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このスキー場は、磐梯山を取り巻くゲレンデの中で、当時、もっとも小規模でした。
周辺は、猫魔、アルツ磐梯、猪苗代と目白押しで、比較すると少し見劣りします。
でも、日本百名山で磐梯山の麓にあるホテル直営は、趣向が全く違う感じもします。
登山基地にもなりますし、五色沼へトレッキングもできますが、景勝地なのでした。
まさに四季折々の観光の宝庫でして、秋の紅葉が来れば車の渋滞もひどいのだ。
ただ、厳しい冬は観光の要素も少なくて、追加でスキーを楽しんでもらいましょう。
スノーシューのトレッキングも紹介されていますが、要するにかんじき歩きです。
日本古来の雪国における生活用具ですが、バタ臭く言われると格好よく感じます。
自分もブログの自己紹介では、その出で立ちの昔の農夫姿を使わせてもらいました。
小さな写真なので分かりにくいですが、ウイキペィディアでも簡単に検索できます。
平成4年12月29日滑走 |
さて、このゲレンデは、リフト二本が連なるだけで、こじんまりとしていました。
現在は三本で、その後、第一リフトの向かい側に、もう一本掛けられたようです。
スノーボーダー用にボードパークを設けたせいか、専用としたのかもしれません。
結果、リフトも増えたわけで、近年、リフトを間引く傾向とは間逆なのが面白い。
一方、ゲレンデ最上部は磐梯山の火口跡ですが、やや平坦で山スキーもOK。
当時は”噴火口ラングラウコース”でしたが、現在はスノーシューコースでした。
黄色い氷瀑のイエローフォールもありまして、ここが観光スポットになっています。
このためか、第一・二リフトで上り乗車をして、下山も下り乗車ができるのでした。
そんなスキー場は、これといった特徴もないのですが、火山のお膝元が恐ろしい。
なぜなら、磐梯山は現在も気象庁によって、常時、観測されている火山なのです。
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もちろん、明治以降では、日本における最大規模の火山噴火を引き起こしました。
最近では、一昨年九月末に御嶽山が、突如、噴火しましたが、その記憶も生々しい。
犠牲者が数十名に達しましたが、この磐梯山も、五百人に近い被害で大規模です。
ところが、当時は火山の研究がまだ初期の段階で、記録があまり残っておりません。
つまり、測候所や気象台で火山活動の観測は、全く実施されていなかったのです。
避難も遅れて、発生した爆風と岩屑なだれで付近の集落が全滅してしまいました。
当然にして、地元住民は誰一人として、この山が噴火するとは察知しませんでした。
一方、噴火の数日前から、周辺の生物が避難行動をとった記録は残されています。
そんな当時の状況ですが、小説家の井上靖は、短編「小磐梯」で描き出しました。
ある地方官吏の回想(聞き書き)という形式を取りますが、噴火直前が異様です。
それは、あまりに無力に災害に巻きこまれる人間の数奇な運命がモチーフでした。
というわけで、実際に山体崩壊を起こしたのは小磐梯の山塊で、最高峰は残ります。
こんな自然災害の恐ろしさを考えてしまうと、周辺はスキー場だらけで本当に安全なのかと思ってしまいますが、この噴火のおかげで桧原五胡もできあがり、半世紀を経て指定された磐梯朝日国立公園の重要な地域となっているわけですから、ここは四季を通じた観光地のスキー場ということで、楽しむしかないと腹をくくるのでありました。
おまけ:
磐梯山噴火記念館入館券 |
平成7年のゲレンデマップ クリックで拡大してご覧ください |
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