行軍でもありません。
以前、一日で五箇所を滑った記録が残っており、さすがきじるしでしょうか。

正確には、平成四年一月一日の元旦、お正月で、場所は青森県でした。
まるで、八甲田山死の彷徨みたいですが、回った順番をおさらいしてみます。






”あのころ、君は若かった”って、グループサウンズのヒット歌謡にもありましたな。
スパイダーズのマチャアキが歌いましたけれど、今や”厨房ですよ!”のジジイ。

片や自分の方は、しっかり自分史の金字塔としてブログにも書き連ねました。
そんな年月を滑ったゲレンデに懐かしさを感じますが、今回の四ヶ所は序の口。

そんな風にも思いつつ、この坂下町営というのは非常に地味なゲレンデです。
自分の持っている、当時のゲレンデガイドブックにも紹介がありませんでした。

ただ、以前に、仙台に住んでいた頃、河北新報でこのスキー場を知りました。
まあ、東北はシーズンが来るとゲレンデ積雪情報が、スポーツ面に載ります。

この中で福島県のリストに、やけに少雪なゲレンデとして載っておりました。
一月になっても休止中で、二月になっても30センチくらいしか積もっておりません。

こんなゲレンデってあるのと思いましたが、行ってみてやはり納得いたしました。
会津盆地から、ちょっと競り上がった小高い丘陵に設けられた印象なのです。

山頂には送電線の鉄塔が横断していくような感じで、まさに町民ゲレンデです。
こじんまりとしておりまして、買ったリフト券も五百円ポッキリと格安なのでした。

リフトに乗るには二コマ分、ハサミが入りますが、ロープトウは一コマになります。
雪があまりに少なくて、ブッシュは出ているわ、急な斜面は閉鎖されていました。

それでも、祝日だったせいか、地元の家族連れで緩斜面にわんさか集まります。
ファミリー向けの実にローカルなスキー場ですが、残念、閉鎖されてしまいました。

今から十年ほど前、最盛期から客足は五分の一以下に減ってしまったようです。
一シーズンで七千四百人って、平日は誰も殆ど滑っていなかったのかもしれない。

しかも、つい二年ほど前、ロッジが火災で焼失してしまい、再開が遠のきました。
というわけで、残るは、ご近所にある”糸桜里(しおり)の湯 ばんげ”の湯船にでも浸かって、ゲレンデを懐かしむだけなのかもしれず、時間に余裕があれば、会津ころり三観音の千住観世音を本尊とする、国の重要文化財立木観音堂でも訪れて、ゲレンデも「ころり」になってくれたんだろうと、拝んでみようかと思うのでした。


おまけ:
このゲレンデに関する記事はこちらから、、、



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2016年3月1日火曜日

山麓ゲレンデはありきたりだけど、ロープウェーで上がれば山岳スキーの醍醐味 - 北志賀竜王スキーパーク(長野県)

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そのシーズン、世界初166人乗りのロープウェイが山頂部まで引かれました。
乗っている時もそうですが、晴れた日には、竜王山から下界の眺めが絶景です。

乗客がみんな「すごい!」と声を上げるほどで、景色のよさに魅せられていました。
面白いのは、乗り場がメインゲレンデの中心部にあって、駐車場からすぐじゃない。

ゲレンデに入ってから、リフトを二本乗り継いでいかないと登場できず、不便です。
現在は、動く歩道で移動して、リフト乗り場に接続しますので、便利でしょうか。

しかも、スキーバスツアーに良く組まれているらしく、スキー客が多く混雑がひどい。
駐車場で大型バスもかなり見かけたし、誘導で停めるまで時間がかかりました。

周辺には宿泊施設も充実して、宿泊パックなど大々的に呼び込んでいるのでしょう。
当時はまだスキーブームの最中で、自分にはそのにぎわいが迷惑千万でした。

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こうなると、早くリフトで上がれるだけ上がって、込み合って来るまで滑りを楽しもう。
ロープウェーもあることだし、山頂エリアは雪も豊富で、雪質に期待できそうです。

