2016年6月10日金曜日

梅雨の中休みになったから、ぷらっと、キャンプにでかけてくるのだ

今日、伊豆七島の大島へ渡ります。
首都圏に住んでいる人は、浜松町の竹芝桟橋から出発します。

ジェット船に乗れば、二時間程度ですが、夜行便なら六時間でしょうか。
でも、自分は横浜の人なので、熱海からで一時間もかかりません。

のんびりと、船旅を楽しんだら、元町港にたどりついてバスに乗り換えます。
島の東南端にある波浮港まで向かうのですが、都はるみを思い出します。

”アンコ椿は恋の花”って歌がヒットしましたが、昭和三十九年とはるか昔。
その歌詞の中に、波浮港ってありますが、円形の内湾で天然の良港です。

火山の噴火口が陥没して、一部が侵食で海に向かって切り開かれたみたい。
この地形が地学的に珍しいので、昔は、教育図書でもよく紹介されていました。

そして、ここには無料のトウシキキャンプ場があって、町役場へ電話するだけ。
一応、予約をいれるようにとのことで、電話しましたが、携帯の番号を教えました。

施設が整っているので、ここはかなりの穴場だと思います。
ここから、月の砂漠と呼ばれる、三原山の火口平原をトレッキングしましょう。

有名な”月の砂漠”という童謡は、ここをイメージしたと思いましたが、違います。
千葉県の御宿海岸に月の沙漠公園というのがあるそうで、本家はそこでした。

砂でなくて沙漠と歌われておりますが、三原山はスコリアの粗い石粒の荒野。
そこが、別世界で異次元のような印象を与えるのだそうで、これは探検気分です。

というわけで、ちょっと短い投稿になりましたが、これから用意して出かけます。
今、原稿を打ち続けているばかりで、上さんに早くしないと遅れるよって、怒られていますので、これから出発の準備に着手しようと、思い立つ自分がいるのでした。


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2016年6月7日火曜日

道産子にとって、何でもないようなお寺の造作を見て感動するんだな - 内地の木造寺院(全国津々浦々)

32番札所「吉祥院」(札幌市北区)

