平成4年2月15日滑走 |
このゲレンデは、北志賀高原観光協会に所属しております。
同じ山之内町ですが、志賀高原観光協会もあって、 ライバルでしょうか。
それで、両方のホームページを見比べると、 標高の違いがハッキリ分かります。
北志賀は、山里に近いせいか、 そばが収穫されており名産になっていました。
加えて、夜間瀬のエリアは、 りんごなど果樹栽培が盛んなのをテレビで知りました。
実は、NHKの番組”キッチンが走る!”で、 志賀高原が紹介されていたのです。
番組では、プロの料理人が食材を訪ね歩き、 それを使って料理をもてなします。
高原の上流で天然イワナが紹介されますが、 農作物は里に降りて来てからでした。
そこでは、番組のキャンピングカーがリンゴ園をたずね、 ブルーベリーが紹介されます。
一帯はなだらかな傾斜の耕作地が広がり、 のどかな田園風景がうかがえました。
周辺は、旧石器時代や縄文時代の遺跡も残され、 昔から住みやすいのでしょう。
本郷地域には、 六世紀後半に造られたと推定される古墳が三基も残ります。
まあ、冬場は確かに寒いとはいえ、 周辺は盆地ですから夏場は暑くなりそうです。
こうして、古来から人々が生活を営んできたのを考えると、 歴史の重みを感じます。
反対に、ウインタースポーツは、 二十世紀に日本人のレジャーにやっと定着しました。
日本へ伝来してから百年になるかならないかで、 年月にしてもまだ若造なのですよ。
さて、夜間瀬という地名は読みも面白いですが、 漢字の当て方が変わっています。
由来は、温泉、風位、牧場などが三つの説があり、 どれなのか決めつけられない。
一つは、上流で温泉が「交ざる」ことを指した「湯交じり川」 から転じたとする説。
夜間瀬は以前、「夜交」と表記していたから、湯交、夜交、 夜間瀬となった。
次に、高社山から吹き降ろす「ヤマセ」が、 なまってよませに転じたとする説です。
三番めは、牧場にあった馬を囲うための柵「馬柵(うませ)」 に由来する説でした。
自分は北国の出身ですから、 やませに慣れ親しんでいるので選んでみたくなります。
ただ、漢字が山背なので食い違いがあり、 当てはめるのがやや苦しい気がしました。
こういった由来を解き明かすのはなぞを呼びそうですが、 他方で愛着も湧きます。
一頃、山ノ内町が進めた合併協議に、 新市名に夜間瀬市を押した人もいました。
少数意見でしたが、 地元住民の土地に対する深い愛情を物語る逸話でしょうか。
というわけで、このゲレンデで、 往年の名スキーヤー海和がホテルを開業しています。
その名も、ホテルカイワといい、 ホテルからゲレンデまでの移動は0分!のすばらしさ。
生まれ故郷のやまがた赤倉温泉スキー場で彼を紹介しましたが、 懐かしいのです。
温泉も掘り当てられ、今は温泉スキー場として運営中ですが、 頑張ってもらいたい。
現在、スキーブームは下火どころか消え去り、 スキー産業自体が風前の灯です。
そんな中でも、夜間瀬の名に愛着を持つ住民の皆さんがいる限り、 スキー場の支援は限りなく続いていくと思いますし、 南斜面で雪が融けやすいとか、 そんな不利な環境はものともせずに、 ぜひ健闘を期待したいところなのでした。
おまけ:
グーグルドライブはこちらから 2003ゲレンデマップ |
グーグルドライブはこちらから 1995年立風書房ゲレンデガイドより |
四つのスキー場がドッキング クリックで拡大します |
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