こうして、リフトを乗り継いで山麓駅に到着しましたが、既に乗客も並んでおります。
結局、一本分の二十分間、待たされる羽目になってロープウェーも満員でした。

まあ、上がってしまうと標高が二千メーター級で、志賀高原並みの雪質でした。
ここから、クワッド一本を乗り継げば、竜王山の頂上直下まで出られます。

この先から、なだらかな鞍部が見渡せますが、山スキーのツアーもできるようです。
実際に、焼額山スキー場まで踏破した写真つきの記事が、ネットで見つかりました。
もし、天候が良くて道標もしっかりなら、コース的にはさほど難しくなさそうです。
今は、携帯にもタブレットにもGPSがついていますから、迷うこともないでしょう。

平成4年3月20日滑走

これが難しいコースでは、スキーヤーが降りれなくて、途中が混雑してしまいます。
滑走の難しすぎる地形は、間引き運転のできるロープウェーが無難かもしれません。

このため、世界最大級の乗員数の施設を導入して、話題を集めることにしたのか。
その後、ふもとのゲレンデを滑るしかなかったのですが、滅茶苦茶混んでいました。

ところで、お隣の小丸山ゲレンデは、スキー修学旅行の生徒をかき集めていました。
スキー場とホテルの運営会社が同じですから、相乗効果を狙って一石二鳥です。

こちらは、運営会社がツアー会社と組んで宿泊をパックにして、客をかき込みます。
当時のゲレンデマップでも、ギャルたちの人気を呼んでいるゲレンデとありました。

でも、リフト一本を乗るのに一時間くらい待たされる活況さは、自分にはご免です。
ここは、ギャルたちのゲレンデデビューのお披露目場なんだと、悟ってしまいました。

というわけで、このスキー場もご他聞にもれず、平成17年に経営に行き詰りました。
この年は有名ゲレンデの曲り角で、斑尾高原は倒産、奥志賀高原は経営譲渡です。

こちらは、民事再生を経て復活したのですが、負債額は最高で92億円に達しました。
ロープウェーなど過大な設備投資が、仇になったのは否めないと思うのですよ。

確かに、地域総合整備財団から70億円規模の融資を引っ張り出して再開発したのはお見事でしょうが、バブル崩壊を受けてスキーブームも下火になりそうな頃合でしたから、他に経営上のアイデアを見出せなかったものかと、調べながらつくづく感じるのでした。


おまけ:
リフト券(裏面)
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2016年2月27日土曜日

マックアースの一ノ本社長の話を聞いて、俺はサラリーマンの出稼ぎ人生なんだと思った - カンブリア宮殿(テレビ東京放映(2月25日))