北海道に生まれた自分には、木造寺院をかの地で見るのは珍しいことでした。
冬の季節が長く続き、ところによっては一年の半分が雪に閉ざされてしまいます。

木造の家屋は、厳しい北海道の冬を過ごすには、凍てつくすきま風も入りやすい。
縁側を雨戸で締め切っても、寒さが忍び込んで、障子で仕切られた部屋も冷蔵庫。

毎日、毎日、雪が降り続く厳冬期ともなれば、雨戸を開けることなどできません。
寺院建築ですと、本堂に廊下があって当たり前ですが、雪が吹きすさんでしまう。

しかも、北国の冬はお日様も低くて、晴れの日も少ないので、室内は暗くなります。
本堂の中は、障子明かりだけですと、薄暗く、寒さをいっそう感じるものですよ。

がらんとしていて、ことさら寒さも募りますので、寺院建築は不利だと思うのです。
このためか、仮に木造建築のお寺があったりしても、内地の雰囲気とは違います。

本堂に無理して廊下をこさえたとしても、障子窓はガラス張りで防寒していました。
冬になれば、ガラス窓の外を透明なビニールで覆って、寒さ除けとしたりもします。

ストーブが本堂の中にでんと置かれ、内地の寺院とは様相が全く違うのでした。
つまり、建物自体が、防寒対策には抜かりのないような工夫が見られるのでした。

瑞祥山極楽寺(東神楽町)
お寺カフェだって

まあ、それだけ、内地の仏教建築様式が、道産子にとっては物珍しかったのです。
だからと言うわけでもないのですが、内地へ来てからはお寺めぐりを始めました。

それで悟ったことは、内地の蒸し暑い季節を乗り越える、夏向きの造作なのです。
夏時分、本堂の障子と言う障子を開け放てば、夕方には涼しい風も吹きましょう。

他方、梅雨時分には湿気も家にこもりがちですから、風通しは欠かせないのだ。
日中は障子を開けて外気を取り入れ、屋根瓦からは湿気も抜けていくのが一番。

北海道には梅雨なんか存在しませんから、ジメジメする季節など知りようもない。
こうして、暑さや湿気を時期を乗り越える建築様式になったのは、むべなるかな。

一方、瓦を葺いた屋根は、雪の多い地方だと、不向きといわれているのです。
瓦屋根は、重量もがあり重たいのですが、これに積雪で雪が積もったらどうなるか。

まるでゾウさんが乗ったようで、雪下ろしをしないと、家屋が潰れてしまいかねない。
こうして、北国の雪下ろしは、家の倒壊を守るために欠かせない日課になります。

一方、真冬になると、屋根に積もった雪は、昼に融けて夜に氷るのを繰り返します。
つまり、瓦の間に挟まった雪や氷は、じわじわ隙間を空けていく原因になるのです。

これがために雨漏りしやすいのですが、内地ではそれほど氷点下に下がりません。
ですので、東北などで瓦屋根の建築物は、まだ見受けられるということでしょうか。

一般民衆は、一生茅葺屋根の家に住んだ時代だし、瓦自体が特別だったのかも。
それでも、青森県や北海道の函館周辺でも、瓦屋根の古い寺院は多く見かけます。

まあ、北海道は開基百五十年ですから、寒冷な後発地ゆえに、未だ寺院も新しい。
モルタル作りだったり、コンクリート壁の近代的寺院だったりして、風情はないわな。

というわけで、本当は瑠璃光寺五重塔の記事でも書こうかと思い、筆を取りました。
ところが、北海道のお寺の話や建築様式に終始して、そこまでたどり着けそうもない。

それだけ、寒冷地ゆえに北海道の建物の建て方は違うんだよって言うことで、ならばこそ、パウダースノーでゲレンデも楽しめる土地柄ということですから、そこを話の落ちにしておこうかとも思ったのでした。


おまけ:
鎌倉五大堂 明王院
ハイキングで自宅から歩いた

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2016年6月4日土曜日

直感的で単純ゆえに、滑りを楽しんだとして、それは人生に奥深い芸術など論外であろうな ー 県立美術館(広島県)



残念ながら、山路 商という画家も、この絵画の存在も知りませんでした。
作品を描き出す前に、必ず自画像を描いていたという画家なのです。

自分という本質を深く見つめて自分をえぐり出そうとする、探究心がすごい。
描かれたのは戦前のことで、昭和十七年というから、半世紀以上も前です。

最近描かれた作品だといって、ポッと出されても何ら違和感を覚えません。
しかも、高さが三十センチに満たない作品なのに、作品の結晶度が高い。

この人の作品は、非常に数が少ない上、小品ばかりしか残されておりません。
わずかに、”かたつむりと犬”という作品だけが大振りな絵になっています。

実に美術史に埋もれてしまった存在ですが、広島の芸術は分厚いものがある。
日本の縮図とも呼ばれる広島県ですが、豊かさが芸術に結晶したということか。

もっとも、本人の素行はあまりよくなかったみたいで、ろくでなしだったようです。
親の仕送りが頼りで、後輩におごらせたり、妹の金をくすねて喫茶店へ行ったり。

画材屋を兼業して絵を描いたといいますが、まともな商売だったのでしょうか。
自由奔放に生きながら、なぜか暗い自画像を残しつつ、急逝してしまいました。

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もっとも、当時は徴兵制がしかれて、何時兵隊として戦場へ赴くか分かりません。
そういう精神的な圧迫感、不安感にさいなまれて、自暴自棄にもなってしまう。

