このヒナ鳥、親鳥から迷子になったのかな |
天売島の旅行から帰宅して、日をおかずに、この島にちなんだ書籍を買いました。
題名は、”オロロン鳥-北のペンギン物語”と言って、島に生息する海鳥の話です。
と言うより、近所のブックオフを立ち寄ったところ、中古で百円が痛く気に入りました。
まあ、面白そうなセコハンの本がわんさかあって、懐を気にせず買ってしまいます。
かつては四万羽も生息していたのに、最近は五十羽まで激減したウミガラスのお話。
オロロンと聞こえる泣き声から、別名はオロロン鳥で、こちらがよく知られております。
絶滅の危機に瀕した、この北のペンギンともいうべき、野鳥を保護する話なんです。
著者は、この天売島でかつては教職にあった、自然保護活動に熱心なお方です。
そのせいか、教え子の学童と共に、訪れる旅行者へ、保護のPRを訴えてきました。
島は、国定公園の指定下にあり、鳥獣保護の特別区として厳重に守られています。
保護が遅かったのかと思われるほど、ハイピッチな生息数の減少は、問題でしょう。
おとりのデコイ(模型)を置いて、スピーカーで泣き声を流すなど、今や必死の対策。
こういった断崖絶壁の下で生息 |
こういった作戦が功を奏したのか、細々ながらも、島への飛来が続いて来ています。
一方、アイヌ語でエトピリカと呼ばれる海鳥は、この島からコロニーが消滅しました。
このため、今や道東のごく一部でしか見られない、幻の鳥になってしまいました。
これに比べてて、オロロン鳥は、手厚い保護で、これから生き延びるのでしょうな。
すこし、心配になってきますが、他方、海鳥のウトウは、世界一の繁殖地だそうです。
その数、六十万羽にもなり、繁殖地では、地面に巣穴が至る所に掘られていました。
夏の間、この繁殖地見学のために観光バスが出ているんですが、歩けなくもない。
こうして、キャンプ地の焼尻島からフェリーに乗りなおして、天売島に向かいました。
オロロン鳥のペンキ塗りマスコット |
先ず、港の岸壁に描かれた、オロロン鳥のマスコットの出迎えが目に入ります。
ここも、焼尻島に似たようなもので、人口は三百人ちょっとと、過疎の離島です。
ここから、島を一周する二車線の舗装道路を、チンタラ歩きますが、車も少ない。
途中で、雑貨食料品に立ち寄って、島の銘菓なのか金つばを買ったりもしました。
だらだらとした平坦な道ですが、つづら折れの坂道になると、急登が続き出します。
この頂上と思われる地点が赤岩展望台で、灯台もありますが観光客は我々だけ。
標高差で百五十メーターほどを登りきったことになりますが、真夏の日中はハード。
汗だくになりつつ、晴れ渡った青空の下、トレッキングが好きだから、てくてく歩く。
ただ、たどり着いた営巣地は、穴だらけの地肌だけで、海鳥は全く見当たりません。
どうも、日が明るいと洋上に出て餌取りをしているようで、潮風だけが吹きぬけます。
巣穴だらけの斜面に、ウミガラスの看板 |
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ここでお昼にして、ちょっと休憩したら、次の観察小屋を目指して、歩き出しました。
この赤岩は、島の最西端にあり、道路は、北側の丘陵地帯を通り抜けていきます。
そして、この観察小屋は、海鳥の住む、切り立つ海蝕崖ぎりぎりに建っていました。
誰も訪れた形跡はなく、生き物が侵入させないよう、閉めっぱなしのままなのです。
中は蒸し暑いし、クモの巣も張っていて、景観は素晴らしくとも寂寥感が漂います。
備え付けの観察用の望遠鏡で眺めますと、確かにおとりのオロロン鳥はおります。
あそこで営巣しているのかと思いつつ、本物のオロロン鳥は発見できませんでした。
一方、オオセグロカモメは、海風に乗って、グライダーのように優雅に飛行します。
ここでは、この鳥が生態系の頂点にあり、オロロン鳥のひなだって捕食されてしまう。
自然界の営みは、実に厳しい現実があり、何とか巣立って欲しいと思うだけでした。
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というわけで、食堂に立ち寄ったら、その日は禁猟日で、ウニ丼はありませんでした。
残念に思いつつ、刺身定食ならできるといわれたので、代わりに注文する始末。
昼飯も思い通りにならないとボヤキながら、絶滅危惧種のこの鳥だって、繁殖に苦労して、デコイまで担ぎ出して、呼び寄せようとする始末で、なかなかに自然は思い通りには、戻ってくれないものだなと痛感しながら、新鮮な刺身に舌鼓を打つ自分がいるのでした。
おまけ:
焼尻島から見た天売島 |
利尻岳がきれいに見えるよ |
七月末でアジサイが満開なんだ |
エゾカワラナデシコも美しい |
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