 
私は、北海道で生まれて、大学を卒業するまでそこに住んでいました。
まあ、小樽の小さな大学を卒業しても、地元に就職先は限られています。

せいぜい、地方の金融機関、電力会社、ガス会社、公務員でしょうか。
道産子は本州を内地っていうくらい、開拓の後発地ですから産業が乏しい。

農業や漁業には目もくれず、若い頃は、ついつい夢を持ちたくなるものです。
しかも、小さいながら国立大学でしたから、本州で活躍する諸先輩もいます。

こうして、自分も雄飛を夢見て、東京まで出てきてサラリーマンになりました。
それで、どうだったのかというと、まず気候や生活習慣の違いに面食らいます。

これに慣れるのが一所懸命で、慣れれば後は惰性ですが、故郷が恋しくなる。
そして、雪国の出身ですから、楽しんでいたスキーを再開したくもなりました。

小樽といえば天狗山スキー場もありますし、大学ではスキーが必修でした。
校舎の裏山がゲレンデになっていて、スキー授業に出ないと卒業できません。

しかも、下宿はスキー場のすぐ真下にありまして、滑るには不自由しないのです。
こんな学生時代の生い立ちのせいか、東京に来てから、雪に遊びたくなります。

こうして、東京で本格的に滑り始めて、三十年以上が経過してしまいました。
そして、自分はサラリーマンになって出稼ぎに来たんだろうなって、今、思います。

そして、ふとそんなことを、TV番組”カンブリア宮殿”が思い出させてくれました。
正式には、日経スペシャル カンブリア宮殿 〜村上龍の経済トークライブ〜。

ずいぶんと長いタイトルですが、企業経営者の生のトークが聞けて、面白い。
毎週欠かさず見てきましたが、今回は、マックアースの一ノ本さんなのです。

現座、スキー場の運営再生ビジネスでは、順風満帆といったところでしょうか。
休廃止になりそうなゲレンデを、すんでに救い出して運営を続けさせています。

自分も、こういったゲレンデについては、折に触れてブログで紹介してきました。
それで、自分も出稼ぎだったんじゃないかという触発は、次のトークからでした。
  
ナレーター:
スキー場があるからこそ、生活ができ、家族が一緒に暮らすことができる。
一ノ本のスキー場への恩返し、
それは雪国の人々の暮らしを守ることでもある。

一ノ本:
スキー場経営って町づくりなんですよ。
スキー場が繁盛して初めてそこに雇用が生まれ、人の流れができるんで、
やっぱりそこに人が住み続けてもらえるような形にして行かないと、
やる意味が無いと思うんで。

村上:
スキー業界で有名なのは、プリンスとか東急系とか、大体この二つですよね。
黒字を維持できそうなところは、こういう大手は手放さないんですよね。

一ノ本:
まあ、そうですね。

村上:
(一方) マックアースがそこを買い取ったり、運営委託するのは、
ここが儲かるからって言うのと違うような気がするんですけど。

一ノ本
確かに、経営の行き詰ったところをお受けしたのは、かなりありますよ。
(それで)何でそういうところをやるかって言う話なんですけど、

スキー場を閉めちゃうと、もうその地域自体が崩壊しちゃうんですよね。
存続できなくなっちゃう。
そこの人たちって、かつては夏は農業をしてて冬は出稼ぎに出ていたんですよ。

スキー場を作ることで、出稼ぎ生活に終止符を打って、通年を通してそこでお仕事ができるって、まあ、リフトの会社に勤めたりとか、自分で民宿を始めたり、それを旅館にしたりとか。

家の親父もまさしく、スキー場ができるということで山小屋を作って、その前は、やっぱり出稼ぎに行っていたんですよ。

なので、日本のスキー場が立地している所は、ほとんどが出稼ぎ地帯なんですよ。

小池:
複雑なんですね、スキー場の成り立ちって。
  
まあ、自分的にはスキービジネスに興味を持って、ブログに投稿して来ました。
特にバブル景気の時代は、リゾートも林立しましたが、いまや風前の灯です。

だからこそ、当時を滑った思い出と、現在までの変遷を書き残しておきたい。
こうして、こういった趣旨に絞りこんだ投稿は、次のような記事になります。
  
現地でかつての運営会​社を口にするのはタブ​ーみたい - メープルヒルリゾート​スキー場 (栃木県)

猫の目のように経営者が変わっても観光資源がよけりゃ大丈夫 - 京急猪苗代リゾートホテル・スキー場(グランドサンピア猪苗代リゾートホテル&スキー場)(福島県)

居抜きでリゾートを引き継いだ、ババア経営者のホテルチェーンはすごいぞ -  妙高パインバレースキー場(新潟県・上越)

ホームページを見ても、旧六日町ミナミスキー場って、わざわざ出すほどの知られたゲレンデ - 六日町スキーリゾート(新潟県・中越)

行け行けドンドンの開発投資は戦略暴走だったのか - 小海リエックス・スキーバレースキー場 (長野県)

四全総の行け行けリゾート開発 - オニコウベスキー場 (宮城県)

給料未払いの挙句、代表が失踪するなんて推理ドラマの筋書みたい - 神立高原スキー場(新潟県)

バルブ屋がバブルで作​ってガキ相手に一商売​を企んだ波乱・・・ - キッツメドウズ大泉・​清里スキー場(サンメ​ドウズ清里スキー場) (山梨県)

東京都湯沢町と揶揄された頃の摩天楼ビクトリアタワーを思い出した - 岩原スキー場(新潟県)
 
 (タイトルをクリックすると投稿記事を読むことができます。)
  
というわけで、一ノ本さんの発言は、雪国育ちの自分にとっても頷かざるを得ないものがあったのですが、ただひとつ、ニューヨークは一日だけをオプショナルツアーとしてスキーに出かけることはできない、みたいに発言した点は間違いのはずで、ちゃんと三時間以内で行けるスキー場もあるので、その点での情報精査については、自分のほうが上だと、ちょっと得意になったりもしたのでした。


