平成3年12月22日滑走 |
刊行からもうすぐで三十年になる、極楽スキーという本を、 当時熱心に読みました。
当時、新人類と呼ばれた世代が、スキーブームを担っており、 かれらが読者層です。
当時、新人類と呼ばれた世代が、スキーブームを担っており、
当時は、苗場と並んでミーハー(この言葉自体が死語か) が集まるスキー場でした。
文中、”去年の彼は今年もやって来るのかしら”と、 ずい分色っぽい書きっぷりです。
文中、”去年の彼は今年もやって来るのかしら”と、
イケメントと乳繰り合うのが楽しみで、 期待に胸を膨らませるギャルかもしれません。
別名、”淫ら尾(みだらお)” と紹介していたのを覚えていますが、軽佻浮薄ですな。
別名、”淫ら尾(みだらお)”
バブル真っ盛りで、ペンションに泊まり、 昼はスキーで夜はディスコへ繰り出します。
あわよくば、軽いノリのおねえちゃんを引っ掛けて、 今宵はいんぐりもんぐりの世界。
あわよくば、軽いノリのおねえちゃんを引っ掛けて、
栂池の”いっぱつがいけ”と双璧をなしたみたいで、 華やかな時代もあったのでした。
若者には元気がありますし、 不純な動機で興味をくすぐられたとしても仕方がない。
若者には元気がありますし、
そんな時代を懐かしくも思うのですが、 まさに自分もその世代の一人だったのです。
一方、 この本ではスキー用具のさまざまなブランドがロゴ入りで紹介され ていました。
一方、
みんな見栄張っ子でしたから、 競い合ってブランド用品を購入しまくった時代です。
自分も、紹介されていたスキー板のボルクル、 ダハシュタインのブーツを揃えました。
自分も、紹介されていたスキー板のボルクル、
たいていは、シーズン落ちの春先に、 かなり値下がりしたタイミングを狙っていました。
半額以下が楽しみで、特にボルクルの板は、 三セットぐらい買い換えたりしたのです。
半額以下が楽しみで、特にボルクルの板は、
あの頃は、まだカービンぐスキーが登場してない頃で、 非常に長い板を選びました。
しまいには、195センチの板で滑るようになりましたが、 平板と呼んでいましたね。
しまいには、195センチの板で滑るようになりましたが、
平成16年滑走のコイン(記念用) |
それで、斑尾は二回滑りましたが、 自分的にはエポックメーキングのゲレンデです。
最初は平板で滑ったのですが、 次はカービンぐ板の筆おろしゲレンデがここでした。
最初は平板で滑ったのですが、
確か平成16年で、カービングが普通になっていた頃で、 ずい分遅いデビューです。
それまで、大事にボルクルの平板に乗っていたのですが、 新人類も年を取りました。
それまで、大事にボルクルの平板に乗っていたのですが、
足腰も弱くなったし、上級斜面より中級の緩斜面で、 ちんたら滑るのが好ましい。
ならば、無理せず曲がりやすい板にでも乗って、 筋肉痛になるのを防いでみよう。
ならば、無理せず曲がりやすい板にでも乗って、
まあ、かつての新人類も年月に勝てず、 中年オジジのとば口に立ったということです。
さて、カービング板は、 圧雪バーンだと知らない内に加速するのが半端ありません。
短い板の割りに走行中は安定しているので、 怖いもの知らずでぶっ飛ばします。
がに股開きを気にする余裕すらなくて、 初めは板を操るコツがつかめませんでした。
グーグルドライブはこちらから 裏面もごらんいただけます |
その内、滑る間に何なく操縦方法を体で覚えてしまったのですが、 かなり楽です。
こうして、平板には暇乞いをさせたのですが、 山スキー用は現役で使っております。
というわけで、みだらおの与太話とは無縁に、 ガッツに滑りまくった自分がいました。
あの頃、リフト待ち一時間が日常的に見受けられ、 並んで待つのが実に苦痛です。
あの頃、リフト待ち一時間が日常的に見受けられ、
なので、こんなゲレンデは敬遠しつつ、 空いているスキー場で滑るようになってしまったのですが、 時を経てカービングスキーで滑った時分には、 余りにスキー客が少なくて驚いてしまい、人々は、 まさに淫ら尾の目的が勝って遊びに来ていただけなんだと、 ピュアなスキー野郎は思ってしまうのでした。
おまけ:
グーグルドライブはこちらから |
リフト券裏面 |
注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95( 立風書房)
いいねと思ったら、二つポチっとね!
ボルクル → フォルクル じゃないかな?
返信削除Volkl フォルクル
Volkswagens フォルクスワーゲン
そうです。
返信削除でも、ボルクルと言っておきましょうか。
ウムラウトの付いた発音は、難しいのですよ。
なので、時を止めたように言い方を変えず、そのままにしました。
分かりました。私が野暮でした。
削除