ソリ遊びは体験したみたい |
お笑いコンビのピース・又吉さんが、小説「火花」で芥川賞を受賞しました。
現役の芸人にして文筆家として活動中ですが、本格的な純文学は初めてです。
書評は、そつなく言えば、笑いと文学への尊敬と愛情の書なんだだそうです。
ただ、第一作で受賞できるほどの作品に価値があったのか、批判もあります。
特に、通販サイトのアマゾンの書評では、毀誉褒貶が激しく炎上状態でした。
星五つの評価がある一方で、内容は薄い、残念な作品と酷評も目立ちます。
意見が際立って対立しており、まさに題名どおりに火花を散らしていました。
もし、本当に予測して名づけたのなら、作者の力量は先見の明ありでしょう。
様々に意見を戦わせるのはいいことで、話題性ゆえに本の価値も上がります。
個人的には、村上龍が芥川賞を受賞したデビュー作をふと思い出しました。
『限りなく透明に近いブルー』ですが、群像新人文学賞とのダブル受賞です。
大学在籍中に受賞した綿矢理沙は二作目でしたが、どちらもミリオンセラー。
これから、文藝春秋でこの受賞作と選評が掲載されますが、実に待ち遠しい。
先ずは、今後の彼の活躍に期待するとして、エールを送りたいと思いました。
さて、作家も後世に名を残せるようになれれば、文学碑が建てられるのです。
前の投稿で取り上げた月山スキー場では、詩人丸山薫の文学碑が近くでした。
まあ、日本人は文芸好きですから、全国各地で文学碑が建立されております。
そうなれば、スキー場だって、文学碑が建てられているのではないだろうか。
そんなことをふと思い立ちまして、調べたらそこそこに見つかって来ました。
全部調べ上げたとは思いませんが、ちょっと、紹介してみたいと思います。
①川端康成 「雪国の碑」(直筆)
隣接スキー場:湯沢高原・布場・一本杉ゲレンデ(新潟県湯沢町)
<碑文>
国境の長いトンネル
を抜けると雪国
であった 夜の底が白くなった
雪国より 川端康成
言わずと知れたノーベル文学賞受賞作家の文学碑は、越後湯沢にありました。
この主水(もんど)公園から、駅をはさんだ向かい側がスキー場です。
②三浦綾子 「道ありき」
隣接スキー場:公園内のクロスカントリーコースとちびっこゲレンデ
(北海道旭川市)
<碑文>
三浦綾子 道ありき
そして何を思ったのか
彼は傍らにあった
小石を拾いあげると、
突然自分の足を
ゴツンゴツンと
つづけざまに打った。
自分を責めて、
自分の身に石打つ姿の
背後に、
わたしはかつて
知らなかった光を
見たような気がした。
この碑は、作家の暮らした北海道旭川の春光台公園に建てられています。
キリスト教の女流作家として、信仰に根ざした敬虔な作品を多く残しました。
中でも、繰り返しドラマ化されて来た「氷点」は、ご存知のはずだと思います。
他にも、「塩狩峠」やこの「道ありき」は、代表作として知られています。
全著作で約四千二百万部の発行部数は、ベストセラー作家の証とも言えそう。
一方、この公園は、スキーの歴史とも係わり合いが非常に深い場所でした。
なぜなら、明治45年2月、オーストリアのレルヒ中尉が旭川を訪ねています。
その際、陸軍や旭川中学の学生にスキー操作の指導をしたと記録があります。
③石坂洋二郎 「若い人」
隣接スキー場:横手公園スキー場(秋田県横手市)
<碑文>
小さな完成よりも
あなたの孕んでいる未完成の方が
はるかに大きいものであることを
忘れてはならないと思う
「若い人より」
秋田県横手市は、作家石坂洋次郎のなりたちに深いつながりを持つ町です。
健全な常識に立った明快な作風は、この横手の教師時代に確立されました。
ただ、碑文の「若い人」は前任地の弘前の女学校の体験が強いと思います。
舞台の港町が、何となく青森を思わせるところがあり、青い山脈もそうです。
確かに、横手中学校で教えていた頃に、この作品が生まれたのも事実です。
文学碑は横手公園にありますが、この裏手に小さなゲレンデが存在します。
④辻村もと子 「馬追原野」
隣接スキー場:長沼スキー場(北海道長沼町)
<碑文>
強欲な冬の力に抗するように、時折、ぱあっと明るい名残の陽ざしが顔をだすのだが、その光は明るい割に弱々しく、すぐ灰色の雲に押し付けられて、ガラス屑のような硬いこまかな雪片が風と一緒に横なぐりに野面をおおってしまう。馬追の開墾地の人々は、まだ畑に掘り残してあった馬鈴薯の残りを総がかりで小屋に運んでいた。
この作家は、早世したため作品数が少なく、ほとんど知られて降りません。
ただ、この作品で第一回樋口一葉賞を得ており、実力はあったと思います。
作品は、本人の父をモデルにして明治初期の困難を極めた開拓を描きました。
文学碑のあるマオイ文学台へは、長沼スキー場から観光道路がつながります。
⑤林芙美子 (河合倶知安郵便局長の求めに応じた色紙)
隣接スキー場:ニセコ グラン・ヒラフスキー場(北海道倶知安町)
<碑文>
青き山なり
ニセコの山は
吾(わが)心また青々
心涼しむ
代表作は「放浪記」で、放浪生活の体験を書き綴った自伝的小説が有名です。
この歌碑はスキー場公園にありますが、天気次第で盤面に羊蹄山が映ります。
風光明媚な観光地ですから、歌碑になかなかしゃれた工夫が生きていますね。
本人もこの土地が気に入ったようで、印象を求めに応じて色紙に残しました。
⑥小林一茶 (代表句)
隣接スキー場:黒姫高原スノーパーク(長野県信濃町)
<碑文>
蛙たゝかひ見にまかる。四月廿日也けり。
痩蛙 まけるな一茶 是に有
一茶(七番日記)
誰もが知る、一茶の代表的な俳句の句碑が、スキー場内にあります。
一茶の句碑は、全国に三百を超えますが、39番目に数えられると言います。
実際のところ、冬になれば、句碑は雪の下でほとんど気づかれないようです。
他方、この句碑は全国各地にありまして、都内には足立区炎天寺にあります。
⑦竹久夢二・若山牧水 (歌碑)
隣接スキー場:聖高原スキー場
<竹久夢二碑文>
番場峠の五月の花は枝は東に根は西へ
<若山牧水碑文>
山に入り雪の中なる朴の木にから松に何とものを言ふべき
夢二は、大正13年の春、猿ヶ番場峠の当地を訪れて、この歌を残しました。
聖湖のような地名を使わなかったのは、当時はばんばと言っていたからです。
後年、池が造成されて、近くの聖山を引用して、今の名前へ変わりました。
次に、聖湖から聖高原スキー場に向かうと、若山牧水の歌碑があります。
明治から大正へ変わる頃、牧水は歌会のために信州麻績村を訪れています。
旅を愛し、旅にあって随所で歌を詠んだ漂泊の歌人らしく、一首詠みました。
というわけで、文学碑は他にも残されておりますが、これくらいにしておきましょう。
与謝野鉄幹、長塚節、貞心尼などの碑文もあるのですが、どこのスキー場にあるのかは、謎解きとしてご自分で調査いただくとして、オフシーズンには観光がてら、ぜひお訪ねいただきたいと思うのでした。
おまけ:
与謝野鉄幹歌碑 |
長塚節歌碑 |
貞心尼歌碑 |
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