平成4年12月30日滑走 |
このスキー場は、JR陸羽西線高屋駅に直結したゲレンデになっていました。
なぜ過去形で話さざるを得ないのも、既に閉鎖されてしまっているからです。
それは平成12年のことで、滑った頃は平成四年ですから、まだ営業中です。
それで、午前中にAsahi自然観スキー場を滑ってから、急ぎ移動しました。
距離で百キロ、一般道をひたすら走りましたが、正月休暇で空いていました。
駅前の駐車場に止めたのですが、山側へ長い跨線橋が掛かっております。
最上川にそって国道と線路が併走していますので、ゲレンデが山の方でしょう。
そう思って橋を渡り端を、深い林の間を縫って、雪道を登りつめて歩きました。
すると、視界が広がり、食堂兼管理センターの建屋も見えてきます。
既にゲレンデに入ってしまったのか、右側にはシングルリフトも動いていました。
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リフトは縦に二本を連なり、ゲレンデは小規模ながら駅そばのメリットは大きい。
ただ、誰しもが車を所有できる時代になってしまうと、アクセスは車でしょうね。
だから、自分もそこに駐車したのですが、暖かくボタン雪が降り注いでいます。
ゲレンデを眺めますと、バーンも溶け出して条件があまり思わしくありません。
積雪も少ないし、地肌の出た箇所もあって、注意深く滑ったのを覚えています。
それで、昼飯もろくに食べていなかったので、食堂に入ってうどんを頼みました。
三十代の女性がレジにいたのですが、頼んでも愛想のいい返事もありません。
ただお代金を支払っておつりをもらい、しばしの間、給仕されるまで待ちました。
客は自分一人で、どんぶりがお盆に置かれて出されると自分だと分かります。
そのときも、お待ちどうさまとか、世辞のひとつもなく、異様な雰囲気でしかない。
食堂のおばちゃんだったら、よく来たねー、はいよーとか、愛想はいいものです。
仮に、まだ若いから恥ずかしがったとしても、何かの受け答えがあるはずです。
ところが、全く会話が成立せず、無言のままに終始する給仕が忘れられません。
この異常さが忘れられず、あの女性は異邦人だったのかと思ってしまいました。
それで、後年、スキー場のあった戸沢村について、一つ分かったことがあります。
それは、農家の嫁不足問題解消のため、韓国から花嫁を迎えているのでした。
来村を募って成功した自治体の事例として、この村は全国で有名になりました。
五千人ちょっとの人口の中で、韓国人の奥さんが二百人ですから目立ちます。
道の駅、戸沢の写真 |
しかも、村に設立された「道の駅とざわ」は、 モモカミの里 高麗館と命名です。
花嫁さん達も、ここの韓国のみやげ物店、韓国レストランでを働いております。
さすがに、この韓国びいきが過ぎれば、韓国人に乗っ取られたと思えなくもない。
ネットでは、話半分、冷やかし気味にブログで書く人も出る始末なのでした。
というわけで、自分が異邦人と感じた人は、韓国人妻だったのかもしれません。
日本での暮らしになれず、日本語もうまく話せない背景が、原因だったのか。
実際、そう思わざるを得ない食堂の記憶が、鮮やかに残っていたからでもあるのですが、対照的に小規模で変化に乏しいスロープは、あまり思い出にもならず、そんな最上川スキー場の一風変わった情景なのでした。
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最上川スキー場、酒田に住んでいた頃行きました。この記事にめぐりあって嬉しいです。川の名前が付くスキー場はめずらしい。
返信削除読んでいただいてうれしいです。このスキー場は、放置されたままで、自然に森林を復元して行くようです。川の名前では、北海道に朝里川温泉スキー場と言うのもあります。
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