平成4年12月29日滑走 |
このゲレンデは、縦にリフトが3本連なったシンプルなレイアウトでした。
宿泊施設も磐梯国際観光ホテルしかなく、専用ゲレンデといった趣もあります。
ただ、年末のお正月直前でも、絶対的に雪が不足して条件はよくありません。
どうもスノーマシンの持ち合わせがなく、天然雪だけを神頼みにしているみたい。
ただ、バーンが整理されていて芝生らしく、雪が軽く積もっても滑られそうです。
このため、幅の広いまっすぐな中緩斜面を、リフト二本が稼動されていました。
積雪は二十センチでしょうか、スキー板の滑走面が傷つきそうで心配になります。
一方、上級の櫛ヶ峰チャンピオンコースは、さすがに雪が貼り付いておりません。
なので、二三回くらい滑って、次の裏磐梯スキー場に移動したのを覚えています。
まあ、会津は豪雪地帯なので雪は降って当たり前ですが、当時は暖冬続きでした。
ここに来る前の猪苗代スキー場も、あまり雪が多くなかったのを記憶しています。
そのため、お隣の猪苗代では、既に樫山工業のスノーマシンを導入していました。
まあ、オープン当初のゲレンデコンデショんを良くしようとするのは、当たり前です。
なのに、このゲレンデでは何もせず、何か投げやりな印象を受けてしまいました。
グーグルドライブはこちらから 両面ごらんいただけます |
あの頃ですら、寂れた感じで、本当に大丈夫なのと思わずにはいられません。
実際、その予感は残念ながら的中し、運営会社の小川組は倒産してしまいます。
このため、一時的にスキー場は休止され、新たな運営者が現れるのを待ちました。
当時は閉鎖するゲレンデも増え出していて、もはや儲かる時代ではなくなりました。
数年もかかりましたが、引き継ぐ会社が名乗り出ただけで運がよかったのでしょう。
現在、ここはコアラ体育サービスが運営していますが、ホテルもそのまま営業です。
この会社が面白くて、スポーツ・アウトドアの研修事業をターゲットにしています。
中には、公共施設の管理代行、休眠施設の再生事業も手がけているとありました。
こうなると、このゲレンデを引き継ぐには、うってつけの会社だったかもしれない。
学校・教育機関へ、スキーを通じて野外教育活動を請負うというビジネスでした。
というわけで、各地のスキー場は生き残りを賭けて、様々な取り組みに挑戦中。
そういう中、新たな付加価値を付けて差別化を図ろうとするのも当然でして、この磐梯国際もそれに乗っかって復活したゲレンデには違いなく、今後もスキービジネスでがんばってもらいたいとも思うのでした。
おまけ:
※現在のゲレンデのホームページはこちらから
平成7年頃のゲレンデマップ クリックで拡大してご覧ください |
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