新潟県・弥彦山のロープウェイ頂上駅 |
弥彦山を麓の弥彦神社から、ロープウェイに乗らずに、ちんたらと登山してみました。
標高ですが、東京スカイツリーと同じ高さの634メーターと、登るには手ごろです。
現地の案内板や観光協会のサイトでPRしているそうですが、気づきませんでした。
元々、弥彦神社の祭神・天香山命を祀った山として、人々の崇敬を集めております。
別にスカイツリーに便乗せずとも、既に有名な観光地ですから蛇足は不要でしょう。
山の全体が神域で自然がよく残されており、海岸より突き出した山容も秀麗でした。
佐渡弥彦国定公園の指定を受けたのが、昭和25年と半世紀以上とかなり前です。
そして、ロープウエイは公園指定から八年後に開通ですから、見た目もレトロでした。
まあ、下山をする余裕が時間的になくなってしまい、麓へ降りるのに乗車したのです。
山は勇んで登ったのですが、その日のスケジュールが押してしまって、楽をしました。
それで、この山ろく駅の位置が非常に不思議で、駐車場からかなり距離があります。
このため、無料送迎バスが出る始末で、もう少し麓(ふもと)にしたらどうだったのか。
しかも、山頂駅は九合目にあって、弥彦山の山頂へは、一合分を登らねばならない。
つまり、あまりに中途半端な索道の掛け方になっていて、どうしてなのと思いました。
これは自分の想像なんですが、当時の技術力から言えば、これが限界だったのか。
それとも、霊験あらかたな弥彦神社に、観光開発もかなり気兼ねしたのでしょうか。
運営会社は、弥彦観光索道ですが、ホテルで有名な聚楽グループの一員でした。
伊東温泉のホテル聚楽といえば、ハトヤと並んで、関東に住む人ならおなじみです。
それで、家に戻ってから、弥彦山を思い出して調べてみたんですが、驚きました。
昭和50年頃までは、山頂部に小さなスキー場が存在していたのだそうです。
山頂駅では、昔の弥彦山周辺の写真が展示されていて、ネットで見かけました。
自分も、そんな写真があったような気がしますが、ゲレンデの写真は思い出せない。
どうも、山頂駅から北に向かう鞍部に小さなゲレンデがあり、ロープトゥもあったみたい。
今となっては昔の話ですが、現在でも、冬季には山スキーで登る人たちもいます。
弥彦山登山中風景 |
そんな弥彦山のハイキングだったわけですが、下山してからは国上寺を訪ねました。
このお寺は、俗に弥彦山脈と呼ばれる山並みの南端、国上山に位置しています。
良寛和尚の住んでいた五合庵があるのですが、かねがね行って見たかったのです。
寺を持たず、無欲恬淡な性格で、子供たちと遊び、そして庶民に愛されたお坊さん。
ただ、寺も山奥だし、庵は本堂から山道を少し下らねばならず、辺鄙な場所でした。
冬になれば雪も積もるだろうし、歳を重ねれば、体に無理などできなくなりそうです。
このため、和尚も還暦を過ぎて辛くなったのか、庵をたたんで山里へ移り住みました。
実は、この良寛さん、亡くなる時に、葬式とお墓代のために四十両も残していました。
これは、当時の庶民の年収を上回っており、充分な備えで意外にしっかりしています。
生涯、寺の住職にも付かず、托鉢で日々の糧を得ていた生活からは想像できない。
元々、庄屋の長男に生まれ、家業を継ぐはずだったのに出家してしまったと言います。
庶民の厳しい暮らしを見るにつけ、領主との間に立って差配をするのがやりきれない。
若くして名代になったがいたたまれずに、修行の道に救いを求めたのかもしれません。
そんな風にも思いましたが、ふと、同時代の禅僧だった仙厓義梵も思い出しました。、
仙厓和尚といえば、洒脱でユーモアたっぷりな画風の水墨画で名が知られております。
問題なのは、今際の際にのこした言葉でして、 「死にとうない」 とどうも言ったらしい。
付き添う弟子達が慌てて聞き返したところ、「ほんまに、ほんまに」 と繰り返す始末。
でも、良寛さんと一緒で、なぜだか人間くさい魅力に引き込まれるものがあります。
というわけで、五月連休の越後ツアーは、これでひとまず寺社めぐりを締めくくりました。
これから、終盤の奥志賀高原スキーと、いいやま菜の花祭りを訪ねる後半戦に突入したのですが、天候もまずまずで旅行を楽しめましたし、冬場のゲレンデめぐりとは違った、越後の風物を満喫したのでした。
このため、和尚も還暦を過ぎて辛くなったのか、庵をたたんで山里へ移り住みました。
実は、この良寛さん、亡くなる時に、葬式とお墓代のために四十両も残していました。
これは、当時の庶民の年収を上回っており、充分な備えで意外にしっかりしています。
生涯、寺の住職にも付かず、托鉢で日々の糧を得ていた生活からは想像できない。
元々、庄屋の長男に生まれ、家業を継ぐはずだったのに出家してしまったと言います。
庶民の厳しい暮らしを見るにつけ、領主との間に立って差配をするのがやりきれない。
若くして名代になったがいたたまれずに、修行の道に救いを求めたのかもしれません。
そんな風にも思いましたが、ふと、同時代の禅僧だった仙厓義梵も思い出しました。、
仙厓和尚といえば、洒脱でユーモアたっぷりな画風の水墨画で名が知られております。
問題なのは、今際の際にのこした言葉でして、 「死にとうない」 とどうも言ったらしい。
付き添う弟子達が慌てて聞き返したところ、「ほんまに、ほんまに」 と繰り返す始末。
でも、良寛さんと一緒で、なぜだか人間くさい魅力に引き込まれるものがあります。
というわけで、五月連休の越後ツアーは、これでひとまず寺社めぐりを締めくくりました。
これから、終盤の奥志賀高原スキーと、いいやま菜の花祭りを訪ねる後半戦に突入したのですが、天候もまずまずで旅行を楽しめましたし、冬場のゲレンデめぐりとは違った、越後の風物を満喫したのでした。
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