そんな芸術家が広島に集って活動した時代、原爆投下がすべてを無にしました。
戦争下にあったとはいえ、活気があったんだと思いつつ、原爆はなんともむごい。

オバマ大統領が慰霊碑の前で演説しようとも、一瞬で灰燼と帰す所業は悪魔か。
それでも、広島人はしたたかで、戦後まもなく、爆心地にアトム書房が開かれました。

アトムは原子を意味し、原爆を皮肉でもじったのでしょうが、人を食った名づけ方。
しかも、古本以外に、進駐軍の兵士相手に、原爆の遺品を売りつけていた物凄さ。

さすが、ヤクザ映画の広島抗争で有名になった当地ゆえ、したたかな人々でした。
それで、実際、この絵が県立美術館で陳列されていたのならと、実に悔やまれます。

それでも、今回の目的の靉光(あいみつ) の自画像は、しっかりと鑑賞してきました。
自画像は何点かあるようですが、この”帽子をかむる自画像”も有名な一点です。


説明を追加

彼自身も山路 商と同時代を生きた画家ですが、無名のうちに世を去りました。
彼も山路も、原爆の落ちる前、終戦を迎える前に、鬼界の門を叩いてしまった。

戦争の暗い時代、芸術家たちには精神的にも、経済的にも過酷な時代でした。
そして、復興を終えて発展を続ける広島は、過去の陰りすら、見当たりません。

というわけで、自分の人生を振り返るに、スキーの旅行帰りには、こうして美術館、博物館を訪ね歩いたりしてきたのですが、今回の広島旅行は、将来のスキー遠征に向けての下見でもあったわけでして、その前に、ぜひ見ておきたかった絵が鑑賞できたのは、望外の喜びでもあったのでした。


おまけ:クリックで拡大して、ご覧ください
26歳で夭折した檜山武夫もすばらしい
靉光(あいみつ) のコミサも有名だな


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2016年5月31日火曜日

まんが日本昔ばなしで、お話のあった禅師河童(ぜんじかっぱ)は、洞窟に関わるんだな - 秋吉台・秋芳洞(山口県)

安富屋観光会館にて

B級グルメって全国各地にありますが、ここ山口県にもしっかり存在しておりました。
下関の方では瓦そばと呼ぶそうですが、ここ秋芳洞では河童そばと呼び習わします。

なんでも、この鍾乳洞にちなんだ禅師河童の昔ばなしが、語り伝えられて来ました。
その名にあやかったのかもしれませんが、瓦が転じて河童になってしまいました。

たれはしょうゆ味で、抹茶そばの焼きそばに、ネギや牛肉、錦糸卵がどっさりです。
具だくさんの抹茶そばは、焼いているので、香ばしい風味が活かされて満足、満足。

上さんの方は、もうひとつ名物のごぼうそばを食したのですが、軍配は河童でした。
お互いに半分ずつを残して、食べ分け合ったので、上さんもその味を堪能したはず。

ところで、秋芳洞といえば日本の代表的な鍾乳洞で、皆さんもご存知のはずでしょう。
自分は小学校の理科や地理で習いましたが、石灰岩のカルスト地形が特徴的です。

至る所に石灰岩柱が突き出ていて、他方、すり鉢みたいな窪地、ドリーネもあります。
実にへんてこりんな風景なのですが、そこかしこにあるような借景ではありません。

しかも、石灰岩は水に溶けやすいので、地下水の浸食作用で空洞を作り出します。
これが、秋芳洞という洞窟の鍾乳洞になって、有名な観光地を生み出しております。

グーグルドライブはこちらから
全ページご覧ください
国定公園切手は、風景画なんだ
昭和34年発行

何でも日本三大鍾乳洞に数えられ、他は岩手県の龍泉洞、高知県の龍河洞でした。
自分的には、訪れていた福島県のあぶくま洞も、中に含まれているかと思いました。

でも、発見は比較すると近年で、戦前に発見された龍河洞の方が知名度もあります。
このため、このような選定になったかと思いますが、それでも秋芳洞は筆頭でしょう。

かつては、海外からの旅行者も多く、一時期、台湾の人には人気の観光地でした。
二十年前には八万人も来訪客があったのに、最近は数千人と激減しているのです。

広島の宮島とセットで旅程が組まれていたようですが、旅行先にも変化があるのか。
まあ、北海道は定番でしょうが、東京や京都、分散傾向があるのかもしれません。

確かに洞窟探検を楽しめるのかも知れませんが、エンターテイメントはありません。
ディズニーやら、ユニバーサルスタジオと競争しても、形勢は少し不利な気もします。

なので、秋吉台のある美弥市は、台北市に観光・交流事務所を開いてしまいました。
しかも、台北で有名なランタン祭りを、秋芳洞の商店街が招いて開催しております。

というわけで、この秋吉台は、秋吉台国定公園というカルスト地形単独で指定された公園なのですが、特徴がこれだけのためか、国立公園に準じた景勝地という指定に甘んじたのかも知れず、観光地としての人気の凋落傾向に歯止めをかけるには、やっぱりPRしかないのだと思ったのでした。


おまけ:
この安冨屋で河童そばをご賞味ください
小学校の頃、丸暗記できるまで読みました

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