おまけ:
ニューヨークから三時間以内のスキー場の投稿はココ;
名前をパクれば本家のご威光にあやかったのか有名になった - ハンターマウンテン・スキーボウル塩原スキー場(栃木県)

マックアースさん関連を紹介した投稿はココ;
スキー歴史遺産として登録して当たり前の一世紀 - 国設沼尻スキー場 (福島県)

簗場ってどこで魚取りをしていたんだろう - ヤナバスキー場(ヤナバスノーアンドグリーンパーク)(長野県)

雪とは全く無縁のシンガポール・チャンギ空港で投稿中だが、バンコクで雪が降る!?


小樽天狗山スキー場の投稿はココ;
憲法裁判の佐藤さん - 小樽天狗山スキー場 (北海道・道央)


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2016年2月24日水曜日

居抜きでリゾートを引き継いだ、ババア経営者のホテルチェーンはすごいぞ -  妙高パインバレースキー場(新潟県・上越)

平成5年12月24日滑走

昨年五月連休に、新潟県内を旅行したときに、改めて耳にしました。
でも、アパリゾート妙高パインバレーって名前を変えていたのですよ。

なぜ覚えているかというと、燕三条駅前のアパホテルに泊まっていた時です。
チェックインして、くつろぎながらテレビを見ていたら、CMに登場しました。

このアパホテルは、ド派手な衣装の女性社長で、瞬く間に有名になりました。
当初、これでもかというくらい、アップで微笑んで広告に登場しだしたのです。

クレーム覚悟だったそうですが、宣伝的には効果的な話題づくりになりました。
その後、ホテルチェーンは事業も大躍進して、最終的にはリゾート進出です。

アパホテル社長、元谷芙美子

平成17年に買収しましたが、スキー場は残念ながら営業を休止しています。
ただ、上越妙高の森ゴルフコースとホテルは、積極的に営業中のようでした。

だって、このリゾートの宿泊パックが、TVコマーシャルで盛んに流れていました。
結構、手ごろな価格でして、地元、新潟県の消費者がターゲットに思えます。

首都圏のゴルファーも、今時、わざわざ、ここへゴルフに来ることもないでしょう。
ゴルフ人口自体が減少していますし、廃止になるコースだって現れています。

その代わり、地元の需要を積極的に掘り起こしていると、思ってしまいました。
ところで、このリゾートは、不動産開発業者のコクド松下興産が担いました。

大デベロッパー二社が、共闘しておったてたリゾートですが、珍しい事例です。
オープンは昭和63年と、日本経済もこれからバブリーに突入する時期でした。

プリンスホテルは二棟で、客室数は225室、収容人員は430人とどでかい。
ゴルフコースにスキー場、温泉大浴場、露天風呂、サウナと至れり尽くせり。

ただ、どちらかと言えば、ゲレンデは施設の一つに過ぎない感じもしました。
ゲレンデマップを見ると分かるのですが、ホテルからスキー場まではやや遠い。

グーグルドライブはこちらから

連絡バスに乗って、ゴンドラの山麓駅まで出かけなければ行けない感じです。
自分はというと、自家用車だったので、スキー場前の駐車場に停めました。

それで、飛び石連休の中日で平日のせいか、スキー場は空いていました。
というより、滑っている人を見つけるのが難しいほどの、ガラガラ状態なのです。

これじゃ、経営難になるんじゃないかなーと、良くない予感がするほどでした。
ゲレンデも、ゴンドラの山頂駅から山麓まで初心が降りられるほどの緩斜面。

申しわけ程度に上級コースはありますが、少し長めの中級コースで我慢かな。
そんな風に思って楽しみましたが、ここは家族連れの天国ゲレンデでしょう。

だって、ファミリー揃ってゴンドラに乗り、山麓駅まで一緒に降りてこられます。
こんなスキー場は、非常に珍しいと思いましたが、休止になったは残念でした。

というわけで、このスキー場の山頂は、標高千メーター近くと高度もそれなりに高くて雪質も期待できますし、松の木々が多い谷間に開発されたことから、「パインバレー」と命名されたように、林間コースも堪能できるわけでして、いつの日にか必ず再開されることを、願ってやまないのでもありました。


おまけ:
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